原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ご近所とのお付き合い

2008年08月23日 | 人間関係
 先日、お隣が引越しをした。

 我が家は集合住宅なのだが、新築分譲マンションとして6年程前に全戸が一斉入居して以来、お隣には入居時に挨拶に伺ったきりまったくお付き合いがなかった。


 我が家はこれまでに住居を幾度も買換え何度も転居を繰り返しているのだが、転居する毎に当然ながら近隣の世帯が若返る。若い世代の方々が結婚、出産等に伴って新居を購入するためであろう。 
 そして近隣の世帯の世代が若返るのと平行して、近所付き合いを敬遠する傾向にあるようだ。

 かくいう私も、近隣との濃厚なお付き合いは基本的には回避したいと考えている方である。ご近所というのは距離が近い分何かと厄介な存在である。関係がうまくいっているうちはどのようなお付き合いであれ問題はないのだが、少しこじれはじめると距離的に近いが故に逃げ場がなくなってしまう。お互いの平和のために、初めからあっさりとお付き合いするのが一番と考えている。

 それで、私は近隣とは挨拶程度のお付き合いを心がけているのであるが、今やこの挨拶すら嫌うご家庭も多い。 
 現在の住居に入居した際、私は一応の礼儀として向こう3軒両隣に加えて上下階の住居へご挨拶に伺ったのであるが、この入居の挨拶ですら拒否するご家庭があった。「そういうことは一切なしにしませんか。」と、挨拶の付き合いさえ迷惑である事をきっぱりと表明するのだ。私も相手の意向を尊重して「わかりました。」と言い引き下がったのであるが、そうは言われても、その後通路やエレベーターでどうしても顔を合わせることはある。まさか、いい大人が知らん顔もできないので挨拶だけはさせていただくのであるが、この一言の挨拶すら見るからにご迷惑な様子だ。

 さて、先日引っ越したお隣の話に戻るが、このお隣は入居時の挨拶には快く応じてくれた。だが、その後一切のおつきあいはなかった。小さい子どもさんが2人いるご家庭でたまに玄関前の通路で親子で遊んでいるのに出くわす。そういった場合、私は年の功で挨拶に加えて「いいお天気ですね。」「大きくなられましたね。」等のプラス一言をついつい加えてしまうのだ。これが嫌がられてしまう。(放っておいて欲しいのに…)との表情で一切返答がない。もちろん、こちらとしてもプライバシーの侵害にならぬよう、個人情報には触れぬようにと細心の注意を払い言葉を選んでいるつもりなのであるが、どうも何を言っても余計な一言であるようなのだ。
 そんなこんなで、お隣とは偶然会った時の一言のご挨拶のみのお付き合いであったのだが、引越し時の挨拶もまったくないまま転居して行った。

 このように現在の住居ではご近所付き合いが一切なく、すっきりしていて後腐れがないとも言える。


 ご近所というのは基本的に選択できないため、当たり外れは避けられない。この私も過去において何度か近隣とのトラブルを経験している。

 子どもが赤ちゃんの頃住んでいた集合住宅の下階に住む、私より若い世代の主婦からクレームがきたことがある。子どもの足音等の騒音がうるさいとのことだ。普段より音に神経質な私は重々気をつけていたつもりではあるのだが、一応お詫びは申し上げた。その上で、こちらにも生活があるためどこまでその騒音を抑えられるかという話し合いをさせていただき、一応の合意はした。ところが、やはりどうしても我が子の出す音がうるさいと何度も訴えてくるのだ。こうなると我が家にとっては“針のむしろ”だ。子どもの健全な発育が阻害されてしまう。 ある時は夜中の12時に我が家が寝静まった時にやってきて、たたき起こされ騒音を訴えるのだ。少し異常性を感じた私は、第三者も加えて更なる話し合いをさせていただいたところ、その女性が10年来“不妊症”で悩み抜き、子どもがいる家庭が羨ましくて心を痛め、我が家を目の敵にしていたことが判明した。その後、まもなく転居して行ったようだ。
 
 我が家は何度も転居を繰り返しているため既に悟っているのだが、どこに住んでも大なり小なりのトラブルはあるものだ。現在の住居でも上階の騒音に悩まされている。お付き合いが一切無いが故に対策が取りにくく、泣き寝入りの現状である。


 ご近所関係といえば一昔前までは人間社会のコミュニティの基本であり、小さな子どもにとっては初めて体験する小社会であり、子どもの人格形成の一端を担っていたものである。現在でも地方の田舎へ行くと、未だにこのご近所コミュニティが機能している場所も多い。
 時代が変遷し、人間関係の希薄化と共に、特に都会においてはご近所コミュニティはすっかり姿を消している。人間関係における一種の合理化現象とも言え、そこには利点もなくはない。ただ、子どもが幼い頃から自然に人間関係を育み、健全に成長する場がひとつ失われている事は事実であろう。
 
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