「人間関係」カテゴリーの記事が続くが、世間では人間関係における理想像として“円満”という言葉がよく使用されるようだ。
例えば「家族円満」「夫婦円満」等々…。
この“円満”の言葉の意味であるが、国語辞典によれば、十分に満ち足りること、欠点・不足のないこと。あるいは、角がなく穏やかなこと、感情が激しくないこと、等と記載されている。
私が“円満”の言葉から抱くイメージとは、例えば「家族円満」の場合、家族全員が食卓を囲み、何でも包み隠さずに話し合って笑い声が絶えない風景や、仲良く家族旅行へ出かける姿、はたまた、妻は仕事で疲れた亭主を労い、夫は妻を慮って、明るく素直に育った子どもの成長を喜び合う……
ここまで書いてくると、あまのじゃくでへそ曲がりの私などは何だか気恥かしささえ漂い、背中がむず痒くなってきて、かえって居心地が悪く自分の身の置き場に困惑しそうである。
さて、昨日5月16日(土)朝日新聞別刷「be」の相談コーナー“悩みのるつぼ”に、この“円満”に関する相談が取り上げられていた。
まずは、50代会社員男性による相談内容を要約して以下に紹介する。
定年目前の会社員だが、男は仕事で後れをとってはならぬと心得るのが男の生き方と信じ「会社一筋」で生きてきた結果、家事はもちろん、子育てや親類、近所付き合い等々、家に収入を入れる以外のことはすべてかみさんに任せてきた。
最近気がつけば定年も近く、「濡れ落ち葉」の言葉が目に入るようになった。「夫婦共通の趣味を」と誰もが同じ事を言う。その言葉を聞くと途方に暮れる。
“破滅型”の車谷先生(この相談の回答者)でさえ、四国のお遍路さんを奥様と歩き仲良く暮らしているように見えて、ショックを受け焦っている。
何か老後の夫婦が円満に生きるための一夜漬けでできる秘訣があったら、教えていただきたい。
引き続き、この相談に対する“破滅型”の作家・車谷長吉氏の「円満の秘訣などひとかけらもなし」と題する回答を紹介しよう。
私は遺伝性の疾患があるため結婚はしないと青年時代から決心していたのだが、48歳の秋に懇切丁寧な嫁はんと結婚して感謝している。子どもはいない。
私は破滅を志したことは一度もないが、貧乏が好きで極端な貧乏生活をしていた。だが失意を感じたことはなく、知人達は不思議がっている。
嫁はんをもらうと貧乏が好きとばかりは言うてられず強迫神経症になり、嫁はんの発案で四国お遍路に行った。75日間遍路道を歩いて、死後は地獄に落ちた方がいいという覚悟ができた。作家になって心に残ったのは罪悪感だけだ。
老後夫婦が円満に生きるための秘訣などひとかけらもない。この世は苦の世界で、私も夏目漱石のような作家になりたいと決心してから1日4時間以上眠ったことは一度もない。ただひたすら勉強するだけの日夜だった。
私の知人にもあなたのような男がいる。今までのところ、あなたはなまくらな人だ。世の9割の人はそうなのだが。
以上が、作家・車谷氏による相談に対する回答内容である。
私論に入ろう。
私は“破滅型”作家の車谷長吉氏の著作を残念ながら読ませていただいたことはないのだが、今回の相談の回答ぶりを拝見して、その人格的一部分において私と共通項があるような感覚を持たせていただいた。(一小市民の一般人の身で、大変失礼な物言いをお許し下さい。)
この私も決して“破滅”を志してはいない。 車谷氏とは異なり、貧乏が好きな訳ではなく(かと言って私の場合も“金持ち志向”は一切ない)、地獄に落ちたいと思えるほど超越できてもいない。 そしてどうやら車谷氏よりも私の方が精神面では丈夫に出来ているようで、精神的疾患の罹患履歴はない。
車谷氏は努力家でいらっしゃるようだ。僭越ながらこの私も努力家であることを自称している。そうであるから氏の回答が受容できるのだが、この相談者に向かって「あなたはなまくらだ」と回答し切れ、世の9割の人はその類の人だと言ってのけられる人物は、恐らく“破滅型”作家として“誉れ高い”車谷氏しか存在しないのかもしれない。
そうだよなあ。 確かに“なまくら”だよ、この相談者は。
今まで会社一筋に生きて来て、定年が近づいたからと言ってやわら焦りを感じ、老後をかみさんと同じ趣味で生きたい、と急に言われてもねえ。 自分の生活をそれなりに確立しているかみさんの立場としては、そんな話を突然持ちかけられても…、 それは身勝手で考えが甘過ぎるとしか思えないよ。
そんな勝手がまかり通ると思っている男が多いから、熟年離婚が絶えないのさ。
我が亭主の話題をブログ記事でほとんど公開していない「原左都子エッセイ集」であるが、実は我が家でも亭主の定年退職をわずか3年足らず後に控えている。
我が家の場合も晩婚であるが故に、結婚後まだ十数年しか年月が流れていないことも車谷氏と一致しているのかもしれない。そうした背景があるとしても、老後の夫婦円満を突然「夫婦の共通の趣味」に一方的に求められても、妻としては大いに困惑しそうだ。(急に2人で仲良くしようったって、違和感があるよなあ…。)
結論であるが、男性の方々、定年退職後の老後はどうか精神面で自立なさって下さいますように。
夫婦なんて元々“円満”である必要はないと思うんですけど…。 冒頭の“円満”の国語辞典の意味を再読下さい。人間関係においてそもそも“欠点、不足がなく十分に満ち足りること”など絵空事でしかないですよ。
それよりも重要なのは、人間同士の信頼関係ではないでしょうか? それが長い結婚生活期間においてきちんと築かれているならば、たとえ老後であっても、共通の趣味がなくとも、夫婦とは長続きするようにも思うのですけど…。
相談者の退職後のお幸せをお祈りします…。
例えば「家族円満」「夫婦円満」等々…。
この“円満”の言葉の意味であるが、国語辞典によれば、十分に満ち足りること、欠点・不足のないこと。あるいは、角がなく穏やかなこと、感情が激しくないこと、等と記載されている。
私が“円満”の言葉から抱くイメージとは、例えば「家族円満」の場合、家族全員が食卓を囲み、何でも包み隠さずに話し合って笑い声が絶えない風景や、仲良く家族旅行へ出かける姿、はたまた、妻は仕事で疲れた亭主を労い、夫は妻を慮って、明るく素直に育った子どもの成長を喜び合う……
ここまで書いてくると、あまのじゃくでへそ曲がりの私などは何だか気恥かしささえ漂い、背中がむず痒くなってきて、かえって居心地が悪く自分の身の置き場に困惑しそうである。
さて、昨日5月16日(土)朝日新聞別刷「be」の相談コーナー“悩みのるつぼ”に、この“円満”に関する相談が取り上げられていた。
まずは、50代会社員男性による相談内容を要約して以下に紹介する。
定年目前の会社員だが、男は仕事で後れをとってはならぬと心得るのが男の生き方と信じ「会社一筋」で生きてきた結果、家事はもちろん、子育てや親類、近所付き合い等々、家に収入を入れる以外のことはすべてかみさんに任せてきた。
最近気がつけば定年も近く、「濡れ落ち葉」の言葉が目に入るようになった。「夫婦共通の趣味を」と誰もが同じ事を言う。その言葉を聞くと途方に暮れる。
“破滅型”の車谷先生(この相談の回答者)でさえ、四国のお遍路さんを奥様と歩き仲良く暮らしているように見えて、ショックを受け焦っている。
何か老後の夫婦が円満に生きるための一夜漬けでできる秘訣があったら、教えていただきたい。
引き続き、この相談に対する“破滅型”の作家・車谷長吉氏の「円満の秘訣などひとかけらもなし」と題する回答を紹介しよう。
私は遺伝性の疾患があるため結婚はしないと青年時代から決心していたのだが、48歳の秋に懇切丁寧な嫁はんと結婚して感謝している。子どもはいない。
私は破滅を志したことは一度もないが、貧乏が好きで極端な貧乏生活をしていた。だが失意を感じたことはなく、知人達は不思議がっている。
嫁はんをもらうと貧乏が好きとばかりは言うてられず強迫神経症になり、嫁はんの発案で四国お遍路に行った。75日間遍路道を歩いて、死後は地獄に落ちた方がいいという覚悟ができた。作家になって心に残ったのは罪悪感だけだ。
老後夫婦が円満に生きるための秘訣などひとかけらもない。この世は苦の世界で、私も夏目漱石のような作家になりたいと決心してから1日4時間以上眠ったことは一度もない。ただひたすら勉強するだけの日夜だった。
私の知人にもあなたのような男がいる。今までのところ、あなたはなまくらな人だ。世の9割の人はそうなのだが。
以上が、作家・車谷氏による相談に対する回答内容である。
私論に入ろう。
私は“破滅型”作家の車谷長吉氏の著作を残念ながら読ませていただいたことはないのだが、今回の相談の回答ぶりを拝見して、その人格的一部分において私と共通項があるような感覚を持たせていただいた。(一小市民の一般人の身で、大変失礼な物言いをお許し下さい。)
この私も決して“破滅”を志してはいない。 車谷氏とは異なり、貧乏が好きな訳ではなく(かと言って私の場合も“金持ち志向”は一切ない)、地獄に落ちたいと思えるほど超越できてもいない。 そしてどうやら車谷氏よりも私の方が精神面では丈夫に出来ているようで、精神的疾患の罹患履歴はない。
車谷氏は努力家でいらっしゃるようだ。僭越ながらこの私も努力家であることを自称している。そうであるから氏の回答が受容できるのだが、この相談者に向かって「あなたはなまくらだ」と回答し切れ、世の9割の人はその類の人だと言ってのけられる人物は、恐らく“破滅型”作家として“誉れ高い”車谷氏しか存在しないのかもしれない。
そうだよなあ。 確かに“なまくら”だよ、この相談者は。
今まで会社一筋に生きて来て、定年が近づいたからと言ってやわら焦りを感じ、老後をかみさんと同じ趣味で生きたい、と急に言われてもねえ。 自分の生活をそれなりに確立しているかみさんの立場としては、そんな話を突然持ちかけられても…、 それは身勝手で考えが甘過ぎるとしか思えないよ。
そんな勝手がまかり通ると思っている男が多いから、熟年離婚が絶えないのさ。
我が亭主の話題をブログ記事でほとんど公開していない「原左都子エッセイ集」であるが、実は我が家でも亭主の定年退職をわずか3年足らず後に控えている。
我が家の場合も晩婚であるが故に、結婚後まだ十数年しか年月が流れていないことも車谷氏と一致しているのかもしれない。そうした背景があるとしても、老後の夫婦円満を突然「夫婦の共通の趣味」に一方的に求められても、妻としては大いに困惑しそうだ。(急に2人で仲良くしようったって、違和感があるよなあ…。)
結論であるが、男性の方々、定年退職後の老後はどうか精神面で自立なさって下さいますように。
夫婦なんて元々“円満”である必要はないと思うんですけど…。 冒頭の“円満”の国語辞典の意味を再読下さい。人間関係においてそもそも“欠点、不足がなく十分に満ち足りること”など絵空事でしかないですよ。
それよりも重要なのは、人間同士の信頼関係ではないでしょうか? それが長い結婚生活期間においてきちんと築かれているならば、たとえ老後であっても、共通の趣味がなくとも、夫婦とは長続きするようにも思うのですけど…。
相談者の退職後のお幸せをお祈りします…。