「生まれ変わるなら男と女、どっちがいい?」
この質問は、朝日新聞土曜版別刷「be」“between"の5月23日(土)のテーマである。
読者からの回答を元に作られているこのコーナーであるが、今回の読者回答の集計を見ると、男性の6割が生まれ変わっても「男」希望で、女性の4割が「女」希望との結果である。そして、女性の34%は「男になりたい」とのことであるらしい。
男性が生まれ変わっても「男」であることを希望している理由を上位から順に紹介すると、
①一人旅や一人暮らしが臆せずできる ②大きな事をやるには男が有利
③組織のリーダーになりやすい ④出産・育児で仕事を中断しなくていい
⑤男にしかできないスポーツをしたい ⑥就職などで有利
等となっている。
同様に、女性が生まれ変わっても「女」であることを希望する理由は、
①比較的自由な生き方を選べる ②出産を経験できる
③生活能力が高い ④化粧やおしゃれを楽しめる
⑤厳しい局面で大目に見てもらえる ⑥きつい仕事を免除してもらえる
等とのことである。
この記事中にも書かれているが、「生まれ変わったら別の性になりたい?」との質問は、「その性で嫌な思いをしたか」という問いの“合わせ鏡”であろう。
そういった観点で我が半生を振り返ってみると、私の場合、女であることが不利となったり、女であるがために嫌な経験をした記憶がほとんどないのだ。
女が男よりも不利な扱いを受ける場面の代表格が、仕事・就職に関する待遇であるようだ。
私事になるが、ウン十年に及ぶ我が人生において様々な職業経験がある中で、私が経験した主たる職業をここで披露すると“医学関係の専門職”と“高校教員”である。この両者共に、私の場合は職場における性差による差別待遇はなかったと言える。
その分、仕事内容にも女であるが故の優遇措置も一切なかった。上記の朝日新聞記事の女性側の回答にあるがごとくの、女だから「厳しい局面で大目にみてもらえ」たり、「きつい仕事を免除してもらえ」るなどという周囲からの甘っちょろい待遇を、私の職業経験においては一切経験してきていない。 独身期間が長かった私は、むしろ、夜遅くまで取り組む必要のある業務を自ら率先して申し出たり、男女を問わず家庭のある職員が敬遠する泊まりがけの出張等にも喜んで出かけたものだ。
その結果、男性が生まれ変わっても「男」がいいとする理由のひとつの「組織のリーダー」も、周囲の男性を押しのけて経験してきている。
加えて、(以下の話をすると“女性解放論”分野の女性達には大いに嫌われそうだが)私は我が人生において、「女」であることを各方面で大いに利用して生きてきているのも事実である。
上記の朝日新聞記事にも、女性が再び「女」に生まれ変わりたい理由の一つとして“化粧やおしゃれを楽しめる”とあるが、この私もまったく同感である。そういった分野にも昔から興味のある私なのだが、これは楽しい♪♪ ファッションの多様性は、やはり女性でなければ味わえない醍醐味であろう。ミニスカートを履いて脚線美(?)を披露できるのは「女」でなければ成し得ない開放感でもある。
その延長線上に女性でなければ就けない職業が世の中に多く存在するのだが、私も30歳代の独身時代に勤労学生として、学業の合間に“コンパニオン”等「女」であることを利用できる職種で、したたかに効率良く稼がせていただいたものだ。
ここまで書いてくると、私が「生まれ変わっても女でありたい」と思う理由において、朝日新聞記事の回答女性達と多少の共通点があれど、その本質が異なることがおわかりいただけることであろう。
この朝日新聞記事のまとめとして、東大大学院で“ジェンダー(社会的性差)論”を教える男性(?)研究者からの論述があるので、以下に少し紹介しよう。
生まれ変わってどちらの性を選ぶかは、その人の人生に対する肯定感を反映する。女性が働き易い社会では自己肯定感も強くなる。 最近の不況で増えている経済的理由による自殺は圧倒的に男性で、男性が悲鳴をあげている。男女の二分法は人間の多様性に照らしてあまりに狭い。
大変申し訳ないが、専門家にしてずい分と悲観的なご意見との私観が否めないため、以下に異論を提示させていただく。
上記朝日新聞記事によると、生まれ変わったら「女」になりたい少数派である男性のその理由として、“大黒柱で一人で立ち向かわなければならない男はつらい“とか、はたまた“男は強くあれ、という目で見られるのは正直つらい”との記載もある。
ちょっと待ってくれよ! 「女」にさえ生まれたならば、弱くても世を渡っていけるとでも思っているのかい??
冗談じゃないよ。
そんな“か弱き男ども”に女の立場から一言申し上げたいのだが、弱音を吐く男を支えるのが鬱陶しいから、美味しいところだけを頂きつつ独身を貫き通しているしたたかな女が、今時多い現状じゃないのかなあ。
「大黒柱」になるのが嫌ならば、「強く生きろ」と言われるのがそれ程辛いのならば、男とて一生独身を貫きつつ、決して自殺などを企てず自分の人生を自己責任でエンジョイすればそれで済む話だろうが。
(それが一人で立派に出来てこそ、世を渡っていけるということじゃないのかい?)
何はともあれ、私はやっぱり「女」がいいなあ♪
この質問は、朝日新聞土曜版別刷「be」“between"の5月23日(土)のテーマである。
読者からの回答を元に作られているこのコーナーであるが、今回の読者回答の集計を見ると、男性の6割が生まれ変わっても「男」希望で、女性の4割が「女」希望との結果である。そして、女性の34%は「男になりたい」とのことであるらしい。
男性が生まれ変わっても「男」であることを希望している理由を上位から順に紹介すると、
①一人旅や一人暮らしが臆せずできる ②大きな事をやるには男が有利
③組織のリーダーになりやすい ④出産・育児で仕事を中断しなくていい
⑤男にしかできないスポーツをしたい ⑥就職などで有利
等となっている。
同様に、女性が生まれ変わっても「女」であることを希望する理由は、
①比較的自由な生き方を選べる ②出産を経験できる
③生活能力が高い ④化粧やおしゃれを楽しめる
⑤厳しい局面で大目に見てもらえる ⑥きつい仕事を免除してもらえる
等とのことである。
この記事中にも書かれているが、「生まれ変わったら別の性になりたい?」との質問は、「その性で嫌な思いをしたか」という問いの“合わせ鏡”であろう。
そういった観点で我が半生を振り返ってみると、私の場合、女であることが不利となったり、女であるがために嫌な経験をした記憶がほとんどないのだ。
女が男よりも不利な扱いを受ける場面の代表格が、仕事・就職に関する待遇であるようだ。
私事になるが、ウン十年に及ぶ我が人生において様々な職業経験がある中で、私が経験した主たる職業をここで披露すると“医学関係の専門職”と“高校教員”である。この両者共に、私の場合は職場における性差による差別待遇はなかったと言える。
その分、仕事内容にも女であるが故の優遇措置も一切なかった。上記の朝日新聞記事の女性側の回答にあるがごとくの、女だから「厳しい局面で大目にみてもらえ」たり、「きつい仕事を免除してもらえ」るなどという周囲からの甘っちょろい待遇を、私の職業経験においては一切経験してきていない。 独身期間が長かった私は、むしろ、夜遅くまで取り組む必要のある業務を自ら率先して申し出たり、男女を問わず家庭のある職員が敬遠する泊まりがけの出張等にも喜んで出かけたものだ。
その結果、男性が生まれ変わっても「男」がいいとする理由のひとつの「組織のリーダー」も、周囲の男性を押しのけて経験してきている。
加えて、(以下の話をすると“女性解放論”分野の女性達には大いに嫌われそうだが)私は我が人生において、「女」であることを各方面で大いに利用して生きてきているのも事実である。
上記の朝日新聞記事にも、女性が再び「女」に生まれ変わりたい理由の一つとして“化粧やおしゃれを楽しめる”とあるが、この私もまったく同感である。そういった分野にも昔から興味のある私なのだが、これは楽しい♪♪ ファッションの多様性は、やはり女性でなければ味わえない醍醐味であろう。ミニスカートを履いて脚線美(?)を披露できるのは「女」でなければ成し得ない開放感でもある。
その延長線上に女性でなければ就けない職業が世の中に多く存在するのだが、私も30歳代の独身時代に勤労学生として、学業の合間に“コンパニオン”等「女」であることを利用できる職種で、したたかに効率良く稼がせていただいたものだ。
ここまで書いてくると、私が「生まれ変わっても女でありたい」と思う理由において、朝日新聞記事の回答女性達と多少の共通点があれど、その本質が異なることがおわかりいただけることであろう。
この朝日新聞記事のまとめとして、東大大学院で“ジェンダー(社会的性差)論”を教える男性(?)研究者からの論述があるので、以下に少し紹介しよう。
生まれ変わってどちらの性を選ぶかは、その人の人生に対する肯定感を反映する。女性が働き易い社会では自己肯定感も強くなる。 最近の不況で増えている経済的理由による自殺は圧倒的に男性で、男性が悲鳴をあげている。男女の二分法は人間の多様性に照らしてあまりに狭い。
大変申し訳ないが、専門家にしてずい分と悲観的なご意見との私観が否めないため、以下に異論を提示させていただく。
上記朝日新聞記事によると、生まれ変わったら「女」になりたい少数派である男性のその理由として、“大黒柱で一人で立ち向かわなければならない男はつらい“とか、はたまた“男は強くあれ、という目で見られるのは正直つらい”との記載もある。
ちょっと待ってくれよ! 「女」にさえ生まれたならば、弱くても世を渡っていけるとでも思っているのかい??
冗談じゃないよ。
そんな“か弱き男ども”に女の立場から一言申し上げたいのだが、弱音を吐く男を支えるのが鬱陶しいから、美味しいところだけを頂きつつ独身を貫き通しているしたたかな女が、今時多い現状じゃないのかなあ。
「大黒柱」になるのが嫌ならば、「強く生きろ」と言われるのがそれ程辛いのならば、男とて一生独身を貫きつつ、決して自殺などを企てず自分の人生を自己責任でエンジョイすればそれで済む話だろうが。
(それが一人で立派に出来てこそ、世を渡っていけるということじゃないのかい?)
何はともあれ、私はやっぱり「女」がいいなあ♪