(写真は、現在 東京渋谷の Bunkamuraザ・ミュージアム にて開催中の「レンピッカ展」のパンフレット 及び 代表作の一つ “ピンクの服を着たキゼット”の葉書より引用)
芸術分野においてド素人の原左都子が、レンピッカという女性画家の存在を知ったのはつい最近の事である。
先だっての朝日新聞の芸術欄で、上記写真右の“ピンクの服を着たキゼット”が取り上げられそれに関する評論が展開されていたのであるが、この絵画を見たことがきっかけで私は画家レンピッカに初めて遭遇したのだ。
(あくまでも私自身の感覚に過ぎないのだが)、その日の朝日新聞一面の端っこにあった 本日の記事紹介 の中で“ピンクの服を着たキゼット”のいとも小さく縮小された絵画の何とも言えない斬新さに引き込まれる思いだった。
早速新聞をめくって芸術ページに辿り着き、ある程度拡大された“ピンクの服を着たキゼット”の絵画を再確認した。
まずは作品に対する論評を読まずして、私はこの絵は近年活躍中の若い画家が描いた作品なのだろうか? との感想を抱いた。 その理由の第一点として、描かれている少女の体型が現代風の八頭身であり、少女が身に付けているミニスカートの上下の衣装や靴下、そしてヘアスタイルが今風であるからだ。 加えて、描写手法が現代の“漫画”や“イラスト”風であるようにも感じたのだ。 何分美術ド素人の私は愚かにも、当初この作品が“油絵”であることにまったく気付かなかった。
その後この絵画に関する新聞の論評を読んで、さらに驚かされることになる。
この“ピンクの…”の絵画の作者はレンピッカという女性画家であり、何と1926年、すわなち今から84年も以前に描かれた作品だったのだ! しかも論評によると、この絵に描かれている少女はレンピッカの年端も行かない(確か16歳時点の?)“実の娘”であるとのことだ。
女性画家レンピッカは(既に自分が当の昔に過ぎ去った)16歳という我が娘の若さを羨望、嫉妬しつつ、その娘の挑発的な視線と片足抜いた靴に性的意味合いも匂わせながら、少女から大人の女へと移り変わる少女の一面をこの絵で描いたということである…
しかもレンピッカ自らがモデルとしての人生を歩む中、画家としてのレンピッカがその生涯に渡って描いた女性の肖像画は上記の実娘キゼットの肖像画も含めて、実はすべて自画像であった、との朝日新聞の論評でもあるのだ。
これは、レンピッカの作品をこの目で実際に確認せずには済まないと思った私は、昨日(5月3日)、“ピンクの…”に描かれたキゼットと同じ年頃の我が娘を引き連れて渋谷の Bunkamura まで向かったといういきさつである。
ここで遅ればせながら 画家 レンピッカ(タマラ・デ・レンカッピ)氏の略歴を簡単に紹介することにしよう。
ワルシャワの良家に生まれ、ロシアで思春期を過ごし18歳で結婚。ロシア革命を機にパリへ亡命し、“狂乱の時代”とも呼ばれた1920~30年代のパリで、独特の画風とその美貌で一世を風靡する。その後、第二次世界大戦の脅威の中アメリカに亡命。一時完全に忘れ去られるが、晩年再評価され82歳でその劇的な人生を終えた。自分の魅力と才能を武器に自らを貫いた「セルフプロデュース」の女王である。
(以上、今回の「レンピッカ展」パンフレットより全文引用。)
さて、「レンピッカ展」を鑑賞した原左都子の第一印象は、とにかく作品の数が多いことに唸る思いだった。 レンピッカ氏が82年の生涯に渡って制作した作品の中から、今回の展覧会に出品されているのはその一部に過ぎないであろう。 この事態を考察しただけでも、画家レンピッカ氏が如何に美術特に絵画を愛しその制作に多大な時間を捧げたかを慮る私である。
しかも、レンピッカ氏はその美貌故にモデル業もこなし、当時としては珍しく自分で車を運転する等積極的に諸活動に励んでいたとの情報でもある。
そして、結婚も経験して愛娘キゼットを産み愛育している。 レンピッカ氏は愛娘キゼットの肖像作品を多数残しているのだが、冒頭の左側のパンフレット表紙に取り上げられている絵画はキゼット娘時代の妖艶な姿である。 (絵画題名“緑の服の女”)
今回原左都子が「レンピッカ展」を鑑賞しての最大の収穫として感慨深い事象は、レンピッカ氏が82年の人生の最後の最後まで絵画制作に励んだことであり、また、その最後まで美しい女性であり通したことである。
それを証明するごとく、モデルでもあったレンピッカ氏の多くの写真が絵画と共に展示され影像も放映されているのが今回の展示会の特徴でもある。
例えば、レンピッカ氏の愛娘であるキゼットの、おそらく30代か40代頃の肖像画もこの展覧会で展示されているのだが、申し訳ないが私の目にはその肖像画に描かれているのは、ちょっとデブった“ただのおばさん”の姿でしかなく、そこには既に“女”のキゼットは存在しない。
それに比し、レンピッカ氏自身の晩年の姿は(展示されている写真で考察するに)80代にして尚、実に美しいのだ。
以上のごとくのレンピッカ氏80余年の長き人生に渡る“美”への執念が、朝日新聞が論評しているところの“作品のすべてが実は自画像であったと考えられる”との表現に象徴されるような、ある意味では“ナルシシズム”とも捉えられるごとくの絵画を通した“美”への挑戦だったのではなかろうか。
生涯に及ぶ自らの“美”への揺ぎない執念のエネルギーこそが、 裕福な家に生まれたとは言えどもその後激動する世界情勢に巻き込まれ狂乱の時代に生きることを余儀なくされる中にあって尚、レンピッカ氏の豊かな絵画の世界を創り上げたものと、 昨日「レンピッカ展」を垣間見た私は考察するのである。

芸術分野においてド素人の原左都子が、レンピッカという女性画家の存在を知ったのはつい最近の事である。
先だっての朝日新聞の芸術欄で、上記写真右の“ピンクの服を着たキゼット”が取り上げられそれに関する評論が展開されていたのであるが、この絵画を見たことがきっかけで私は画家レンピッカに初めて遭遇したのだ。
(あくまでも私自身の感覚に過ぎないのだが)、その日の朝日新聞一面の端っこにあった 本日の記事紹介 の中で“ピンクの服を着たキゼット”のいとも小さく縮小された絵画の何とも言えない斬新さに引き込まれる思いだった。
早速新聞をめくって芸術ページに辿り着き、ある程度拡大された“ピンクの服を着たキゼット”の絵画を再確認した。
まずは作品に対する論評を読まずして、私はこの絵は近年活躍中の若い画家が描いた作品なのだろうか? との感想を抱いた。 その理由の第一点として、描かれている少女の体型が現代風の八頭身であり、少女が身に付けているミニスカートの上下の衣装や靴下、そしてヘアスタイルが今風であるからだ。 加えて、描写手法が現代の“漫画”や“イラスト”風であるようにも感じたのだ。 何分美術ド素人の私は愚かにも、当初この作品が“油絵”であることにまったく気付かなかった。
その後この絵画に関する新聞の論評を読んで、さらに驚かされることになる。
この“ピンクの…”の絵画の作者はレンピッカという女性画家であり、何と1926年、すわなち今から84年も以前に描かれた作品だったのだ! しかも論評によると、この絵に描かれている少女はレンピッカの年端も行かない(確か16歳時点の?)“実の娘”であるとのことだ。
女性画家レンピッカは(既に自分が当の昔に過ぎ去った)16歳という我が娘の若さを羨望、嫉妬しつつ、その娘の挑発的な視線と片足抜いた靴に性的意味合いも匂わせながら、少女から大人の女へと移り変わる少女の一面をこの絵で描いたということである…
しかもレンピッカ自らがモデルとしての人生を歩む中、画家としてのレンピッカがその生涯に渡って描いた女性の肖像画は上記の実娘キゼットの肖像画も含めて、実はすべて自画像であった、との朝日新聞の論評でもあるのだ。
これは、レンピッカの作品をこの目で実際に確認せずには済まないと思った私は、昨日(5月3日)、“ピンクの…”に描かれたキゼットと同じ年頃の我が娘を引き連れて渋谷の Bunkamura まで向かったといういきさつである。
ここで遅ればせながら 画家 レンピッカ(タマラ・デ・レンカッピ)氏の略歴を簡単に紹介することにしよう。
ワルシャワの良家に生まれ、ロシアで思春期を過ごし18歳で結婚。ロシア革命を機にパリへ亡命し、“狂乱の時代”とも呼ばれた1920~30年代のパリで、独特の画風とその美貌で一世を風靡する。その後、第二次世界大戦の脅威の中アメリカに亡命。一時完全に忘れ去られるが、晩年再評価され82歳でその劇的な人生を終えた。自分の魅力と才能を武器に自らを貫いた「セルフプロデュース」の女王である。
(以上、今回の「レンピッカ展」パンフレットより全文引用。)
さて、「レンピッカ展」を鑑賞した原左都子の第一印象は、とにかく作品の数が多いことに唸る思いだった。 レンピッカ氏が82年の生涯に渡って制作した作品の中から、今回の展覧会に出品されているのはその一部に過ぎないであろう。 この事態を考察しただけでも、画家レンピッカ氏が如何に美術特に絵画を愛しその制作に多大な時間を捧げたかを慮る私である。
しかも、レンピッカ氏はその美貌故にモデル業もこなし、当時としては珍しく自分で車を運転する等積極的に諸活動に励んでいたとの情報でもある。
そして、結婚も経験して愛娘キゼットを産み愛育している。 レンピッカ氏は愛娘キゼットの肖像作品を多数残しているのだが、冒頭の左側のパンフレット表紙に取り上げられている絵画はキゼット娘時代の妖艶な姿である。 (絵画題名“緑の服の女”)
今回原左都子が「レンピッカ展」を鑑賞しての最大の収穫として感慨深い事象は、レンピッカ氏が82年の人生の最後の最後まで絵画制作に励んだことであり、また、その最後まで美しい女性であり通したことである。
それを証明するごとく、モデルでもあったレンピッカ氏の多くの写真が絵画と共に展示され影像も放映されているのが今回の展示会の特徴でもある。
例えば、レンピッカ氏の愛娘であるキゼットの、おそらく30代か40代頃の肖像画もこの展覧会で展示されているのだが、申し訳ないが私の目にはその肖像画に描かれているのは、ちょっとデブった“ただのおばさん”の姿でしかなく、そこには既に“女”のキゼットは存在しない。
それに比し、レンピッカ氏自身の晩年の姿は(展示されている写真で考察するに)80代にして尚、実に美しいのだ。
以上のごとくのレンピッカ氏80余年の長き人生に渡る“美”への執念が、朝日新聞が論評しているところの“作品のすべてが実は自画像であったと考えられる”との表現に象徴されるような、ある意味では“ナルシシズム”とも捉えられるごとくの絵画を通した“美”への挑戦だったのではなかろうか。
生涯に及ぶ自らの“美”への揺ぎない執念のエネルギーこそが、 裕福な家に生まれたとは言えどもその後激動する世界情勢に巻き込まれ狂乱の時代に生きることを余儀なくされる中にあって尚、レンピッカ氏の豊かな絵画の世界を創り上げたものと、 昨日「レンピッカ展」を垣間見た私は考察するのである。




