原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

父と母の感情の狭間であえぐ子ども…

2010年05月18日 | 人間関係
 子どもとは父母双方の影響力を大いに受けながら日々成長していくものであることを実感しつつ、我が子と接する毎日である。

 父母両人が存在するにもかかわらず、もしもある家庭内においてそのうちの片方の影響力が多大であり過ぎる環境で子どもが育ってしまったとしたら……
 子を持つ親としてそんな事態に思いを馳せる今週の朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談であった。


 それでは早速、朝日新聞5月15日別刷「be」“悩みのるつぼ”に寄せられた10代の女子高生からの 「父親が大嫌いです」 と題する相談を以下に要約して紹介しよう。

 10代の女子高生であるが、父の休日は食べる、寝る、テレビの繰り返しで、他のことは何ひとつやらない。 仕事は自営業だが、一日中テレビがついているようで仕事をちゃんとしているのか不審である。 父は50歳にして携帯依存症でもあり、夜遅くまで携帯をいじっている。 私は物心ついた時から父が嫌いで、母には「お父さんみたいにならないように」と育てられてきている。 父への感謝の気持ちがないどころか、老後の面倒をみる気もなく、のたれ死ねばいいと思っている。 母は父との結婚は失敗だと言っているし私も離婚して欲しいが、経済的なことを考えると無理だ。 父がいる休日はイライラして、死んで欲しい、殺したいという気持ちが強くなる。 虐待でもされれば訴えられるのにと思いつつ、休日は泣いて過ごしているがどうすればよいのか。


 私論に入ろう。

 家で休日を過ごす場に父親と居合わせただけでその父親を殺したいとまでの嫌悪感を抱いてしまう程に苦悩しているこの女子高校生を、同年代の娘を持つ母である原左都子としては、とにもかくにもその地獄から救い出したい思いである。

 女子高生の相談を読むに、相談者の父親はどうやら普段我が子である娘との接触がまるでなさそうである。 これ程に父親業放棄の現状では、娘から疎んじられてもやむを得ない状況下にあろう。 ところが娘から「殺したい」とまでの感情を抱かれてしまっているとなると、もはやこれは捨て置けない事態だ。
 ただ、この相談内容から少し救われる思いがするのは「虐待でもされれば(父を)訴えられるのに…」とのくだりである。 と言うことは、この父親は少なくとも今まで相談者である娘を虐待した経歴はなさそうである。(“ネグレクト”という意味での虐待は存在し得るのかもしれないが。)

 この種の相談の場合、相談者の母親の言動に関しても分析するべきであろう。
 そうした場合、大いに気に掛かる言動が母親側にも存在するのだ。 娘が物心ついた頃から早くも 「お父さんみたいにはならないように」 と吹聴しつつ娘を育て、娘に面と向かって 「この結婚は失敗だ」 と明言しているとのことである。
 
 ここで私事を少し述べると、我が母にも子育てにおいてその種の過ちを犯した部分が大いにあったことを私は記憶している。 少し前の時代のこの国において「家」概念が尊重されていた歴史が存在したのだが、我が母は私が幼き頃から嫁ぎ先の父の「家」の不備を挙げ連ねて、自分が結婚前に育った「家」こそが優位に立っていることを私に吹聴し続けていたのだ。
 幼き私はそれを“真に受けて”育ったとも言える。 “母方の家系が優位”だから、母の教えに従った方が私は得策である、等々と母から幼心に調教されたと表現しても過言ではない。
 母のその過ちに気付いたのは私が成人して独り立ちして以降の事であろうか。 それ程までに、片親側からの幼な子に対する“吹聴力”とは絶大なのである。
 上記の相談内容を振り返ると、相談者の母親が娘幼少の頃に発した「お父さんみたいにならないように」との発言と、我が母の“「家」の優位”が重複して辛い思いである…

 さらに相談者の母親の場合、娘に向かって「この結婚は失敗だ」とまで断言している様子だ。
 これはどう考察しても母側の落ち度である。
 相談者の父親が未だ50歳とのことは「家」制度のみで婚姻が縛られていた時代にやむなく結婚した訳でもあるまいに、何故にその妻が自分自身の結婚の失敗を年端も行かぬ娘に暴露して娘を苦しめるのか。 たとえ自分達の結婚が失敗であるとしても、それに関して何の責任もない娘へそれを吹聴する以前の問題として、夫婦間で話し合いを持ち「離婚」に踏み切るという選択肢も存在するであろうに…。 
 (相談者の相談内容から察して) 結局はこの相談者の母親である妻が(プー太郎気味の)自営業の夫に頼るしか経済的に生き延びられない状況にあるが故にそのプー太郎に依存しているのであれば、決して娘に「夫(娘の父)との結婚は失敗」などとホザける筋合いもない筈でもあろうに…。


 さて、今回の“悩みのるつぼ”の回答者は「原左都子エッセイ集」でおなじみの 評論家 岡田斗司夫氏であられる。 今回の岡田氏の回答内容は、原左都子の私論と接触する部分が多いのだ。
 岡田氏は解答欄で、 母はいつも「お父さんみたいにならないで」と言うが、娘に対しては「お母さんのようになってはダメ」と言うべきだ、と明言されている。 (以下は岡田氏の回答からの引用になるが) 本当に最悪の父ならなぜ母は離婚しないのか? それは自分の言い分を信じる娘がそこに存在するからだ。それを利用して、母とは日々自分のストレスを娘にぶつけてその犠牲の上に暮らしている。 人間は弱い。誰かの愚痴や文句を言わねば暮らしていけない。 母の不幸は家に閉じ込められ視野が狭いことだ。この悪の連鎖をあなたが切ってあげるとお母さんの世界も広がるが、それが難しいならば、あなただけでも逃げるといい。たった3人家族で2人が悪口を言い合っている家は地獄だ。


 現在の我が家もこの相談者家族と同様、父母と高校生の娘の3人家族である。
 しかも、実質上一家を牛耳っている母である私の存在観が極めて強い家庭である。 決して岡田氏が回答で述べられているがごとくの(夫婦)2人で悪口を言い合っている家庭ではないのだが、どう考察しても父親の存在感が軟弱と言えるよな~~ 

 でも、私は思うよ。 「原左都子エッセイ集」のバックナンバー「家を出て、親を捨てよう」でも既述しているが、子どもとは(今の時代においては男女を問わず)いずれは家庭から育ちゆく人材であるべきだ。 たとえ家庭内に如何なる歪んだ諸事情が存在しようが、その種の歪みとは子どもの自立を促す原動力にもなり得るものである。(私だって、それで単身東京に旅立って自立したとも言えるしね~~  
 そういう意味では、この相談女子高生も家庭内の不調和を自らのエネルギーに転化することにより(岡田氏も述べておられるように)今後自立の道を探れるといいね。
          
Comments (4)