原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

トイレに閉じ込められる恐怖

2010年05月02日 | 医学・医療・介護
 「原左都子エッセイ集」のバックナンバー 「若田さんの帰りを待つ女」 において既述しているが、私には若干“閉所恐怖症”のきらいがある。
 “閉所恐怖症”あるいはそれと類似の症状のある人間にとっては、“閉所”の密室度の高さと狭さに比例してその恐怖心が募るのではあるまいか。
 日常生活におけるその最たる場所の例として、トイレの個室や窓のないエレベーター等が挙げられるのかもしれない。

 連休中に相応しい話題とは到底思えないのだが、今回の記事では“トイレに閉じ込められた話”を取り上げることにしよう。


 きっかけは4月29日朝日新聞「声」欄の投書である。
 「トイレのドア開かず悪戦苦闘」と題する投書を朝日新聞に寄せた56歳主婦の方は、トイレに閉じ込められて尚果敢な行動を取られたようである。 早速その内容を以下に要約して紹介しよう。
 築18年の自宅のトイレに結局3時間閉じ込められた。 とりあえず大声で助けを求めたところ、上の階で音楽を聴いていた家人が45分後に気付いた。 回らないノブを外すことになり、トイレの窓から家中のドライバーを差し入れてもらった。だが容易には開かない。 その後ネジまわしや金ノコも動員し悪戦苦闘を繰り広げラッチ部分の金属を切ること1時間、やっとドアは開いた。 もし一人暮らしだったら、体当たりでドアを破って脱出するしかないのだろうか。お年寄りにそれが出来るのか。日常生活の中に思わぬ危険が潜むことを痛感した。


 私論に入るが、いや~~、まずは3時間密室で一人で闘い抜いた果敢な56歳主婦に敬意を表したいものだ。
 身内の方が在宅しておられたことがまずはラッキーだった。 そして、相談者の主婦がトイレから助けを求めていることに気付いてくれたことも運が良かった。 はたまた、トイレに窓があったことも功を奏した。
 それにしても、よくもまあ密室のトイレ内部でご自身の力でドアをこじ開けられたものである。その勇敢な行動に頭が下がる思いである。


 冒頭に記した通り“閉所恐怖症”のきらいのある私は、長~~い独身の頃に一人暮らしの自宅のトイレを使用する際、ドアを閉めたことがない話は既にバックナンバーで暴露している。 窓のない密室に閉じ込められる恐怖心が我が精神構造上元々顕在していたためである。

 そんな私も、外出中に短時間ではあるが何度かトイレに閉じ込められた経験がある。
 20代の頃、行きつけのディスコでこれを経験している。 個室のドアがどうしても開かない。大声で助けを呼ぶのだが、何せ大音量のディスコの喧騒がトイレ内にも押し寄せていて声が外部に届かないようだ。 これは自分でドアをこじ開けるしか手段はないと腹をくくり、酒の勢いも借りて一人で悪戦苦闘した。 その間、10分程だったのだろうか。 何かの拍子にドアが偶然開いたのだ。 まさに命拾いした思いだった。
 その後、この行きつけのディスコにまた訪れたのであるが、私としてはもはや“その個室”のドアが開きにくいことは心得ていた。 (今思えば、その女子トイレの個室のドアが開きにくい事をその時早急に従業員に伝えておくべきだったのだが…)  やはり“犠牲者”が出たのである。 私が洗面台で化粧直しをしている背後で、「助けて下さい! ドアが開きません!!」と叫ぶ女性の声が個室内から響いてくるではないか!!  すぐさま、「分かりました!一緒に開けましょう!」と叫び返し、私は外からドアを開けるのを手伝った。 内外から2人でガタガタドアを揺すっている時、またもや偶然にドアは開いた。 個室から出てきた女性は泣く泣く「ありがとうございました… 助かりました…」と丁寧にお礼を述べて去って行かれた…
 (当時若気の至りの私がドアの不具合を店側に伝えなかった点において大いに落ち度があったことは認めるが、飲食店経営者の方々、トイレのドアの開閉チェックはくれぐれも入念にお願いしたい思いである…)

 月日は流れ、我が子が幼稚園児だった頃の出来事である。 子どもと共に訪れていたある公的施設で私は女子トイレに入った。 今回の場合、個室ではなく女子トイレから出ようとしたらその入り口のドアが開かないのだ。 個室内とは異なり、女子トイレ自体は広々としているのに加えて窓もある。しかも日中の時間帯であるため窓から太陽光線も入ってきている。 このシチュエーションにおいて、いくら“閉所恐怖症”気味の私であれど、もし私が一人でここを訪れているのであれば、化粧直しでもしつつ次にトイレに入ってくる人を待てば済むとの判断力はある。
 ところが今回私が焦ったのは、可愛い我が子を同行していた知人に預けた状態で我が身一人でトイレに入っていたことである。 母の私に対する思いが強い我が子の心理を慮っていたたまれず私は叫んだのだ。 「ドアが開きません! 助けて下さい!!」  そこにやってきた職員の(何をいい大人がこんなところで大袈裟に大声を出してるの…)とでも言いたげな冷淡な対応に、すっかり意気消沈した私であった…
 その後は何があろうと幼き我が子を決して人には預けず、トイレの個室にも連れ込む期間が長引いてしまった我が母子である…


 今尚、繁華街や行楽地等のトイレにおいて、ドアの開き閉めの不具合に少なからず遭遇する私である。
 これに関しては、ドアの開け閉めの構造を“簡易”にすることこそが最善かつ経費も要しない対策であるように考察するのだが…  学校や劇場のトイレのように、ロックをワンタッチ方式にするとよもやの故障の際にも手立てが取りやすいのではなかろうか。

 建物の表舞台ではないトイレやエレベーターの清掃をはじめとする“クリーン作戦”に関しては、ずい分と進化している様子が伺える昨今ではある。
 それと同時に、“閉所恐怖症”等弱者への配慮の観点から、どうかトイレやエレベーターが密室状態とならないような守備点検も重ねてお願いしたい思いの原左都子である。 
              
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