原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

モテない息子の教育法

2011年04月11日 | 恋愛・男女関係
 震災関連の記事が続いているが、少し息抜きに今日は久々の恋愛関連記事を綴ることにしよう。


 朝日新聞4月9日別刷「be」“悩みのるつぼ”は、28歳にしてまったく女っ気のない息子を嘆く50代母親からの相談だった。

 同じく(娘ではあるが)子を持つ50代の母親である原左都子としては、相談者の息子さんは既に28歳にもなっているのだから、本人に女っ気がなかろうがどうであろうがもう放っておけばいいのではないのか?? と思いつつ、以下に相談内容を要約して紹介することにしよう。 

 大学進学で親から離れて10年になる28歳の息子がいる。 昔から女の子にモテない引っ込み思案で、背格好は普通の地味で目立たないイケテナイ男子である。私が知る限りでは今まで彼女は一人もいない。大都会の企業で働いているが満足な給料はもらえていない。同級生には既に親になった人もいるのに、いまだ彼女をつくれない息子を見ると地団太を踏む。28歳でまだ童貞なのか、性欲の処理はしているのかの心配もする。 女性経験を持つと、おしゃれに目覚め下着にも気を使ったりするというが、帰省する息子のダサさは相変わらずで、はき古したトランクスを洗濯するたびこの子の下着を洗ってくれる女の子は一生現れないのかと情けなくなる。 陰で遊んでくれていたらとさえ思う。 女狂いの息子に困り果てる親もいるのだろうが、せめて30歳までには人並みにチェリーボーイだけは卒業して欲しいと願う。こんな母親は私だけなのだろうか?



 早速、原左都子の私論に入ろう。

 17歳という未だ思春期から抜け出ていない“番茶も出花”時期の一人娘を持つ母親の身とすれば、親の目から見ても肌や体が“ピチピチ、プルンプルン”の危なっかしいお年頃の娘に、得体の知れない変な男から唾をつけられたら大変!!  その種のバリアーを張りたい思いしか抱けない現実である。
 加えてもしも我が娘が大学進学を目前に控えたこの大事な時期に、“妙な男”のせいで道を踏み外すなどはもっての他! との懸念もある。

 この種の懸念は「娘」を持つ親の身として共通なのではあるまいか。
 原左都子も我が娘が幼い頃より”女ゆえの失敗”を連想しては頭を悩ませて来たと振り返る。 例えば、もしも娘から高校在学中に“妊娠しちゃった”などと訴えられたものならばたまったものではない。 その種の“失敗”のみは親の責任として是が非でも回避せねばならぬと肝に銘じて、娘の“男教育”をしてきているとも言える。
 と言うのも、特に女性の場合は妊娠・出産が後々の人生に及ぼす影響力が多大である。わずが十代でそれを経験してしまう事により、後々の長い人生の選択肢が大幅に狭まる事が目に見えているのだ。 我が娘には人生の選択肢を狭めることは避けてやりたい意味合いで、親である原左都子としては娘の恋愛に関して慎重にならざるを得ないのだ。


 それでも、人間とは“男っ気(女っ気)”があるに越した事はない。 これは人間にとってその人生を大いに豊かにしてくれる根源であることに間違いないからである。
 若かりし時代に結婚願望や子育て願望がほどんどなかった原左都子であるが、思春期の早期からどちらかに分類するならば“男好き、恋愛好き”人種であると結論付けられることを認める。 自分の意思で晩婚を選択したものの、我が人生における“数多い恋愛経験”は今尚私の血となり肉となって我が人格を創り上げてくれていると自負しているのだ。

 そんな私は、当然ながら我が娘にも是非共人生において“恋愛”を経験して欲しいと考えている。 そのための娘に対する“女磨き”教育は、サリバン(原左都子のことです)の学習教育と平行して早期より開始している。
 恋愛とは何と言っても男女が出会うチャンスがなければ始まりもしない性質のものであろう。 男女が出会うきっかけとは綺麗事を押し並べたところで、これはどう考察してもその“外見”から始まってしまう運命にあるのではなかろうか?
 そこで私は娘に対し、幼き頃から“体型の維持”を一貫して教育し続けている。もちろん人の体型とは先天的要因からも千差万別であるのは致し方ないとしても、個々に応じた健康管理を徹底することで一生を通じて自分なりの理想体型を保てるはずなのである。
 人間の“顔のつくり”に関しては整形手術でも施さない限りアプリオリ人生を余儀なくされるのかもしれないが、体型維持に関しては個々の努力次第でいくらでもコントロール可能なはずだ。
 それに加えて、現代は美容や服飾分野の芸術文化が目覚ましく発展している。 これを“女磨き(男磨き)”に利用しない手はない。 我が娘に関しても幼き頃から“お洒落”を志すことをサリバン(私のことです)が徹底して教育して来ている。 制服の時はともかく、私服で外出する時には頭のてっぺんからつま先に至るまで必ずトータルコーディネートをするべきだとの私の“教え”に従って、自分で工夫をしている我が娘である。

 “健康体型”とある程度の“お洒落要因”が整ったならば、人間まずは“モテない”人種には分類されずに済むというものであろう。 何故ならば、この種の分野とて日々の弛まぬ努力の積み重ねであり、それは自らの人格形成の一部として内面に蓄積される所産であると捉えるからである。


 さて、話を“悩みのるつぼ”の相談に戻そう。

 この相談者である50代のお母様は、28歳の息子さんと日頃健全なコミュニケーションが取れているのであろうか? 原左都子はこの息子さんにお会いした事がないため実態が把握できないのであるが、息子さんはお母上の心配にもかかわらず大都会で自分なりに立派に生き抜いている様子が伺える気もするのだ。

 仮に息子さんがお母上に“彼女ができないよ~”などと泣きつくことこそが悲惨で、目も当てられないと言うものであろう。
 今時、彼女が見つからない独身男性など世に捨てる程存在すると言うものだ。
 家を出て10年が経過した息子さんに一見“女っ気”がないことを感じ取ったお母上の立場として、息子さんが将来ゲットするであろう女性に対し一体全体何の“見返り”を求めているのであろうか??
 本気で息子さんの“女っ気”に期待していたのであれば、親として息子さん幼少の頃よりそれ相応の教育をなすべきであったはずだ。
 その努力もせずして息子さんに“女っ気”を求める貴方の方にこそ、何らかの“恋愛・男女関係”の偏りがあるのではないかと考察する原左都子である。
 

 (参考のため、今回の“悩みのるつぼ”の回答者は過去において「原左都子エッセイ集」にコメントをお寄せ下さいました 評論家の岡田斗司夫氏であります。
 今回の原左都子の記事内容とは一味も二味も異なる興味深いご見解を“現在独身者であられる?”立場から岡田氏が上記朝日新聞の回答欄で述べておられますので、朝日新聞記事をご参照いただければと存じます。)
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