原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ビワの木に実が実りました!

2011年04月29日 | 雑記
 (写真は、我が家のビワの木。 今年初めて実が実りました!)

 我が家ではビワの木をベランダにて鉢植え状態で育てている。 写真が不鮮明だが、上部に小さい実を3個付けているのがお分かりいただけるであろうか?


 このビワの木を、一体どういう経緯で大都会のマンション住まいの我が家にて育てる事に相成ったのかについてまずは話そう。

 実は今を遡る事8年前の初夏にスーパーで買い求めたビワの実を食べた後、その種を我が娘がベランダの鉢に4個蒔いたのである。
 まさか芽を出すとは思っていなかったところ4個の種すべてが芽を出し、まさかその後育つと思っていなかったところ4本ともすくすくと育ち、毎年大きな葉を付けその葉を年々入れ替えつつ、今や最高で130cmの高さにまで成長している。

 そして、まさか花が咲くとも思ってもいなかったところ、昨秋一番大きく育っている木に30程の白い花が咲いたのだ! 
 我が家が自然栽培(単に水だけやって放ったらかしていると言う意味ですが)で育てたビワの木が来年の初夏には実を結び、一家で食することができるぞ!と期待していたところ、その期待通り現在実が大きくなっている最中という訳である。

 このまま3個の実が大きくなってくれたら一人一個ずつ食べられる計算だが、おそらくさほど大きくは熟さないであろうと原左都子は見ている。 と言うのも、既に巷の街の店先ではビワの立派な実が販売されている。 我が家のビワの木の場合、樹木の太さが最大でせいぜい2cm程度とか細い。 その木に見合った実を実らせるのが精一杯ということであろう。
 どのような小ささであれ、今年初めて結んだ実が黄色く熟する事を楽しみにしていよう。

 それにしても、「桃栗3年、柿8年」と言うが、ビワは8年にして実を結ぶ樹木であることを今回体得した思いである。 我が家のスリムなビワの木は、来年以降も花を咲かせ実を結ぶのか?今後の楽しみにとっておこう。


 さて、原左都子が大都会東京に於いて何故自宅でメダカを飼ったり、狭いベランダでビワを育てたりしているのかに関して、ここで私なりにその我が行動のルーツを自己分析して少し説明することにしよう。
 私が幼少の頃に育った父系の実家は元々梨農園を経営していた名残で、家屋の敷地内に数多くの果樹等の樹木が育っていた。 私の記憶によるとその頃の家屋敷地内には、みかん、夏みかん、渋柿、グユミ、イチジク、ざくろ等々、沢山の果樹木が生育していて毎年その樹が育む果実を食して育ってきたともいえる私である。
 ビワに関しては自宅内には植生していなかったのだが、隣家のビワの大木が我が家の敷地内にもその枝を伸ばし、たわわに実っていたことを記憶している。
 その頃の日本(特に過疎地域)は、隣家に伸びた枝でもめることなどない平和な時代であった。 毎年毎年お互いの敷地内に育った果実を含む植物等を“物々交換”しつつご近所同士の友好が健全に築かれている時代背景だったものだ。
 我が家の“イチジク”や“ざくろ”の一風変わった味や柑橘系の酸っぱさは苦手だったものの、隣家のビワに関しては子供心にその甘さや独特の香りを好んだものである。
 大人になり上京して以降も原左都子にとってあの頃食したビワの味が忘れられず、それを買い求める機会は多かった。 それを我が娘にも毎年食べさせていたところ、娘が種を植える行動に至ったといういきさつである。


 我が家には、現在ベランダに大小様々な鉢が10鉢程ある。 今の住居に引越した当初はその倍の20鉢程あったのだが、台風等の強風の都度飛ばされないよう室内に片付ける作業が煩雑なため、少しずつ減らしていって現在はこの数である。
 その鉢に、すべて“自然栽培”(この意味に関しては上記を参照下さい)にて、ビワ以外の植物も栽培している。 
 例えば、我が娘が小学校1年生の時に学校の校庭で拾って来た(おそらく“夕顔科”と思しき)植物の種を我が家の鉢に蒔いたところ芽を出し、今に至るまで毎年6月頃から10月頃までショッキングピンクから白色色調の花を毎日咲かせて楽しませてくれている。
 それから、やはり娘が友人から貰って来た“風船かずら”の種は、天然にハート模様にデザインされていて実に可愛い。  この種を娘が貰ったその年に早速鉢に蒔いたところ、成長して黄緑色の風船型の可愛い実を結んだ時には母娘共に感激したものだ。 その実から種を毎年収穫しておき、ちょうど今頃の季節にベランダの鉢に蒔くのだが、年々の気象状態にも左右されつつ毎年種が収穫できるのはうれしいものだ。
 娘が、学校から配布された“ほうずき”も翌年に真っ赤な実を結んだものだが、これはさすがに我が家の“自然栽培”方式では次の年には芽さえ出ず、枯れ果てる運命にあった…


 植木・盆栽や家庭菜園のご趣味があられる方々にとっては、我が家の集合マンションのごとく狭いベランダで展開されている“水だけ与えて後は放ったらかし”の「自然栽培」など、とんでもない話と思われるであろう。

 ただ、それでも植物という生命体が命を育みその命を後世に継続している姿を我が家で垣間見れることが何とも愛おしく、私は今後も自己流「自然栽培」で育つ力が在る植物を自宅で育て続けることであろう。 
                      
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