原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

リズミカル に タッチタイピング♪

2011年04月27日 | 自己実現
 少し前の話になるが、我が郷里の80歳に程近い母が「パソコンを習ってみようかなと思う」と言う。 「それはいい考えだよ!」と賛同したところ、早速年寄り向きの“パソコン体験教室”か何かに参加したようだ。 
 ところが一回体験して来ただけで「やっぱり年寄りには無理だからやめる」とのことだ。
 どうやら、キーボード入力に大いなるアレルギー感を抱いたのが第一の理由のようだ。

 ずっと若返って原左都子と同年代の複数の女性が、やはり同趣旨の言葉を口にするのを聞く機会も多い。
 どうしてもキーボード入力が億劫であるが故に自然とパソコンからは遠ざかってしまい、専ら携帯を利用しているとのことで、それらの相手からはいつも携帯メールが届く。 私などまったく逆で、未だに携帯文字入力が大の苦手であるため、外出緊急時以外は通信をパソコンに頼っているのが現状である。


 パソコンのキーボード入力に関しては、「習うより慣れた」人種が大多数なのではなかろうか?
 私の場合おそらく少数派に属するのであろうが、過去においてキーボード入力をわざわざ「習った」人種である。

 本エッセイ集のバックナンバー「資格は取りゃいいってもんでもないが…」において既述しているが、私がキーボード入力を習ったのは今から30年程前、20代半ば頃の事であった。
 当時従事していた医学関係の仕事において、業務上の要請でワークシート出力のためのコンピュータのプログラミングをする機会があった。 FORTRAN はともかくCOBOL はプログラムの入力文字数が多いのに難儀したのがきっかけで、キーボードのJIS配列をマスターしたいがために 英文タイプ2級 の資格を取得したのである。 (あの時、20代という若さにして文字入力に大いに難儀した記憶がある私は、現在80歳近い母の“キーボードアレルギー”を十分理解できる思いだ。)

 当時はパソコンなどほとんど存在しない時代であった。 ワープロでさえまだ出回り始めた頃で一般には普及していなかった。 そこで私は“英文タイプ”を通じてJISキーボードをマスターすることを企て、仕事帰りの夜遅く来る日も来る日もビジネススクールの英文タイプ科に通ったのである。 集中力のある(??)私の上達は早く、通い始めてまもなく英文タイプ検定3級試験に合格した。 3級程度の腕前を養っておけば一生キーボードを打てるとの情報もあったのだが、更なるスピードアップを目指して検定2級まで取得した原左都子である。
 
 この我がタイピング技術力はコンピュータプログラム入力に留まらず、後々の我が人生において大いに重宝している。

 その後、世の中はワープロにて文書を作成する時代に移り変わる。
 ローマ字入力でいくらでもバシャバシャとキーボード入力できる私は、専門の医学分野のみならず文書作成においても職場で重宝がられたものである。
 そして30代後半にして高校の商業科教諭となった私は、「ワープロ」の授業も担当した。 当時の私の専門分野は「経営法学」だったのだが、上記のごとく過去の職業経験においてコンピュータプログラミングを経験したり「ワープロ」を打ちまくっていた私にとって、これは楽しい授業であった。 生徒の前で“お手本”として高速スピードで“ブラインドタッチ”にてキーボード入力をするだけで歓声が上がるのが快感だったものだ。
 「おー、凄い!」「私もキーボードを見ずに高速で打ちたい!」等々、まるで“大道芸”でも見るがごとく若者が単純に喜んでくれるのが面白かった。 
 (ただ、“ブラインドタッチ”をマスターするまでの道程とは、実際は至って地道なのだけどね…)

 そんな私にとっての一番の“関門”は、世から「ワープロ」が消え去って「パソコン」に移り変わる時代となった頃に訪れた。

 今から15年程前、我が娘が幼少の頃我が家でも初代の「パソコン」(MACだったのだが)を購入した。 身内から「文書はパソコンでも打てるから、早めにワープロを卒業するべき」と促されるのだが、業務用ワープロ OASIS(当時、時価100万円を超える代物です! 私はこれを中古で購入しましたが…) をずっと使用していた私にとってはこちらが断然扱い易いのだ。
 ただ、この原左都子にして時代の変遷に乗り遅れる訳にはいかない。 とりあえずはOASISと同時進行でパソコン文書に慣れていった私である。 (という訳で未だにOASISの本体は保存してあるが、専用プリンターが壊れて廃棄処分にした今となっては、当時フロッピーに保存した文書を眺めるのみの役割しか果たしていない…)

 ここで余談になるが、今となってはパソコン文書作成にも十分慣れた身にして“JISキーボード打ちまくり歴30年”を誇る私原左都子に言わせていただくと、今のパソコンの文書作成能力より、ワープロ専用機であった 富士通OASIS の文書作成力の方が勝っていると判断するのだが如何であろうか??


 今回の記事を綴ったいきさつとは、朝日新聞「be」の先週の記事「ためしてみよう、タッチタイプ」を見たことがきっかけである。
 この記事も「習うより慣れよ」を主眼として構成したものと受け取るが、タッチタイピング(ブラインドタッチ)を短期間で“習って”習得した原左都子としては、「習うより慣れ」ることによりキーボードを習得された皆さんに、是非共その習得のいきさつをお伺いしたいものである。

 と言うのも、我が身内も当然ながら仕事上の要請により「習うより慣れ」てキーボードを日頃打っている人種であるが、私が“高速”でブラインドタッチをするのを自宅で垣間見ては、我が娘にはその技術を早めに習得させたい思いが強いようなのだ。
 そんな身内の意を受けてたまに娘に指導を試みる私であるが、これが一筋縄にはいかない。  キーボードを見ながら打つことに慣れている人とは、どうしてもキーボードを見る癖がついてしまっているようなのだ。 私のようにタイピングを習った人間の場合は、最初の第一歩から決してキーボードを見ないで打つ練習を積んでいるため、キーボード配列を“視覚ではなく指の距離関係”で理解しているのである。

 上記朝日新聞の記事においてはタッチタイピングが「やってみたらできた人も多い」とあるのだが、本当にそうなのか?  
 私の経験から言わせてもらうと、タッチタイピングもあくまでも地道な努力を覚悟の上で「慣れるより習う」方がよほど手っ取り早いかと結論付けるのだが、その辺の実態を知りたいものだ。


 それにしても、今後もパソコンのキーボード操作により文書作成する機会が増大する時代背景が続行することであろう。
 タッチタイピング(ブラインドタッチ)力とは、今後の社会を生き抜いていく人類の将来とって不可欠と言える技術なのではあるまいか。 
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