原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「腹が立つ」感情とは、世の進化のきっかけともなり得る

2014年08月09日 | 自己実現
 少し古くなるが7月19日付朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談題目だけを見て、一瞬仰天させられた原左都子だ!

 あれっ、私、いつ朝日新聞に自分の事を相談したんだっけ!?! と…
 その題目とは、 「いつも腹を立てている私」 である。  

 世の中には必ずや同類人種がいるものだと妙に感心しつつ、以下に61歳女性による“悩みのるつぼ”への相談内容を要約して紹介しよう。
 
 私はいつも掃除をしていても、歩いていても誰かに腹を立てていて、自分でもうんざりする。
 例えば私は20年前に病気で息子を亡くしているが、その事象と自分の息子が結婚して遠い所に行った事で悲しんでいる事を対比した場合、どっちが辛いかすら分別がつかない友人に腹が立つ。
 両親にも腹を立てている。 両親共に子供に対する愛情が希薄だったと思う。 父は私が思春期の頃胸を触ったりお風呂を覗いたりした。 母は自己中心人物で、どちらもずっと嫌いだった。
 不用意な事を言う友人とはもう会わないし、母も亡くなり、父は独り暮らしで弱り仕方なく姉と交代で帰省し世話をしている。 それでも、会わなくなったり亡くなったり別人のように弱くなった相手への腹立ちを、繰り返し頭の中に再現する自分に疲れる。 
 他にも、何度指摘しても同じ過ちを繰り返すボランティア仲間や、車のアイドリングを執拗に繰り返す近所の人のも腹が立つ。
 後20年くらいの人生をもっと明るく穏やかに生きたいのだが、どうすればよいか?
 (以上、朝日新聞“悩みのるつぼ”相談内容より要約引用したもの。)


 ここで一旦、原左都子の私事と私論に入ろう。

 私も相談者同様に、生まれ持っての「笑い上戸」「泣き上戸」、そして「怒り上戸」を日夜ド派手に繰り返しつつこの世を生き延びている事には間違いない。(自分に都合よく表現するならば “感情豊かな人間” とのことだが…) 
 ただ私の場合は必ずや自己の感情を表出する以前の問題として、私自身の身の安全は元より我が家族達や現在の私の生活圏に於けるすべての安泰を願うがばかりに、特に“怒りの対象”に対して「客観的視野と判断」なる考察が計算高く入り混ざる現実なのだが…


 7月19日“悩みのるつぼ”回答者は、社会学者 上野千鶴子氏であられた。

 その回答内容が原左都子の私論とほぼ一致するため、以下に要約して紹介しよう。
 心無い友人に腹を立てるあなた。 思春期の娘にセクハラまがいのふるまいをした父と自己中の母に、今でも腹を立てているあなた。 腹を立てるのはそれだけの理由があるからでもっともだ。
 ただ、あなたは腹を立てた相手にその場でオトシマエをつけなかった悔いがあるのではなかろうか。
 そういうあなたの良いところは、怒りが外に向かいあなた自身には向かわなかったこと、要するに自己肯定感をちゃんと持っている人とのことだ。 要するにあなたはエネルギーを持っている人だが、そのエネルギーがネガティブな感情である事は悲しい。 
 ただそれがあなたの持ち味であるのだから、「穏やかに」生きようなどと、らしくない事を思わない事だ。  姑息な政治家がいたら、怒りの声を上げ怒りっぽくてうるさいおばさんでいるべきだ。
 怒りが気になるのは、今のあなたが現状に満足していないからだ。 怒りと同様かそれ以上の喜びやうれしさを味わえば、帳尻はプラスになりますよ。
 (以上、“悩みのるつぼ” 相談者であられる社会学者 上野千鶴子氏の回答を要約して引用。)


 再び、原左都子の私事と私論に入らせて頂こう。

 おそらく上に記されている上野千鶴子先生の回答に関しては、既に同等の感覚を持ちつつ私は世を渡っていると認識している。

 それでも類稀なる事例であろうが、この客観力が売り物の私に“歯向かって来る”人種を、最近我が所有賃貸不動産物件関係に於ける法的立場に於いて経験した。 (個人情報保護法に抵触するためその詳細を披露する事は今回避けるが。)
 たとえ庶民とて法的場面に於いて相手と利害対立関係に立った場合、どうしても法律上の弱者に対し物件所有者である強者側のこちらが配慮するしか方策が取れない事態に、無念の思いだ…

 話を戻すが、上野氏がご回答されている事案は“世間の普通のおばさん”の“お怒り”に対するご指導であることは理解申し上げている。

 
 最後に、原左都子の私論を述べよう。

 色々な人間がこの世に存在するものだ。
 私自身もいつも「普通のおばさん」の立場でこの世を渡っていかれるならば、まさに上野氏が書かれているご回答を参照しつつ、穏やかに生きようなどとの“らしくない”選択を避ければ済む話なのだろう。

 ところが、切羽詰まって私自身が穏やかに生きたい! と志ざさねば我が身が持たない程の非情な運命に陥ったのは、今回自己所有不動産物件の「賃借人選択」において大失敗をしでかしたからに他ならない……
 6カ月間で150万円に上る損失を計上した挙句、手塩にかけて育てて来た我が賃貸物件を売りに出し、不動産貸付業廃業に追い込まれた私にとっては、相手に対して「腹が立つ」云々よりも…

 今となっては、その損失と失敗を今後の我が発展のきっかけとする事で、せめても我が身ひいては世の「進化」に繋げたい思いが切実だ…