原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

投票で終わりではない統治者に対する我々主権者の責任

2016年07月15日 | 時事論評
 参議院選挙投票日から数日が経過した本日、2日前の朝日新聞7月13日夕刊内にて大変興味深いコラム記事を発見した。

 文芸・批評ページ「思考のプリズム」欄 に作家・小野正嗣氏が 「透明な『良き統治』へ 投票で終わりではない」 と題する執筆を公開されている。

 早速以下に、その内容を要約して紹介しよう。

 イギリスでは、国民投票の結果、欧州連合(EU)離脱派が勝利した。 これに対し、某インド系イギリス人作家がラジオ取材を通して「離脱派の移民への人種差別的、ファシスト的発言にショックを受けた」と答えていたのが印象的だった。  移民がイギリス人の仕事を奪っているとか、福祉にタダ乗りしているといった扇情的批判に加え、離脱に賛成した人々の動機となったのは他国EU官僚に対する反発だろう。 海の向こうで大切な事が決められ、イギリス国民の主権がないがしろにされているという憤り。
 移民とEU官僚への嫌悪の源にあるのは「不透明さ」に対する不安だ。  我々は日常生活を統べる政治が可能な限り「透明」であることを望む。 フランスの教授ロザンヴァロンが昨年刊行した「良き統治」は議会制民主主義の機能不全、とりわけ三権のうち、行政府、つまり政府が「一強」化し、統治者が突出した権力をっ行使して、主権者である被統治者=国民の声を無視し続ける現状への危惧から出発する。
 では、真に市民を代表する良き政府=統治とはどのようなものなのか? 選挙の勝利で国民から全面的な委任や承認を得たと考えるのは間違いであり、政府=統治者はすべてを可視化し、たえず国民からの監視と検証にさらされることで初めて正統性と信頼を勝ち取るとロザンヴァロンは言う。
 そして、良き統治者の5つの要件として、説明能力、責任能力、応答能力、正直に語る能力、廉潔さを挙げる。 これらはみな政治の透明性を担保し、公的権力を担う人間の資質や倫理性を問うものだ。 この要件が欠ける時、統治者は被統治者からの信頼を失う。 前都知事が厳しい批判を受けたのは当然だろう。
 人は「不透明さ」を恐れ嫌う。 だが、この欲望を間違った方向にたわめるのも政治だ。 人は「偽りの透明さ」に騙される。
 勝利が史上目的である選挙では、どうしても単純明快で耳に心地よい約束が連呼される。 そして勝者の行動は往々に選挙中の言葉を裏切りがちで、国民には政治への失望と不信が広がる。
 ただ、投票は国民主権の一瞬の表現に過ぎない。 統治者の偽りや暴挙を監視・検証する作業に終わりはない。 真に透明な良き政府=統治の実現には、主権者である我々のたゆまぬ努力が必要だ。 日本でも参院選は終わったが、我々国民の仕事は始まったばかりだ。
 (以上、朝日新聞記事内 作家・小野正嗣氏の執筆より要約引用したもの。) 


 上記、朝日新聞内の作家・小野氏の執筆内容は素晴らしく、それにほぼ賛同する原左都子だ。

 おこがましくも、それに追加する形で以下に原左都子の私論を展開させて頂こう。

 英国のEU残留・離脱を問う国民投票の場合、投票率が70%を超過したとの報道だ。 近年の我が国の選挙戦と比較した場合、その高投票率は望むべくもなく、何とも羨ましい投票率とも捉えられよう。
 ただその投票の内容に関して、英国内にて疑義が炸裂したとの報道でもあった。 何でも、何を問うた国民投票かも把握せずただ単に周囲に誘われ流されるままに選挙に行った、だとか‥…   もっと悲惨なのは、EU(欧州連合)が如何なる組織かも知らずに投票した国民が数多く存在した事実が後に判明したとのことだ。
 それを重くみた「EU残留派」が再選挙を要求して立ち上がったものの、時既に遅しとの事態だった様子だ。

 英国国民投票の事例を参照している場合ではない。
 我が国の国政選挙だった7月10日の参院選投票率など、50%をやっと超える低さだ。 今後の憲法のあり方を問われた国家基盤を揺るがす選挙だったにもかかわらず……。
 しかも投票した国民の多くは英国国民投票同様、どれ程に自己のポリシーがあって投票行動に至ったのかなど、訳が分かったものではない。

 そんな国民低レベルの実態に便乗して、今回の参院選挙に際する政権政党の“選挙戦”のやり方も卑劣を極めたとも表現出来よう。 
 国民感情として「反改憲議論」が盛り上がっている事実を危機とみた政権側は、直前の選挙活動にて「改憲」を叫ぶでもなく、あるいは経済状況が芳しくない現状に於いてアベノミクス経済政策を批判される事を回避する目的で、選挙活動事態を自粛するとの“姑息な手段”を採用した。
 
 下手に自らの“失策”がバレないように選挙戦にて行動した結果、7.10参院選勝利に何とか漕ぎつけた安倍政権。 ところが選挙勝利後は今後の課題が山積しているせいか、新聞紙上に見る“作り笑顔”の割には、その「勝利表明」は言葉少なだったものだ。

 それもそのはず、安倍政権が「改憲4政党」にて議決権発動可能な3分の2議席を今回の参院選挙にて獲得出来たとは言えども、その実態とは、各党に於ける改憲政策がバラバラ状態!  これぞ、今後改憲議論を進めようとしている安倍政権側にとっては大いなる痛手であろう。
 護憲側としては、これを重く捉えて今後行動するべきだ。 決して、「憲法議論」で敗退したと思わず、今後も国民底辺組織や個人とて、その議論に関して引き続き力強く訴えていく責務があろう。

 それは、「アベノミクス経済政策」とて同様だ。
 安倍氏は、これぞ強化するとの参院選後の強気発言だが、さてさて何処まで政権側がそれを強化出来るのかも今後の見ものだ。

 何分、東京都知事も選挙戦にて入れ替わる事態だ。
 私など、次期都知事には金銭問題がクリーンな人材であることは元より、2020東京五輪を可能な限り縮小開催するがために都内での公共事業も縮小せんとする候補に一票を投じることを狙っている。


 最後に、私論で締めくくろう。

 まさに、作家・小野正嗣氏が朝日新聞記事内で執筆されている通り、我々国民主権を握っている庶民こそが、その主権を最大限行使して選挙に臨むべきだ。
 それによって、統治者を動かせる可能性もあり得るのだ。
 
 その権利を多くの国民が最初(選挙前)から放棄するとの選択をし続けたならば、もしかしたら何処の国家も「独裁国家」に変貌するやもしれない危険性が否めない事実を、少しは恐れて欲しい思いもする…