原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

世は 何故 “反政権” の動きを片っ端から叩きのめす?!?

2016年07月11日 | 時事論評
 昨日「参議院選挙」が全国各地にて実施された。

 結果として、安倍政権側与党が「勝利」したことは既に皆様もご存知の通りだ。

 この「勝利」を受け、昼のニュースにて安倍政権は以下のようなコメントを発表した。
 安倍晋三首相(自民党総裁)は11日午後、公明党の山口代表と首相官邸で会談し、参院選で与党など憲法改正に前向きな勢力が、改憲発議に必要な参院議席の3分の2(162)を超えたことを受け、国会の憲法審査会で慎重に議論を深めていく考えで一致した。
 (以上、ネット情報より一部を引用。)


 それにしてもだ…。   ここから一旦、原左都子の私論に入るが。

 何故、これ程投票率が低いのだろう?
 今回の参院選の場合、第一義として「憲法」の今後のあり方が問われた国政選挙だった事に間違いないであろう。
 何故、国家の根幹を揺るがす「憲法論議」に加わらない国民が半分近くも存在するのだ?? 
 本当にどっちに転んでもよいのか?  それも、一つのポリシーとして成り立つと本気で考えているのか??

 この背景には、やはり学校教育の責任が問われる事には間違いない。
 この私も過去に於いて高校教員として(商業法規、現代社会等々の科目にて)法律を教えていた時期がある。 私なりに熱弁を振るったつもりだが、生徒にとって如何程のインパクトがあったのやら…  反省させられるばかりだ。
 だた、確かに現在の学校教育現場は「国家」概念に関するお上からの規制(押し付け)が強まり、窮屈になっているのは事実であろう。 例えば学校現場の「日の丸・君が代」強制化など最たるものだが、これを教員相手に処罰を課してまで強制したのでは、教育現場にて「憲法」の伝達など後回しにせざるを得ないのは必然的とも言えよう。

 それでは、「アベノミクス経済政策」に関してはどうだろうか?
 これぞ、弱者無視の上層部のみ潤う経済政策に間違いなく、下層部に配置しているほとんどの庶民は上層部よりの“おこぼれ”に与ってわずかな恵みがもらえるなる経済政策だが。 (その“おこぼれ”すら下層に届かないレベルまで、アベノミクス経済政策は失策の一途を辿っているのだが…)
 この国に於ける上層部などほんの数%に満たないであろう。 その他大勢の下層部庶民は、おそらく今後も更なる貧乏にあえぐことが予想されるのだが、本当にこの「アベノミクス」を支援したいのか?  もしそうではないのならば、「アベノミクス経済政策」反対の反旗を選挙にて翻しても損はしなかったのではあるまいか?  なのに何故、多くの国民は棄権なる道を選択したのだろう??


 ここで、話題を大きく変えよう。

 タレント(俳優)の石田純一氏が現在都知事選に際し奇怪な行動を取り、世論がそれをバッシングしている事実を皆さんもご存知であろう。

 以下に、その一部をネット情報より引用する。
 東京都知事選(14日告示、31日投開票)への出馬を8日に条件付きで表明した俳優・石田純一(62)が9日、イベントで訪れた大阪市内で報道陣に対応し、出馬表明の影響で出演番組やCMなどの差し替えによる弁償が数千万円単位で発生していることを明かした。
 出馬表明の影響で、テレビ番組などに関わるスポンサーとの話し合いが現在同時進行で進められているという。「全部お話をさせていただき、ご迷惑をおかけしている所に関しては何らかのことになる。協議です。それだけでも何千万円にもなる」とした。  石田が背負うリスクは大きく、この日のイベント後も某テレビ局からCMカットを知らせる電話があったことを明かし「まだ(都知事選に)出るか出ないか分からないが、テレビ局の判断でCMをACジャパンのものなどに差し替える。その弁償もこちらにかかってくる。天文学的な数字になりそうです」と肩を落とした。
 「それを受けて立つというのではないが、それも必要経費なのかな。身も骨も断って出るわけですから、それでも受け止める気がないと」と覚悟をみせた。

 これに対する、過去に於ける宮崎県知事経験者の東国原英夫氏の反論を紹介すると…。
 東国原は9日夜に更新したツイッターで石田のCM契約についても言及。 石田は9日、出演しているテレビCMの差し替えによる損害賠償で、数千万を求められていることを明らかにしたが、東国原は「まぁ、そりゃそうだろうな。我々の立場(タレント)は、常にそのリスクを背負う。そのリスクを受け入れるだけの志や覚悟が問われる」とタレントの“責任”を説き、「選挙への立候補と言うのはそれくらい重い事である。 人生を賭ける一大事なのである。 石田氏にその志と覚悟があるのか。あるなら、野党統一とか言わずに堂々と出馬すべきである。それらが無いのなら、世間やマスコミの耳目を集める為の単なるパフォーマンスと見られても仕方無いのではないか」と持論を展開した。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)

 
 何故、今回敢えて「原左都子エッセイ集」に於いてタレント石田純一氏の“失策”を議論対象としたのか?

 それには、私なりの二つの理由がある。

 その一つとは、石田純一氏が、要するに世の「言論統制」にはまってしまった事実が我が身と重なる故だ。

 とは言え、無名庶民の原左都子が「言論統制」の被害に遭うのと、著名な石田氏がそれの被害に遭う損失のレベルは大きく異なる。
 私の場合は無名かつエッセイ執筆に関し何らの利益を得ていない事が幸いして、単に「検索画面から削除」との被害に遭っているに過ぎない。
 これに対し、石田氏の場合その被害額がスポンサーによるCM公開拒否やテレビ出演拒否等々で数千万円に上る事実が痛々しい。 
 話を元に戻すと、私原左都子と石田純一氏が何故その種の被害に遭っているかと言えば、要するに「反政権活動」を実行したと言うことだ。
 そんな事、この選挙戦に及んで “しない国民” こそがバッシングされるべき!! との思想が胸中にある私には、到底合点がいかない話だ。


 もう一つの理由とは。

 これは私が書く前に、東国原氏が公表してくれたのだが……
 要するに、「芸能界」とはそういう場だと言う事実に私自身が現在首を突っ込みかけている立場故だ。
 (今まで我がエッセイ集内での公開を控えてきたが、大都会にて女優にスカウトされた話題は過去に我がエッセイ集内にて公開しているが)、現在ほんの少しばかりその業界に興味本位で接触している関係で、その世界の特異性や厳しさの一端を私なりに思い知っている状況だが…‥。

 東国原氏曰く、「まぁ、そりゃそうだろうな。我々の立場(タレント)は、常にそのリスクを背負う。そのリスクを受け入れるだけの志や覚悟が問われる」とタレントの“責任”を説き‥‥   とあるが、まさにその通りであろう事を実感させられる。 (過去に私が経験して来た、職場に何らかの労基法違反があればその事実を持って闘えば勝てる!、なる表世界とはまったく異質の価値観で動いている“芸能界”との裏世界の存在を、多少恐ろしく感じ始めていたのだが…)
 その代償が何ともまあ数千万円規模に及ぶ事実を、今回の石田純一氏事件で思い知った。 もう、その“特殊な世界”とは本気で縁を切ろうと、我が事としてひしひしと実感させられている。


 それにしても、タレントの石田純一氏及び庶民の原左都子が取った行動(同列に論評する失礼をお詫びするが)とは、単に選挙戦に際しての「政権批判」行動である。
 その権利は、如何なる国民にも保障されるべきはずだ!

 これが叩かれ(石田氏の場合数千万円の損失を計上せねばならない)事実とは、近代民主主義国家にて実施される国政選挙の実態として、到底許されざるべき事態であることには間違いない。