悪夢もここまで来ると、私は一体全体深層心理部分で如何なるダメージを受けているのか?、これはもはや精神科に相談するしかないのか?? と、自己分析しそうにもなるというものだ。
ところがこんな“お告げ”の夢を見ても決して落ち込まないのが、気丈な精神構造の持ち主の原左都子の長所でもある。
何と申しましょうか、やはり学問経歴が活きていて夢ごときには動じないと言うのか… (勝手に言ってろ!って??)
夢の心理的背景を分析する作業に朝起きた時点で直ぐに入るのが、いつもの私の習慣だ。
ただし今回の夢の場合、その前後の場面をほとんど記憶していない事に難儀した。 ただただ“お告げ”の「あなたは74歳で死ぬ」の具体的文言だけが大袈裟にクローズアップされて、鮮明な記憶として残っているのだ。
それでも、私はこの夢の背景を探った。
一つ思い起こすのは、6月初旬に実母の介護施設入居促進のために郷里へ行った時に、実母の妹夫婦に会ったことだ。
この夫婦が現在ちょうど70代前半層の年代である。 結婚以来長年“おしどり夫婦”として名高い当該夫婦の夫氏が、室内で脚立から転がり落ちて脊椎を骨折し半年間程闘病生活を余儀なくされた。 その看病のために日々病室に付き添った妻側も6㎏体重を減らす程の介護の重責であったそうだ。 その後退院したばかりで、現在リハビリ生活中である。
大きな修羅場をくぐった夫婦曰く、「70代前半とはそういう年代かもしれない。今回は奇跡的に退院出来て自宅生活まで復帰したから良かったが、もしも最悪の場合このまま車椅子生活に突入したら大変な事になった。」
その話を聞いて、確かに明日は我が身、ただもうしばらく時間はあるかな?、なる感想を抱いたものだ。
まさにその思いが、この夢を引き起こしたかもしれない。 還暦を過ぎたとは言えども、まだまだ60歳など若い(青春時代!??)との自覚が普段から旺盛な私だ。
ただ、先々が見通せない年代である事も自覚している。 病弱な身ではないと言えども、いつ何時難病に襲われぬとも限らないし、あるいは致命症的事故に遭遇する確率も無ではない。
それにしても、ここのところ予期せぬマイナーな出来事が、我が身に降りかかる事実が続発している事は確かだ。
本エッセイ集バックナンバーにても公開しているが、例えば現在も続いている(おそらく安倍政権による)「言論統制」など、実に恐ろしい現実だ。
我がエッセイ集が「言論統制」の現実に直面している事実が発覚した夜など、眠れもしなかった。
明日外出したいのだが、もしも安倍政権関係者より「追跡」を受け、後ろから刃物で刺されるかも!?なる切羽詰まった場面を想像してしまうのだ。(テレビドラマの見過ぎか?) いやそんな事はないだろう。いくら安倍政権と言えども一般庶民を追跡する程暇でもなかろう‥ それにしても、庶民の一般ブログが「言論統制」の被害に遭っているのは事実だし…。
いやはや、実際問題 「言論統制」を受ける事実とはそれ程までに脅威ではある事は間違いないのだが。
あるいは、もう少し前に経験した出来事を振り返ると…
以下は、2016.6.26 我がエッセイ集バックナンバーより、その一部を要約して紹介しよう。
理性で考えると、取るに足りない実につまらない事象であることは十分理解出来ているのに、その出来事が起きたばかりに、後々意気消沈してしまうようなご経験が皆さんにもおありだろうか?
実は一昨日、この強気で気丈な原左都子がその種の出来事に遭遇してしまった。 もちろん、発想の転換を試み気を取り直す努力もしたのだが、どうしてもその取るに足りない出来事に頭が拘束され“本業”に身が入らない状態が続いている。
一昨日起った出来事とは決して酒の席にて発生したのではないのだが、私側としては過去に於いて相手側の酒の勢いで発生した事件を思い起こさせられるべく出来事だった。
何と言うのか、某営利企業体のメンバーであるあちら側(数人)は独裁政権の下にがんじがらめになっているがごとく皆が無表情なのだ。 そんな雰囲気を彼らよりも年配者である私が少しでも和らげたいと考え取った行為が、どうやらお節介だったようだ。
おそらく相手側は、私が取った態度を今現在も陰で非難していることであろう。 (3本前のエッセイ「悪しき職場……」の冒頭で綴った文章が、今回の事件のヒントになるかもしれない。)
当該事件の場合、わずか10日程にて私が既にその事件を忘れ去っている事に安堵する。
まさに要するに、この事件が私の脳裏に「74歳で死ぬ」なる“お告げ”を呼び起こしたものではない事は証明されたようなものだ。
それ程までに、精神的回復力がある自分の精神構造の“凄さ”を改めて自己評価したい思いだ。
最後に、私は夢内の“お告げ”通り「74歳」にて死に至るのか否かに関して考察しよう。
結論から言えば、この夢内の“お告げ”とは、私に対する 「命を大事にせよ」 とのメッセージだったと捉えている。
確かに、今後政権が如何に移り行くかは庶民の投票行動に依存しているとしても‥
悲しい事にいくら政権が移り変わろうが、国民庶民の「言論統制」を実施せねばならない程の弱体国家と化している我が国に於いては、如何なる政権に移り変わろうが同様の醜態を晒し続けるのだろう。
それは国際的にテロが次々と勃発する現在に於いて何処の国家も同様であり、平和な世界が築けるなど所詮夢物語かもしれない…。
そんな世の中に於いて、一抹の光を見いだせる人種こそが幸せに長生き出来るのかとも考えたりする。
昨日宇宙へ飛び立った国内ANA出身の宇宙飛行士を讃えるべく、出身校の高校男児がテレビインタビューにて肯定的なコメントを述べていた。(メディアが直ぐに母校報道に走る事実に対しては反論があるものの。)
先輩の快挙を実に嬉しそうに述べる高校生が育っている現実に心が響いた。 今後もそんなたわいない事象に我がハートが揺さぶられ続けるならば、74歳を超越しても我が命を繋げるのかと単純に確信したりもする。
ところがこんな“お告げ”の夢を見ても決して落ち込まないのが、気丈な精神構造の持ち主の原左都子の長所でもある。
何と申しましょうか、やはり学問経歴が活きていて夢ごときには動じないと言うのか… (勝手に言ってろ!って??)
夢の心理的背景を分析する作業に朝起きた時点で直ぐに入るのが、いつもの私の習慣だ。
ただし今回の夢の場合、その前後の場面をほとんど記憶していない事に難儀した。 ただただ“お告げ”の「あなたは74歳で死ぬ」の具体的文言だけが大袈裟にクローズアップされて、鮮明な記憶として残っているのだ。
それでも、私はこの夢の背景を探った。
一つ思い起こすのは、6月初旬に実母の介護施設入居促進のために郷里へ行った時に、実母の妹夫婦に会ったことだ。
この夫婦が現在ちょうど70代前半層の年代である。 結婚以来長年“おしどり夫婦”として名高い当該夫婦の夫氏が、室内で脚立から転がり落ちて脊椎を骨折し半年間程闘病生活を余儀なくされた。 その看病のために日々病室に付き添った妻側も6㎏体重を減らす程の介護の重責であったそうだ。 その後退院したばかりで、現在リハビリ生活中である。
大きな修羅場をくぐった夫婦曰く、「70代前半とはそういう年代かもしれない。今回は奇跡的に退院出来て自宅生活まで復帰したから良かったが、もしも最悪の場合このまま車椅子生活に突入したら大変な事になった。」
その話を聞いて、確かに明日は我が身、ただもうしばらく時間はあるかな?、なる感想を抱いたものだ。
まさにその思いが、この夢を引き起こしたかもしれない。 還暦を過ぎたとは言えども、まだまだ60歳など若い(青春時代!??)との自覚が普段から旺盛な私だ。
ただ、先々が見通せない年代である事も自覚している。 病弱な身ではないと言えども、いつ何時難病に襲われぬとも限らないし、あるいは致命症的事故に遭遇する確率も無ではない。
それにしても、ここのところ予期せぬマイナーな出来事が、我が身に降りかかる事実が続発している事は確かだ。
本エッセイ集バックナンバーにても公開しているが、例えば現在も続いている(おそらく安倍政権による)「言論統制」など、実に恐ろしい現実だ。
我がエッセイ集が「言論統制」の現実に直面している事実が発覚した夜など、眠れもしなかった。
明日外出したいのだが、もしも安倍政権関係者より「追跡」を受け、後ろから刃物で刺されるかも!?なる切羽詰まった場面を想像してしまうのだ。(テレビドラマの見過ぎか?) いやそんな事はないだろう。いくら安倍政権と言えども一般庶民を追跡する程暇でもなかろう‥ それにしても、庶民の一般ブログが「言論統制」の被害に遭っているのは事実だし…。
いやはや、実際問題 「言論統制」を受ける事実とはそれ程までに脅威ではある事は間違いないのだが。
あるいは、もう少し前に経験した出来事を振り返ると…
以下は、2016.6.26 我がエッセイ集バックナンバーより、その一部を要約して紹介しよう。
理性で考えると、取るに足りない実につまらない事象であることは十分理解出来ているのに、その出来事が起きたばかりに、後々意気消沈してしまうようなご経験が皆さんにもおありだろうか?
実は一昨日、この強気で気丈な原左都子がその種の出来事に遭遇してしまった。 もちろん、発想の転換を試み気を取り直す努力もしたのだが、どうしてもその取るに足りない出来事に頭が拘束され“本業”に身が入らない状態が続いている。
一昨日起った出来事とは決して酒の席にて発生したのではないのだが、私側としては過去に於いて相手側の酒の勢いで発生した事件を思い起こさせられるべく出来事だった。
何と言うのか、某営利企業体のメンバーであるあちら側(数人)は独裁政権の下にがんじがらめになっているがごとく皆が無表情なのだ。 そんな雰囲気を彼らよりも年配者である私が少しでも和らげたいと考え取った行為が、どうやらお節介だったようだ。
おそらく相手側は、私が取った態度を今現在も陰で非難していることであろう。 (3本前のエッセイ「悪しき職場……」の冒頭で綴った文章が、今回の事件のヒントになるかもしれない。)
当該事件の場合、わずか10日程にて私が既にその事件を忘れ去っている事に安堵する。
まさに要するに、この事件が私の脳裏に「74歳で死ぬ」なる“お告げ”を呼び起こしたものではない事は証明されたようなものだ。
それ程までに、精神的回復力がある自分の精神構造の“凄さ”を改めて自己評価したい思いだ。
最後に、私は夢内の“お告げ”通り「74歳」にて死に至るのか否かに関して考察しよう。
結論から言えば、この夢内の“お告げ”とは、私に対する 「命を大事にせよ」 とのメッセージだったと捉えている。
確かに、今後政権が如何に移り行くかは庶民の投票行動に依存しているとしても‥
悲しい事にいくら政権が移り変わろうが、国民庶民の「言論統制」を実施せねばならない程の弱体国家と化している我が国に於いては、如何なる政権に移り変わろうが同様の醜態を晒し続けるのだろう。
それは国際的にテロが次々と勃発する現在に於いて何処の国家も同様であり、平和な世界が築けるなど所詮夢物語かもしれない…。
そんな世の中に於いて、一抹の光を見いだせる人種こそが幸せに長生き出来るのかとも考えたりする。
昨日宇宙へ飛び立った国内ANA出身の宇宙飛行士を讃えるべく、出身校の高校男児がテレビインタビューにて肯定的なコメントを述べていた。(メディアが直ぐに母校報道に走る事実に対しては反論があるものの。)
先輩の快挙を実に嬉しそうに述べる高校生が育っている現実に心が響いた。 今後もそんなたわいない事象に我がハートが揺さぶられ続けるならば、74歳を超越しても我が命を繋げるのかと単純に確信したりもする。