原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「女子会」はめくるめく “潰し合い” の世界なのか??

2016年07月30日 | 人間関係
 私が「女子会」なる言葉を耳にし始めたのは、近年の事だ。

 おそらく、こういう集会が “それ” に該当するのだろうと推測出来る会合に、私が最後に出席したのは十数年前だったと記憶している。

 何分、40近くまで長き華の独身貴族時代を貫いた私の場合、そもそも女性との付き合いが極めて少なかった。 職業環境下に於いて周囲に存在するほとんどが男性だったため、必然的に男性陣との付き合いが圧倒的だった。
 もちろん、女性との付き合いも無きにしもあらずだったが、それは決して「女子会」と言う程女性は数多くなく、1対1、あるいは必ずや男性も入り混じった会合となったものだ。


 そんな私も、晩婚後「女子」連中に誘われる事が無きにしも非ずだった。 
 まず、子どもを介して母親達に誘いを受ける事を経験している。 娘幼稚園時代にPTA役員会主催飲み会への誘いを受け、それに同席した事がある。 PTA会長以外、出席者のほとんどが女性(子どもの母親)だったため、これを「女子会」と表現してよいだろう。

 あるいはサリバンとして娘の指導教育の合間に、某国立研究開発法人研究所にアルバイトの身分で勤務していた頃にも、ほぼ同年代のアルバイト仲間の女性達より「飲み会」の誘いを受けた事がある。 これぞまさに参加者が全員女性ばかりのれっきとした「女子会」だったと言えよう。

 ところが、上記両会合が「飲み会」だったことが、“底なし飲兵衛”の私に参加への後悔を募る事と相成った。
 (この話題は既に当エッセイ集「酒」カテゴリー内にて公開済みだが)、男連中(要するに“オヤジ飲み会”)に慣れ切っている私にとって、女どもが酒を“飲めない”事実に愕然とさせられるばかりだ… 
 ビール一杯で酔い潰れる女史がいれば、私が2杯目を追加注文すると「そんなに飲んだら大変な事になる!」と本気で“指導”し始める女史。  あるいは、「飲む前に食べるべきだから、皆さん料理が来るのを待ちましょう」とまで言われてしまうと、“駆けつけ3杯派”の私としては(もう、帰りたい……)との発想しか出ない。

 そんなこんなで40代半ば頃にして、一般女史(女子)達と(特に酒に関して生育してきた歴史が大幅に異なる)と結論付けた私は、その後断じて「女子会飲み会」に参加する事はなく現在に至っている。


 「女子会」卒業後十数年が経過している原左都子が、つい最近ネット上で「女子会」に関する記載を発見した。
 以下に、ダイヤモンド・オンライン とやらの 植草美幸氏なる、おそらく女性が記したであろう 「なぜ『夫自慢』が女のマウンティング合戦の最終兵器なのか」 と題するネット情報より、一部を要約引用して紹介しよう。

  第1話では、女性たちが医者と結婚したがることを、私は「お医者さま病」と呼んでいると書いた。私の体感では、結婚相談所に来る女性で「医者と結婚したい」と考える人は、全体の4割程度にのぼる。「自慢の夫」「自慢の婿」を欲する、日本女性特有の病だといってもよい。
 この感覚は、もしかしたら男性にはわかりにくいのではないだろうか。「自慢の妻」を得たい、という男性はあまりいないように思うからだ。むしろ、自分の妻の自慢をするのは恥ずかしいと感じる人のほうが多いだろう。妻に求めているのは、他人に自慢できるポイントを持っていることより、「居心地がいい」とか「安心できる」という部分である。
 この違いはなぜか。これは、男は仕事で外に出て、女は家で専業主婦をしてきたという日本の社会背景が関係しているのだろう。  男性の場合、仕事を通じて自分のプライドを満たすことができるが、専業主婦の女性たちは自分のプライドを自分自身で満たすことができなかった。つまり、女性は自分のフィールドで勝負するものを持っていなかったのだ。
 そのため、自分のフィールドとは関係のないものでプライドを満たすのである。 それが、自慢できる職業の伴侶や婿を得ることであったり、子どもをその職業に育てたりすることであったりしたというわけだ。
 その表出として最たるもの、それこそが「お医者さま病」なのではないだろうか。
 つまり、この病は日本社会の影が生み出したものに他ならない。
 「どうして家庭に収まっている主婦が争いあう必要があるのか?」と男性は疑問に思うだろう。しかし、もともと女性たちは、幼少期から男性以上に競争社会にもまれてきているものである。 自分の力ではなくても「他人より上」に見られたい。
 そのときが女性たちの最大の山場だ。そこで「夫はお医者様なんです」といえば歓声が上がり、羨望のまなざしを受けるだろう。その瞬間のために彼女たちは幼いころからがんばってきたのだ。 そこでもし自慢できない職業の夫だったら? 特に注目もされないまま、彼女は表舞台を降りるのである。
 「今まで頑張ってきたのに」――20年近く競争社会にさらされつづけた彼女たちの脳裏には、そんな思いがちらつくのである。
 女性が働き続けるようになった若い世代の場合にもその傾向がみられるのは、ゆとり教育の影響もあると私は感じている。  ゆとり世代の女性たちは、攻撃的な性格であることが多いわりには、過剰な手取り足取りがないと行動できない。 そうすると、「自分の力ではなくとも、人から見られる時には相手よりは上の立場になりたい」という発想になりがちだ。そんな彼女たちもまた、「お医者さま病」になっていくのである。
 このようにして、夫を使ってマウンティングしあう、それが現代の女社会なのである。夫を使ったマウンティングママ会とは夫の自慢大会の実態だ。
 女子会とはめくるめく「つぶし合い」の世界である。
 (以上、ネット情報より一部を要約引用したもの。)


 原左都子の私論に入ろう。

 もしかしたらこのネット情報記者である女性を取り巻いている環境が、今現在女子(ママ友?)で溢れその対応に苦慮する渦中にいるのではなかろうか?

 「お医者さま病」ねえ。
 私自身が国立大学医学部に通っていた経験があり、過去に於いて“医者の卵”男性達と少なからずまみえた事もある。 その後上京して医学関係の職種に就き、更に医師連中と会合する機会が少なくなかった人間だ。
 その経験から言うなら、結論として医師とて人それぞれ個性豊かであることは自明の理であろう。
 医学経験者である私から助言すると、「臨床医」と「基礎研究医」によりその勤務形態が大幅に異なる(あるいは「臨床医」も、「開業医」と「勤務医」ではまったく異質だし。)事実を、もしも未だに「お医者さま病」にかかっている女性がいるとするならその女性陣に伝えておこう。 (更には今時、「開業医」など大規模病院にして経営難で四苦八苦している事業所も多いしねえ…。

 で、女性記者が更に曰く……
 現代女性達も女同士の戦いは幼いころから行われている。 エリートであればあるほど、小学校受験や中学校受験など受験戦争で揉まれてきているし、受験が終われば就職があるがその戦いは男性以上。有名企業の椅子をかけて争ったうえで最後に結婚という戦いに挑むのだ。  女性が寿退社でやめるときに必ず聞かれる質問が、“旦那さまの職業は?”である。
 (再び、ネット情報より引用したもの。)

 それ程までに歪み切った苦労の人生を、記者である植草氏は若くして耐えて来ているのだろうか??


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 そもそも上記記者女性氏自らが、男尊女卑観点から抜け切れない人生を歩んで来ているよううで残念な思いだ。

 まず、真実の「エリート」とは何かをこの女性は問い直すべきだ。
 私論としては、女性とて一生に渡り各自の得意分野で“男以上”の働きをすればよい話だし、若くしてそれに挫折したからといって、何故問題を「寿退社」にすり替え、挙句の果てに「旦那の職業」を問われる事をそれ程までに重視し議論対象とするのだろう??
 私に言わせてもらうと、まるで40年以上前に生きていた女性の思想と何ら進展がないようにさえ感じる。

 この原左都子も確かに子育て場面で、「ご主人の職業は?」の質問をされたことが何度もある。 その時私が取った対応とは、「主人の職業よりも、私自身の職業・学業経歴を話していいですか!?!」と切り返したものだ。
 あるいは娘の命名の由来(古代ギリシャ哲学より引用しているが)を尋ねられ「ご主人は何をされていますか?」と問われれば、「娘の命名主は母の私です!!」と反論し続けている現在でもある。

 
 それ以前の課題として、このネット記者女性氏は、単に「自分の真の幸せとは何か?」をもっと若き頃より掘り下げ自問するべきだったのかもしれないような気もする…。

 とにもかくにも「女子会」に限らず、全ての会合は本人の意思で “嫌なら行かぬが一番” だよ。