本日昼過ぎ、テレビのチャンネル替えをしていたところ、某民放局にて 100歳以上生きているお年寄り数名相手に、「人生に於いて一番後悔した事」 をインタビューした番組が流れていた。
現在私自身が既に還暦越えをしている身にして、親族の後期高齢者2名(義母及び実母)の身元引受人兼保証人(今後の担当も含め)を実施している立場として大いに興味深い内容であり、番組の途中まで視聴した。
今回の番組では、全国から選りすぐった(?)4,5名の100歳越えお年寄りにインタビューを実施していた。
その全員に共通した特徴として、とにかく“見た目”が驚くほど若ければ、実際に画面に映し出される“所作の様子”もお若い。 しかも、皆さんがそれぞれに現役で自営業に励んでいたり、はたまた熱心な趣味をお持ちだったりと、100歳に至って尚 “打ち込む事柄がある” 人物達との共通項があった。
さてそれでは「人生に於いて一番後悔している事は何か?」なる質問に対する100歳超の皆様のご回答の一部を、我が記憶に頼って紹介しよう。
まずは、101歳にして自営の「カステラ屋」(だったと思うが)の店頭販売係を任されている女性の返答だが。
歯並びが美しく、歩行困難でもなく、耳の聞こえも良く、レジを打つ等々きちんと接客をこなしている女性曰く、「お金を貸した相手に先に死なれた事が悔しい」。
これに対し、番組に出演しているタレントが「もし天国でその相手に会ったなら何と言う?」と尋ねたら、すかさず「貸したお金を返して!と言う」ときっぱり返答したのに、私も同感だ!
次に、カボチャ農家を経営し、夫亡き後一人でその栽培を行っているとの100歳の女性の返答。
「一番後悔しているのは、過去に同じ敷地内に住む娘の夫から、カボチャのつるが自宅まで伸びた事を非難され関係が悪化したこと」。 この女性の口からは、「私はカボチャ生産により得た資金で、孫の代までの家を3件建ててやった。」との発言もあった。
(ここで原左都子の私論だが)、それならば当然ながらその恩義に子孫は感謝するべきであるのに、親に建ててもらった自宅にカボチャのつるが伸びた事を、お婆ちゃん相手に娘の夫が非難するとは何事か! 恩知らずも甚だしい。 こういう場合、その娘の夫こそが自らがつるの後始末をすれば済むはずだ。
まあ要するにそんな事態を容認出来て、その後孫の家まで建てるとの金力とキャパシティがこのお婆ちゃんにあるからこそ、長生き出来るのであろう。
更に、例を挙げると…。
いかにも育ちが良さそうで、100歳越えをしている身にして “美人度” と “お嬢様度”が高い女性曰く。
「私は主人の介護をしなかったことが、自分にとって一番の後悔」。
この上品なご夫人は、遠い過去に見合いにて夫氏と出会ったらしい。 映像に映し出される自宅の風景から察するにおそらく夫氏の家柄もよろしい様子だし、今は亡き夫氏とのツーショット写真が、二人の幸せな夫婦生活を醸し出してもいた。
それでも、ご婦人曰く「主人は丈夫だったにもかかわらず、74歳にて膵臓癌で亡くなった。 主人は医者嫌いで病院へ行かない人だったが、私が受診を勧めたら主人が長生きしたかもしれないと悔やむ。」
(元医学関係者の原左都子の私論というよりも意見だが)、いやそうではないですよ、ご夫人。 「膵臓癌」なる病気とは最新医学が進展した未だに初期発見が困難な病です。 もしも夫氏が医療依存主義だったなら、夫氏の命はもっと短かったかもしれない。 貴女の夫氏は亡くなる直前まで貴女と一緒にいつも通り暮らせた事こそが、最高に幸せだったと私は思いますよ……。
この番組を少しだけ視聴して、私なりに自分の人生を大まかに振り返ってみた。
今までの我が人生に於いて 「一番後悔している事」 とは何かと。
未だ60年(そろそろ61年に達する)年月しか人生を歩んでいない未熟者の私としては、“絶対的に後悔せねばならない出来事” がとりあえず思い出せないことにひとまず安堵だ。
その背景を探ってみると、私の場合郷里の親元を離れて上京後独身時代が長かった故に、それに応じ一人で考え一人で計画して、単身独力でその諸計画を実行・成就して来れた人生経験時代が長期に渡った故と振り返る。
更には晩婚後子どもを産んだ後も、我が子の“サリバン業”こそが自分に課せられた一番の使命と承知し、それに全身全霊精進している歴史も、私に “後悔の念” を呼び起こさない原因とも考えられ、これぞ我が人生の幸運とも判断している。
最後に、原左都子の私論で締めくくろう。
結局、100歳を超越してある程度お元気に長生き出来る人達とは、それぞれが一生に渡り自らの課題を抱え、それにチャレンジする(させられる)運命を背負っている故であるのかもしれない。
それでも、その100年人生の「後悔」の程が千差万別に異なり、多様性があるのが興味深い。
万人の生活実態が異なろうと、自らが使命とする課題をこなす意思が強靭な人種ほど、その課題にチャレンジし続けられ、長寿を全う出来るのではあるまいか?
要するに、若くして自分にとって「何が後悔だったか」を中途半端に振り返るよりも‥‥。
「何が自分の課題か」を心に留めつつ、一生に渡りそれにチャレンジし続ける気力・体力ある人物こそが長寿を全う出来るのであろうと結論付けられよう。
現在私自身が既に還暦越えをしている身にして、親族の後期高齢者2名(義母及び実母)の身元引受人兼保証人(今後の担当も含め)を実施している立場として大いに興味深い内容であり、番組の途中まで視聴した。
今回の番組では、全国から選りすぐった(?)4,5名の100歳越えお年寄りにインタビューを実施していた。
その全員に共通した特徴として、とにかく“見た目”が驚くほど若ければ、実際に画面に映し出される“所作の様子”もお若い。 しかも、皆さんがそれぞれに現役で自営業に励んでいたり、はたまた熱心な趣味をお持ちだったりと、100歳に至って尚 “打ち込む事柄がある” 人物達との共通項があった。
さてそれでは「人生に於いて一番後悔している事は何か?」なる質問に対する100歳超の皆様のご回答の一部を、我が記憶に頼って紹介しよう。
まずは、101歳にして自営の「カステラ屋」(だったと思うが)の店頭販売係を任されている女性の返答だが。
歯並びが美しく、歩行困難でもなく、耳の聞こえも良く、レジを打つ等々きちんと接客をこなしている女性曰く、「お金を貸した相手に先に死なれた事が悔しい」。
これに対し、番組に出演しているタレントが「もし天国でその相手に会ったなら何と言う?」と尋ねたら、すかさず「貸したお金を返して!と言う」ときっぱり返答したのに、私も同感だ!
次に、カボチャ農家を経営し、夫亡き後一人でその栽培を行っているとの100歳の女性の返答。
「一番後悔しているのは、過去に同じ敷地内に住む娘の夫から、カボチャのつるが自宅まで伸びた事を非難され関係が悪化したこと」。 この女性の口からは、「私はカボチャ生産により得た資金で、孫の代までの家を3件建ててやった。」との発言もあった。
(ここで原左都子の私論だが)、それならば当然ながらその恩義に子孫は感謝するべきであるのに、親に建ててもらった自宅にカボチャのつるが伸びた事を、お婆ちゃん相手に娘の夫が非難するとは何事か! 恩知らずも甚だしい。 こういう場合、その娘の夫こそが自らがつるの後始末をすれば済むはずだ。
まあ要するにそんな事態を容認出来て、その後孫の家まで建てるとの金力とキャパシティがこのお婆ちゃんにあるからこそ、長生き出来るのであろう。
更に、例を挙げると…。
いかにも育ちが良さそうで、100歳越えをしている身にして “美人度” と “お嬢様度”が高い女性曰く。
「私は主人の介護をしなかったことが、自分にとって一番の後悔」。
この上品なご夫人は、遠い過去に見合いにて夫氏と出会ったらしい。 映像に映し出される自宅の風景から察するにおそらく夫氏の家柄もよろしい様子だし、今は亡き夫氏とのツーショット写真が、二人の幸せな夫婦生活を醸し出してもいた。
それでも、ご婦人曰く「主人は丈夫だったにもかかわらず、74歳にて膵臓癌で亡くなった。 主人は医者嫌いで病院へ行かない人だったが、私が受診を勧めたら主人が長生きしたかもしれないと悔やむ。」
(元医学関係者の原左都子の私論というよりも意見だが)、いやそうではないですよ、ご夫人。 「膵臓癌」なる病気とは最新医学が進展した未だに初期発見が困難な病です。 もしも夫氏が医療依存主義だったなら、夫氏の命はもっと短かったかもしれない。 貴女の夫氏は亡くなる直前まで貴女と一緒にいつも通り暮らせた事こそが、最高に幸せだったと私は思いますよ……。
この番組を少しだけ視聴して、私なりに自分の人生を大まかに振り返ってみた。
今までの我が人生に於いて 「一番後悔している事」 とは何かと。
未だ60年(そろそろ61年に達する)年月しか人生を歩んでいない未熟者の私としては、“絶対的に後悔せねばならない出来事” がとりあえず思い出せないことにひとまず安堵だ。
その背景を探ってみると、私の場合郷里の親元を離れて上京後独身時代が長かった故に、それに応じ一人で考え一人で計画して、単身独力でその諸計画を実行・成就して来れた人生経験時代が長期に渡った故と振り返る。
更には晩婚後子どもを産んだ後も、我が子の“サリバン業”こそが自分に課せられた一番の使命と承知し、それに全身全霊精進している歴史も、私に “後悔の念” を呼び起こさない原因とも考えられ、これぞ我が人生の幸運とも判断している。
最後に、原左都子の私論で締めくくろう。
結局、100歳を超越してある程度お元気に長生き出来る人達とは、それぞれが一生に渡り自らの課題を抱え、それにチャレンジする(させられる)運命を背負っている故であるのかもしれない。
それでも、その100年人生の「後悔」の程が千差万別に異なり、多様性があるのが興味深い。
万人の生活実態が異なろうと、自らが使命とする課題をこなす意思が強靭な人種ほど、その課題にチャレンジし続けられ、長寿を全う出来るのではあるまいか?
要するに、若くして自分にとって「何が後悔だったか」を中途半端に振り返るよりも‥‥。
「何が自分の課題か」を心に留めつつ、一生に渡りそれにチャレンジし続ける気力・体力ある人物こそが長寿を全う出来るのであろうと結論付けられよう。