皆さんは、「後期高齢者医療被保険者証」、「介護保険被保険者証」 及び 「介護保険負担割合証」の違いをご存じだろうか?
おそらく、身内に要介護高齢者を抱えている人ならばその違いの程を認識されている事であろう。
現在、それらのうち、「後期高齢者‥…」と「介護保険負担割合証」が更新の時期を迎えており、新しい保険証が自治体より郵送される段取りとなっているのだが……
これに翻弄される日々だ。
何故ならば、我が家の場合高齢者有料介護施設に入居中の義母の身元引受人(保証人)を担当している身だが、義母の住民登録地、義母の現在の住まいである高齢者施設、そして身元引受人である我が家の住所がすべて食い違っているがためだ。
昨日も義母の住民登録地である自治体役所へ出向き、それら保険証の発送状況を確認して来たのだが、未だ肝心の「後期高齢者被保険者証」が何処の手元にも届かない始末だ。
話題を変えよう。
私が義母の保証人を引き受けて以来既に3年半程の年月が経過したが、日々比較的献身的にその業務を遂行していると自己評価している。
我が家の場合、義母が要支援1段階との早期から自主的に介護施設に入居してくれている。 そのお陰で、その「介護」の内容とは、まさに義母の財産運用管理や上記のごとくの重要書類管理に限られていて、実際義母の“しもの世話”等々実生活にかかわる介護を一切回避出来ている事実は、恵まれていることであろう。
それでも昨日のように「書類管理」に猛暑の中奔走させられたりすると、(罰当たりは重々承知だが、正直に言って) 「早めに死んでくれないかなあ…」 なる感情が脳裏をもたげるものだ。
独身が長かった私の場合、今時の60代など“青春時代”なる感覚があるのもその思いを増強させているかもしれない。
これ、真面目に義母(郷里の実母も含め)の介護担当を一身に引き受けている間に、私は老いぼれてしまうではないか?!? なる “焦り感” すら抱いたりもする。
実際、義母・実母に後20年も生きられたならば、我が青春時代が終焉するばかりか、私の方が介護に翻弄され早期に犬死にせんとも限らない。
そんな私なりの身内高齢者介護の日々を過ごす中、朝日新聞7月16日別刷「be」 “悩みのるつぼ” にて、60歳男性よりの “希少な” 相談を発見した。
「亡き母の介護で悔いが残ります」 なる題名のその相談を、以下に要約して紹介しよう。
60代半ばの男性だが、2年前に母を84歳で亡くした。 病院で、これでもかというほどの延命治療を続けた末、母は最期の一言も発せられず、自分も今までの母への感謝の言葉さえも伝えられず、亡くなってしまった。
思えばまだ母が九州の田舎で何とか生活していた頃、腰の曲がった様子を見ていながら、2ヶ月に1度っ数日の帰省だけで母の面倒を見てきたつもりだった。 それが、母にとって本当の介護になってなかった。 「離職してでも、何をさて置いても母のそばにいてやるべきだった」などと、2年経っても自責の念に苛まれている。 母は本当は「帰ってきてくれんね!」と言いたかったのだろう。 それを東京で生活している息子に言い出せなかった。 法事で実家に帰る度に無性に悔しさ、無念さが募り、母の遺影に向かい「母さん!ごめんな!」と謝り続けている。
月1回心理カウンセリングを受けると気が楽になるが、その翌日から後悔の日々だ。 こんな母への後悔の念はいつまで続くのか。 どんなきっかけがあれば立ち直れるのか? この愚かなバカ息子に生きるためのアドバイスが欲しい。
(以上、朝日新聞 “悩みのるつぼ” 相談より要約引用したもの。)
一旦、原左都子の私事及び私論に入ろう。
確かに自分の親が高齢にて亡くなった直後の子どもの立場から、この相談と似たような言葉を聞く事はある。 例えば「生前は空気のような存在だったが、実際親に死なれてみると結構損失感なる痛手はある」等々…
ただ私自身の経験・記憶によれば、それは概して「死亡直後ないし半年程」の感想なのではあるまいか?
この私とて、その経験をしている。
我が父親が60代の若さで突然死を迎えた当初、確かに一時は喪失感を抱いたものだ。 ところが、後で思えばその「喪失感」は一過性だった事に自らすぐさま気付いた。 その後は、むしろ「葬儀など簡略化してもらわないと、遠方から駆けつけねばならない親族は大きな迷惑だ!」と実母に指導を繰り返している程の親不孝者だ。
(参考だが、これには私なりの理由がある。 父が突然死したのがちょうど我が娘のサリバンとして一番厳しい時期だった。 当時幼稚園児だった娘を1週間程休ませ郷里へ同伴し父の葬儀と相成ったのだが、母の意向で盛大な葬儀を執り行ったがため、私は親戚一同や地域住民対応に一人で苦慮させられた。 ホテルへ泊まると言っている弔問客を母の意向で自宅へ招いたがため、その世話のすべてが私に任せられた。 娘がサリバンの私にべったりくっついている状態で娘の(発達遅れの)醜態を弔問客に晒す訳にもいかず、私は1週間一睡も出来ないまま疲労困憊して東京へ戻らざるを得なかった。 その後私は体調を大幅に崩し帯状疱疹を患い、元の健康体に戻るまで時間を要したものだ。 その後、実母に対し「葬儀は簡素に。 生きている者の安泰こそが守られるべき!」と指導し続けている。)
その観点より、私論のまとめをしよう。
もしかしたら朝日新聞相談男性とは、東京にて“寂しい人生”を余儀なくされているのではあるまいか?
それ故に当男性の人生に於いて、いつまでもいつまでも「実母」の存在が絶大であるように想像してしまう。
男性が母上生前に成した「親孝行ぶり」は十分過ぎる程評価に値しよう。
「これ程までかと思う程の延命治療」を施したり、2ヶ月に一度のペースで実母の介護のために東京から九州の実家に戻ったり…。
我が家など、義母は当の昔から「延命治療拒否」団体の証明書を自主的に有料で取得していて、私に会う度、「何があっても延命治療を拒否する!と医師に伝えて」と言ってくれる。
実母に関して言えば、「今度は私が高齢者施設に入居する時点で帰省してくれたら十分」とのことだ。
高齢者介護とは、相談男性が言うような介護者・被介護者間の関係が “濃厚” であれば事が済むというよりも、双方が話し合いを持ちつつ、お互いに気持ちのよい関係を紡げる事が第一義ではなかろうか。
それでも、どうしても被介護人本人が高齢に至る程その意思表明力が極度に低下するのも困りものであるのは、私も日々実感しているが…。
ただ、それでも被介護者及び介護者双方の人権が当然ながら尊重されつつ、介護論理が成立するべきだろう。
その観点より考察するに朝日新聞相談者男性は、厳しい指摘をするなら60代に至るまで “マザコン” 人生を歩んでしまったのではなかろうか?
更に議論を発展させるなら、この世の男どもとは基本的に “マザコン” から派生・脱出出来ない状態で世を彷徨いつつ一生を渡っているのだろうか???
おそらく、身内に要介護高齢者を抱えている人ならばその違いの程を認識されている事であろう。
現在、それらのうち、「後期高齢者‥…」と「介護保険負担割合証」が更新の時期を迎えており、新しい保険証が自治体より郵送される段取りとなっているのだが……
これに翻弄される日々だ。
何故ならば、我が家の場合高齢者有料介護施設に入居中の義母の身元引受人(保証人)を担当している身だが、義母の住民登録地、義母の現在の住まいである高齢者施設、そして身元引受人である我が家の住所がすべて食い違っているがためだ。
昨日も義母の住民登録地である自治体役所へ出向き、それら保険証の発送状況を確認して来たのだが、未だ肝心の「後期高齢者被保険者証」が何処の手元にも届かない始末だ。
話題を変えよう。
私が義母の保証人を引き受けて以来既に3年半程の年月が経過したが、日々比較的献身的にその業務を遂行していると自己評価している。
我が家の場合、義母が要支援1段階との早期から自主的に介護施設に入居してくれている。 そのお陰で、その「介護」の内容とは、まさに義母の財産運用管理や上記のごとくの重要書類管理に限られていて、実際義母の“しもの世話”等々実生活にかかわる介護を一切回避出来ている事実は、恵まれていることであろう。
それでも昨日のように「書類管理」に猛暑の中奔走させられたりすると、(罰当たりは重々承知だが、正直に言って) 「早めに死んでくれないかなあ…」 なる感情が脳裏をもたげるものだ。
独身が長かった私の場合、今時の60代など“青春時代”なる感覚があるのもその思いを増強させているかもしれない。
これ、真面目に義母(郷里の実母も含め)の介護担当を一身に引き受けている間に、私は老いぼれてしまうではないか?!? なる “焦り感” すら抱いたりもする。
実際、義母・実母に後20年も生きられたならば、我が青春時代が終焉するばかりか、私の方が介護に翻弄され早期に犬死にせんとも限らない。
そんな私なりの身内高齢者介護の日々を過ごす中、朝日新聞7月16日別刷「be」 “悩みのるつぼ” にて、60歳男性よりの “希少な” 相談を発見した。
「亡き母の介護で悔いが残ります」 なる題名のその相談を、以下に要約して紹介しよう。
60代半ばの男性だが、2年前に母を84歳で亡くした。 病院で、これでもかというほどの延命治療を続けた末、母は最期の一言も発せられず、自分も今までの母への感謝の言葉さえも伝えられず、亡くなってしまった。
思えばまだ母が九州の田舎で何とか生活していた頃、腰の曲がった様子を見ていながら、2ヶ月に1度っ数日の帰省だけで母の面倒を見てきたつもりだった。 それが、母にとって本当の介護になってなかった。 「離職してでも、何をさて置いても母のそばにいてやるべきだった」などと、2年経っても自責の念に苛まれている。 母は本当は「帰ってきてくれんね!」と言いたかったのだろう。 それを東京で生活している息子に言い出せなかった。 法事で実家に帰る度に無性に悔しさ、無念さが募り、母の遺影に向かい「母さん!ごめんな!」と謝り続けている。
月1回心理カウンセリングを受けると気が楽になるが、その翌日から後悔の日々だ。 こんな母への後悔の念はいつまで続くのか。 どんなきっかけがあれば立ち直れるのか? この愚かなバカ息子に生きるためのアドバイスが欲しい。
(以上、朝日新聞 “悩みのるつぼ” 相談より要約引用したもの。)
一旦、原左都子の私事及び私論に入ろう。
確かに自分の親が高齢にて亡くなった直後の子どもの立場から、この相談と似たような言葉を聞く事はある。 例えば「生前は空気のような存在だったが、実際親に死なれてみると結構損失感なる痛手はある」等々…
ただ私自身の経験・記憶によれば、それは概して「死亡直後ないし半年程」の感想なのではあるまいか?
この私とて、その経験をしている。
我が父親が60代の若さで突然死を迎えた当初、確かに一時は喪失感を抱いたものだ。 ところが、後で思えばその「喪失感」は一過性だった事に自らすぐさま気付いた。 その後は、むしろ「葬儀など簡略化してもらわないと、遠方から駆けつけねばならない親族は大きな迷惑だ!」と実母に指導を繰り返している程の親不孝者だ。
(参考だが、これには私なりの理由がある。 父が突然死したのがちょうど我が娘のサリバンとして一番厳しい時期だった。 当時幼稚園児だった娘を1週間程休ませ郷里へ同伴し父の葬儀と相成ったのだが、母の意向で盛大な葬儀を執り行ったがため、私は親戚一同や地域住民対応に一人で苦慮させられた。 ホテルへ泊まると言っている弔問客を母の意向で自宅へ招いたがため、その世話のすべてが私に任せられた。 娘がサリバンの私にべったりくっついている状態で娘の(発達遅れの)醜態を弔問客に晒す訳にもいかず、私は1週間一睡も出来ないまま疲労困憊して東京へ戻らざるを得なかった。 その後私は体調を大幅に崩し帯状疱疹を患い、元の健康体に戻るまで時間を要したものだ。 その後、実母に対し「葬儀は簡素に。 生きている者の安泰こそが守られるべき!」と指導し続けている。)
その観点より、私論のまとめをしよう。
もしかしたら朝日新聞相談男性とは、東京にて“寂しい人生”を余儀なくされているのではあるまいか?
それ故に当男性の人生に於いて、いつまでもいつまでも「実母」の存在が絶大であるように想像してしまう。
男性が母上生前に成した「親孝行ぶり」は十分過ぎる程評価に値しよう。
「これ程までかと思う程の延命治療」を施したり、2ヶ月に一度のペースで実母の介護のために東京から九州の実家に戻ったり…。
我が家など、義母は当の昔から「延命治療拒否」団体の証明書を自主的に有料で取得していて、私に会う度、「何があっても延命治療を拒否する!と医師に伝えて」と言ってくれる。
実母に関して言えば、「今度は私が高齢者施設に入居する時点で帰省してくれたら十分」とのことだ。
高齢者介護とは、相談男性が言うような介護者・被介護者間の関係が “濃厚” であれば事が済むというよりも、双方が話し合いを持ちつつ、お互いに気持ちのよい関係を紡げる事が第一義ではなかろうか。
それでも、どうしても被介護人本人が高齢に至る程その意思表明力が極度に低下するのも困りものであるのは、私も日々実感しているが…。
ただ、それでも被介護者及び介護者双方の人権が当然ながら尊重されつつ、介護論理が成立するべきだろう。
その観点より考察するに朝日新聞相談者男性は、厳しい指摘をするなら60代に至るまで “マザコン” 人生を歩んでしまったのではなかろうか?
更に議論を発展させるなら、この世の男どもとは基本的に “マザコン” から派生・脱出出来ない状態で世を彷徨いつつ一生を渡っているのだろうか???