(写真は千代田区紀尾井町に位置する 赤坂プリンスクラシックハウス ⦅旧名:赤坂プリンスホテル旧館⦆前にて、昨日娘に携帯にて撮影してもらった私。)
7月の3連休の昨日、仕事が休みの娘を誘って、東京メトロに乗り赤坂・紀尾井町界隈を訪れた。
東京メトロ沿線に程近い場所にある自宅から地下鉄に乗車し、20分少し経過すると永田町駅に到着する。
その9a出口を出てプリンス通り沿いに歩くと、すぐの場所に 赤坂プリンスクラシックハウス(旧名 赤坂プリンスホテル旧館)に辿り着く。
我が30年近く前の記憶によれば、赤坂プリンスホテル(通称“赤プリ”)旧館とは別の場所に存在していたような気もする。
昨夜帰宅後、ネット検索してみるとまさにその通りだ。
どうやら赤プリ新館解体後、この旧館は最新鋭建築技術を駆使した「曳き家」と称する“離れ技”により、現在の地に移動したとのことである。
以下にネット情報より、“赤プリ旧館” 大移動の様子を要約引用して紹介しよう。
東京都千代田区にある旧グランドプリンスホテル赤坂(赤プリ)の跡地で超高層ビル2棟の新築工事を進める西武プロパティーズは、敷地内で保存する「旧館」の曳き家(ひきや)工事を2015年11月18日に公開した。 曳き家とは、建物を解体せずにそのままの状態で移動させること。 旧館の移動距離は44m。
旧館は旧朝鮮王室の邸宅として1930年に完成した鉄筋コンクリート造、地上2階建ての建物。 宮内省内匠(たくみ)寮(現在の宮内庁管理部)が設計して、清水組(現在の清水建設)が施工した。
旧館は戦後、西武鉄道の所有となり、55年に客室数31室の赤坂プリンスホテル(通称、赤プリ)として開業した。 83年に丹下健三氏の設計で40階建ての「新館」が開業してからは、婚礼施設やレストラン、バーなどとして使われてきた。
西武プロパティーズは2011年3月にホテルの営業を終了。 新館は建設共同企業体が「テコレップシステム」と呼ぶ騒音や粉じんを抑える工法を使って、13年7月までに解体した。 解体工事中に、ホテルが徐々に低くなっていく様子が話題を呼んだ。
跡地には地下2階、地上36階建てで高さ180mのオフィス・ホテル棟と、地上24階建てで高さ90mの住宅棟を建てる。総事業費は約980億円で、16年夏ごろの開業を目指す。
(以上、ネット情報より要約引用したもの。)
引き続きネット情報より、44m大移動した後の “赤プリ旧館”情報をレポートしよう。
西武ホールディングスによると、「赤坂プリンスクラシックハウス」には、レストランや宴会場、バーが入り、来夏(2016年夏)にオープンの予定。 建物は、都の指定有形文化財。
別のネット情報によれば。
徳川家に縁が深い街、紀尾井町。 閑静な佇まいと、文化の薫りが色濃く残る街でありながら 数多くの世界を代表するファッションブランドのグランメゾンがこの街に旗艦店を構えた。
1930年、この紀尾井町に国の要人であるご家族の邸宅が建てられた。 そして1955年に赤坂プリンスホテルの始まりの場所として生まれ変わった。 80年以上もの間、その佇まいは変わらず、この紀尾井町の街と共に 東京の発展を見守り続けている。
尖塔アーチが特徴的なチューダー様式と呼ばれるスタイルで建てられた「赤坂プリンス クラシックハウス」は 宮内庁御用達の職人の手により丁寧に創り出された。 東京都指定有形文化財でもあるこの建物は、目まぐるしく変化する東京で、今もこれからも変わらずあり続けることだろう。
ベージュと濃褐色の木材とのコントラスト、館内に施された装飾の数々が落ち着きと、優美な雰囲気を醸し出す。 東京の中心にひっそりと佇むこの空間は、訪れるお客様を非日常のひとときへ誘う。
永田町、赤坂見附駅に隣接し、東京都心に誕生する「東京ガーデンテラス」。 緑と歴史に抱かれた国際色豊かな複合市街地をコンセプトにオフィス・ホテル棟、商業施設を擁した東京ガーデンテラスに、赤坂プリンスクラシックハウスは生まれ変わる。 この邸宅は緑の木々に囲まれ、静かに佇み、街を見守り続ける。
(以上、ネット情報より赤プリ旧館⦅赤プリクラシックハウス⦆に関する情報を引用・紹介したもの)
私事に入ろう。
我々親子が赤プリ旧館前で上記の写真を撮影し合っている時、ちょうど熟年夫婦が傍らを通り過ぎた。
そして言うには、「前より大きくなった気がする。」
確かに私もそう感じた。
私の場合、まさにバブル絶頂期の30年近く前の“華の独身貴族”時代に、この赤プリ(新館・旧館共に)を幾度となく訪れている。 確かにその時の印象と比して、新館解体移動後のその姿は煌びやかに美しい感覚を抱いた。
今後は、「赤プリ」の名を継ぎ、結婚式場やレストラン機能を発揮しつつその煌びやかな姿を維持していく事に期待しよう。
さてところで、我々母娘がそれ以上に興味を抱いたのは、赤プリ旧館とプリンス通りを挟んで目の前に整然と美しく存在している 某中学校 の姿だ。
当然ながら何処かの私立学校かと思いきや、な、なんと、「区立麹町中学校」なる名盤が正門に貼られているではないか!?
この界隈、どう見ても“マンション”ならぬ “億ション” が立ち並んでいる。 そんな恵まれた家庭に育っている子供達は必ずや私立学校へ通っていることであろう。
と言うことは?? この区立中学校へ通う生徒達とは一体何処からこの地へ通っているのだろう? なる単純な疑問が湧く。
これに関する我々母娘の疑問は解けないままだ。
ただもしも、こんな地価が超高額の都心に数少ない生徒のため公立学校を存立し続け固定資産税等々の税金を無駄使いしている現状ならば、そろそろ廃校を考えてもよいのではないか!? とアドバイスしたくもなるというものではなかろうか?
えっ? そんなの東京都心に位置するリッチな「千代田区」の勝手ですって?!?
それにしても、東京都23区内に於ける “貧富の格差” も物凄いものがある事実を、改めて実感させられる思いだ!!
さてさて、我々母娘の赤坂・紀尾井町界隈小旅レポートは次回へと続きます。
7月の3連休の昨日、仕事が休みの娘を誘って、東京メトロに乗り赤坂・紀尾井町界隈を訪れた。
東京メトロ沿線に程近い場所にある自宅から地下鉄に乗車し、20分少し経過すると永田町駅に到着する。
その9a出口を出てプリンス通り沿いに歩くと、すぐの場所に 赤坂プリンスクラシックハウス(旧名 赤坂プリンスホテル旧館)に辿り着く。
我が30年近く前の記憶によれば、赤坂プリンスホテル(通称“赤プリ”)旧館とは別の場所に存在していたような気もする。
昨夜帰宅後、ネット検索してみるとまさにその通りだ。
どうやら赤プリ新館解体後、この旧館は最新鋭建築技術を駆使した「曳き家」と称する“離れ技”により、現在の地に移動したとのことである。
以下にネット情報より、“赤プリ旧館” 大移動の様子を要約引用して紹介しよう。
東京都千代田区にある旧グランドプリンスホテル赤坂(赤プリ)の跡地で超高層ビル2棟の新築工事を進める西武プロパティーズは、敷地内で保存する「旧館」の曳き家(ひきや)工事を2015年11月18日に公開した。 曳き家とは、建物を解体せずにそのままの状態で移動させること。 旧館の移動距離は44m。
旧館は旧朝鮮王室の邸宅として1930年に完成した鉄筋コンクリート造、地上2階建ての建物。 宮内省内匠(たくみ)寮(現在の宮内庁管理部)が設計して、清水組(現在の清水建設)が施工した。
旧館は戦後、西武鉄道の所有となり、55年に客室数31室の赤坂プリンスホテル(通称、赤プリ)として開業した。 83年に丹下健三氏の設計で40階建ての「新館」が開業してからは、婚礼施設やレストラン、バーなどとして使われてきた。
西武プロパティーズは2011年3月にホテルの営業を終了。 新館は建設共同企業体が「テコレップシステム」と呼ぶ騒音や粉じんを抑える工法を使って、13年7月までに解体した。 解体工事中に、ホテルが徐々に低くなっていく様子が話題を呼んだ。
跡地には地下2階、地上36階建てで高さ180mのオフィス・ホテル棟と、地上24階建てで高さ90mの住宅棟を建てる。総事業費は約980億円で、16年夏ごろの開業を目指す。
(以上、ネット情報より要約引用したもの。)
引き続きネット情報より、44m大移動した後の “赤プリ旧館”情報をレポートしよう。
西武ホールディングスによると、「赤坂プリンスクラシックハウス」には、レストランや宴会場、バーが入り、来夏(2016年夏)にオープンの予定。 建物は、都の指定有形文化財。
別のネット情報によれば。
徳川家に縁が深い街、紀尾井町。 閑静な佇まいと、文化の薫りが色濃く残る街でありながら 数多くの世界を代表するファッションブランドのグランメゾンがこの街に旗艦店を構えた。
1930年、この紀尾井町に国の要人であるご家族の邸宅が建てられた。 そして1955年に赤坂プリンスホテルの始まりの場所として生まれ変わった。 80年以上もの間、その佇まいは変わらず、この紀尾井町の街と共に 東京の発展を見守り続けている。
尖塔アーチが特徴的なチューダー様式と呼ばれるスタイルで建てられた「赤坂プリンス クラシックハウス」は 宮内庁御用達の職人の手により丁寧に創り出された。 東京都指定有形文化財でもあるこの建物は、目まぐるしく変化する東京で、今もこれからも変わらずあり続けることだろう。
ベージュと濃褐色の木材とのコントラスト、館内に施された装飾の数々が落ち着きと、優美な雰囲気を醸し出す。 東京の中心にひっそりと佇むこの空間は、訪れるお客様を非日常のひとときへ誘う。
永田町、赤坂見附駅に隣接し、東京都心に誕生する「東京ガーデンテラス」。 緑と歴史に抱かれた国際色豊かな複合市街地をコンセプトにオフィス・ホテル棟、商業施設を擁した東京ガーデンテラスに、赤坂プリンスクラシックハウスは生まれ変わる。 この邸宅は緑の木々に囲まれ、静かに佇み、街を見守り続ける。
(以上、ネット情報より赤プリ旧館⦅赤プリクラシックハウス⦆に関する情報を引用・紹介したもの)
私事に入ろう。
我々親子が赤プリ旧館前で上記の写真を撮影し合っている時、ちょうど熟年夫婦が傍らを通り過ぎた。
そして言うには、「前より大きくなった気がする。」
確かに私もそう感じた。
私の場合、まさにバブル絶頂期の30年近く前の“華の独身貴族”時代に、この赤プリ(新館・旧館共に)を幾度となく訪れている。 確かにその時の印象と比して、新館解体移動後のその姿は煌びやかに美しい感覚を抱いた。
今後は、「赤プリ」の名を継ぎ、結婚式場やレストラン機能を発揮しつつその煌びやかな姿を維持していく事に期待しよう。
さてところで、我々母娘がそれ以上に興味を抱いたのは、赤プリ旧館とプリンス通りを挟んで目の前に整然と美しく存在している 某中学校 の姿だ。
当然ながら何処かの私立学校かと思いきや、な、なんと、「区立麹町中学校」なる名盤が正門に貼られているではないか!?
この界隈、どう見ても“マンション”ならぬ “億ション” が立ち並んでいる。 そんな恵まれた家庭に育っている子供達は必ずや私立学校へ通っていることであろう。
と言うことは?? この区立中学校へ通う生徒達とは一体何処からこの地へ通っているのだろう? なる単純な疑問が湧く。
これに関する我々母娘の疑問は解けないままだ。
ただもしも、こんな地価が超高額の都心に数少ない生徒のため公立学校を存立し続け固定資産税等々の税金を無駄使いしている現状ならば、そろそろ廃校を考えてもよいのではないか!? とアドバイスしたくもなるというものではなかろうか?
えっ? そんなの東京都心に位置するリッチな「千代田区」の勝手ですって?!?
それにしても、東京都23区内に於ける “貧富の格差” も物凄いものがある事実を、改めて実感させられる思いだ!!
さてさて、我々母娘の赤坂・紀尾井町界隈小旅レポートは次回へと続きます。