原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

給料日は寄り道ショッピングして帰ろ ♪♪

2016年07月25日 | お金
 我が娘が本日25日、新卒にて民間企業入社後3度目の給料日を迎える。

 4月入社で何故7月25日が3度目の給料日なのかを説明するなら、娘の就職先の給与支給日が「月末締・翌月25日払い」の制度を採用しているからに他ならない。

 それ故、5月の給料日までの約2ヶ月間は、経済面で全面的に“親がかり”の日々が続いた。

 これが、大学生時代よりもずっと負担が大きいのだ。 
 例えば大学時代は1,2年時を除き毎日大学に通う訳ではなかったのに、社会人ともなれば日々「昼食代」「交通費」が発生するのは元より、「スーツ等社会人にふさわしい服飾代」等初期投資のまとまった費用をも親が負担せねばならない。
 娘本人より、親こそが「早く娘の給料日が来ないかな~~~」と、どれだけ5月25日を首を長~~くして心待ちにしていたことか。

 それにしても娘が未熟な身にして、よくぞまあ真面目に実直に日々社会人として頑張っている事!
 サリバンの22年間に渡る教育指導の成果とは言えども、親馬鹿ながら心より娘を褒めてやりたい思いだ。
 いや、もちろん娘は職場で失敗も沢山しでかしている様子だし、それにより周囲にご迷惑を掛けている風でもある。
 それを夜遅い夕食時にサリバンに正直に話してくれる。 時にはその対策に、娘よりも母の私が本気で悩み胃を傷めたりもする。(この4か月間、胃薬の減り様がいつもの2倍だったが。) その痛みに一人で耐えつつ、「大丈夫。あなたはいつ何時も自分のやるべき事を真面目に誠実に全うしなさい、それぞ社会人の使命!」と、毎朝発破をかけ娘の出社を見送っている。

 うれしい話題も、沢山母に語ってくれる。 「社長が『新人の原(娘の事)を大事にしてやってくれ。』と周囲の先輩社員達に言ってくれた」だとか、「初めてまとまった仕事を時間がかかったけれどやり遂げられて、達成感があった!」等々…。 
 あるいは、先日は職場のリーダー氏より「原さんも今夜遅くまで仕事出来る?」なるお言葉を頂戴したようだ。 これなど娘が“足手まとい”の時期を脱出して、“猫の手”程度の働きが出来るようになった証拠であり、サリバンとしては涙が出る程嬉しい。


 そんな未熟者新入社員の娘の一番の楽しみは、やはり「給料日」だ!

 先月6月の娘の給料日の風景を鮮明に覚えているため、それを披露させてもらおう。
 6月の場合、25日が休日の土曜日に当たったため、その前日の24日が給料日だった。 いつも退社後まめにCメールをくれる娘が寄越したメールは、絵文字付で「今日はターミナル駅のショッピングセンターで買物して帰ります。 ナンタラカンタラ♪♪」
 その後いつもより足取り軽く帰宅した娘は、沢山の買い物袋を抱えていた。 「何買ったの?🎵」と問う私に、娘はいかにも嬉しそうにその中身を見せてくれる。 その後もいつもは口数少ない娘が、夕食時に無邪気にはしゃぐ。
 その娘の嬉しそうな情景は土日も続き、何やらニコニコ上機嫌だ。 料理や洗濯を手伝ってくれつつ笑顔を絶やさない娘に、私が「働いて給料を貰うのって、ホント最高に嬉しいよね!」と声を掛けると、それを否定するでもなく、まんざらでもない様子だ。 


 ここで、我が娘に対するサリバンによる22年に及ぶ 「金銭教育」の歴史を語ることとしよう。

 我が娘は、亭主の実家が当時比較的(あくまでも比較的の範疇だが)経済力に恵まれていた事もあり、おそらく幼少の頃は世間一般と比較して “2桁多額” のお祝い金やらお年玉を承る幸運に恵まれて来たと推測する。 (本エッセイ集バックナンバーにて、娘幼少の頃に周囲のママ達から「お年玉いくらもらった?」と尋ねられ、その単位が2桁違っていた事実に困惑した出来事も披露しているが…。)
 その金額が娘本人が管理可能な額を大幅に超過していたため、サリバンの私が娘に替わり通帳管理・保管を代行して来た。(参考だが、子どもの教育費・学費は100%親が負担するべき事を信条としている私の場合、娘の通帳にはただの一銭も手出ししていない。)   娘が20歳に達した時、私は娘にその通帳を手渡し、娘に関する預貯金管理の一切合切を娘本人に任せる事とした。
 その時点で、サリバンの娘に対する財産管理指導が厳し過ぎたていたためかどうなのか、娘は自分の通帳残高に何らの興味も示さない事実に困惑させられた。  いえ、もちろん国内外経済情勢の教育も欠かしていなければ、娘のために支払った(多額の)教育費等の金額もすべて娘に伝えている。
 
 それでも、サリバンが伝えた 「お金は有意義に大事に使おう」 なる言葉に娘も一応反応してくれている様子には安堵している。 
 それにしても、その「お金を有意義に大事に使う」なる言葉の主軸の意味の “塩梅加減” が娘と多少食い違うのは、娘が生育した歴史と、サリバン母が60年に渡って培って来た金銭面での歴史が大幅に異なる故であろうと、理解出来る気もする。

 何よりも、我が娘が本日3度目の給料日を迎えることがサリバンとして無条件に嬉しい。

 私が手渡した娘名義通帳内に幼少の頃より貯め込んだ金額総額よりも、2桁少ない給与額であろうと、我が娘がその金額に月々満足出来る事実こそが、今後の娘の社会人としての歴史を有意義に刻む事に通じると信じる。

 きっと今夜も、自分で働いてゲットした給料を手にした娘はターミナル駅にてショッピングセンターに立ち寄り、いつもより遅い時間に帰宅し、我々家族に満面の笑みを振り撒いてくれることだろう。