長野旅行記を早めに綴り公開したい思いは山々だが、旅行から帰宅後多忙を極める我が身だ。
昨日も、高齢者介護施設入居中の義母の病院付き添い業、及び施設ケアマネジャー氏との今後半年間の義母の介護計画面談に時間を取られてしまった。
すっかり遅い時間帯となり、施設からの帰り道を急ぎ足で歩いていた時の事だ。
(参考のため、義母が暮らす介護施設周辺は都会にして緑が多く、民間介護施設が複数点在する以外、人気(ひとけ)が少なく閑散としている場所だ。)
後方から一人の男性が近づいてくる気配を感じた。
一体何だろう? と少し警戒し始めた私に、その男性は 「すみません。今、時間ありますか?」と声を掛ける。
(何の用なんだ?!? このシチュエーションで考えられるのは、「ナンパ」か「キャッチセールス」だろうかなあ。)と急ぎ足で歩きつつ振り返りると、そこにはTシャツに短パンとのラフな格好の30代程の男性がいた。
「急いでいますが、何がご用でしょうか?」と歩きながら問う私に対し、
「アルバイトに興味ありませんか?」 との意表を突くご回答。
その時の感想とは、表向きラフなスタイルの割には、男性が発する言葉が丁寧かつ少し控えめな態度であることだった。
とにかく急いでいた私が「興味ありませんし、急いでいますので。」と応えると、「そうですか…」と多少残念そうに去って行った。
その後も足早に歩きつつ、社会情勢に関する観察心が旺盛な私は考えた。
(アルバイトと言ったが、一体如何なる仕事を私に斡旋したかったのだろう? 後学のためにそれ位聞いてもよかったなあ。 ただ下手に深入りすると強引に誘われることも重々考えられる故に、断って正解だろう。 それにしてもこの私を一目見て掴まえたということは、派手な外見の女性を欲している事には間違いない。 ただ、私がいくら若く見えるとは言え、まさかギャルに見間違う訳はあるまいし、中年にして派手な女性に向くアルバイトでもあるのだろうか??? まあ、良くて風俗が想像できるが。 まさか私を掴まえて、掃除婦や庭の手入れをしてくれとは言わないとは思うが…。)
ただ、特に義母の病院付き添いに疲れ果てていた私にとって、大きな気分転換となる事件だった事には間違いない。
そうこうして我が家に辿り着き、そそくさと夕飯の準備を済ませた。
夕食中、我が亭主に昨日の義母病院付き添いとケアマネ氏との介護計画面談内容を一通り報告した後。
上記、突然の「アルバイト斡旋スカウト」の件を亭主に一通り話した後、「一体何の業種だったと思う?」と問うたところ。 ( )内は私の感想だが。
亭主曰く 「キャバクラだろうなあ。」 (おおー、鋭いご意見!)
私応えて、 「あの辺にキャバクラなど無いよ」
亭主返答して 「あそこから三つ目の大きめの駅周辺にキャバクラが複数あるよ」
私 「よく知ってるねえ」
亭主 「昔現役時代に職場の飲み会の3次会位で行ったことがある」 (おーー、そうか。 私が知らない間に、君も人並みの経験は積んでいたんだ。)
私 「それにしても、“中高年キャバクラ嬢”などがいるキャバクラが存在するだろうか??」
亭主 「それは知らないなあ」
私 「せっかくのアルバイト斡旋だったから、私もアルバイトのキャバクラ嬢になっとけばよかったかな??」
亭主 「やめといた方がいいと思うけど…‥」 (さすが我が亭主、いつもながら浮世離れのピントが外れた反応に安堵する私。 こういう場合、ごくフツーのご家庭だと「何馬鹿いってるんだ!!」と奥方を嗜めるのだろう。 良く言えば、我が亭主とはいつも私の意思を尊重してくれるのが唯一の取り柄だ。 と、こんなことろでのろけている場合でもないが…)
最後に、今現在の我が感想を述べよう。
実際の話、身内高齢者の介護活動とは厳しい現状である割には、それを成し遂げたとしても、対象身内高齢者が老う毎に“達成感”が得られにくくなる“不毛”の活動との感が強まるばかりだ。
昨日2ヶ月程ぶりに義母の病院付き添い業を実施した私は、その感情を以前よりも深く実感させられ、(今後義母にどのように対応するべきか?)なる新たな課題を掲げつつ急ぎ足で帰り道を歩いていた。
そんな折に「アルバイト斡旋スカウト」に偶然遭遇した。
仕事の達成感とは何なのだろうか? なる若き時代よりの課題を、高齢域に達した今現在再び突き付けられた気もする。
自分本位に解釈するならば、どうやら私には還暦過ぎた今尚 ある種の “外因的セールスポイント” があると分析して許されるであろうか。
若き時代にそれが輝いているのは、私のみならず皆さんも当然だった事だろう。
それでも今現在私に課せられている生業とは、如何に騒ぎ立てても “身内高齢者”の介護責任を全うする事実でしかない現状を十分に自覚出来ている。
「今、時間ありますか?」 と道端で突然問われたとて、 現状高齢者を抱える身にしてそんな“不毛な”結論に達しざるを得ないのが、私としてはちょっぴり悲しい現実かもしれない。
昨日も、高齢者介護施設入居中の義母の病院付き添い業、及び施設ケアマネジャー氏との今後半年間の義母の介護計画面談に時間を取られてしまった。
すっかり遅い時間帯となり、施設からの帰り道を急ぎ足で歩いていた時の事だ。
(参考のため、義母が暮らす介護施設周辺は都会にして緑が多く、民間介護施設が複数点在する以外、人気(ひとけ)が少なく閑散としている場所だ。)
後方から一人の男性が近づいてくる気配を感じた。
一体何だろう? と少し警戒し始めた私に、その男性は 「すみません。今、時間ありますか?」と声を掛ける。
(何の用なんだ?!? このシチュエーションで考えられるのは、「ナンパ」か「キャッチセールス」だろうかなあ。)と急ぎ足で歩きつつ振り返りると、そこにはTシャツに短パンとのラフな格好の30代程の男性がいた。
「急いでいますが、何がご用でしょうか?」と歩きながら問う私に対し、
「アルバイトに興味ありませんか?」 との意表を突くご回答。
その時の感想とは、表向きラフなスタイルの割には、男性が発する言葉が丁寧かつ少し控えめな態度であることだった。
とにかく急いでいた私が「興味ありませんし、急いでいますので。」と応えると、「そうですか…」と多少残念そうに去って行った。
その後も足早に歩きつつ、社会情勢に関する観察心が旺盛な私は考えた。
(アルバイトと言ったが、一体如何なる仕事を私に斡旋したかったのだろう? 後学のためにそれ位聞いてもよかったなあ。 ただ下手に深入りすると強引に誘われることも重々考えられる故に、断って正解だろう。 それにしてもこの私を一目見て掴まえたということは、派手な外見の女性を欲している事には間違いない。 ただ、私がいくら若く見えるとは言え、まさかギャルに見間違う訳はあるまいし、中年にして派手な女性に向くアルバイトでもあるのだろうか??? まあ、良くて風俗が想像できるが。 まさか私を掴まえて、掃除婦や庭の手入れをしてくれとは言わないとは思うが…。)
ただ、特に義母の病院付き添いに疲れ果てていた私にとって、大きな気分転換となる事件だった事には間違いない。
そうこうして我が家に辿り着き、そそくさと夕飯の準備を済ませた。
夕食中、我が亭主に昨日の義母病院付き添いとケアマネ氏との介護計画面談内容を一通り報告した後。
上記、突然の「アルバイト斡旋スカウト」の件を亭主に一通り話した後、「一体何の業種だったと思う?」と問うたところ。 ( )内は私の感想だが。
亭主曰く 「キャバクラだろうなあ。」 (おおー、鋭いご意見!)
私応えて、 「あの辺にキャバクラなど無いよ」
亭主返答して 「あそこから三つ目の大きめの駅周辺にキャバクラが複数あるよ」
私 「よく知ってるねえ」
亭主 「昔現役時代に職場の飲み会の3次会位で行ったことがある」 (おーー、そうか。 私が知らない間に、君も人並みの経験は積んでいたんだ。)
私 「それにしても、“中高年キャバクラ嬢”などがいるキャバクラが存在するだろうか??」
亭主 「それは知らないなあ」
私 「せっかくのアルバイト斡旋だったから、私もアルバイトのキャバクラ嬢になっとけばよかったかな??」
亭主 「やめといた方がいいと思うけど…‥」 (さすが我が亭主、いつもながら浮世離れのピントが外れた反応に安堵する私。 こういう場合、ごくフツーのご家庭だと「何馬鹿いってるんだ!!」と奥方を嗜めるのだろう。 良く言えば、我が亭主とはいつも私の意思を尊重してくれるのが唯一の取り柄だ。 と、こんなことろでのろけている場合でもないが…)
最後に、今現在の我が感想を述べよう。
実際の話、身内高齢者の介護活動とは厳しい現状である割には、それを成し遂げたとしても、対象身内高齢者が老う毎に“達成感”が得られにくくなる“不毛”の活動との感が強まるばかりだ。
昨日2ヶ月程ぶりに義母の病院付き添い業を実施した私は、その感情を以前よりも深く実感させられ、(今後義母にどのように対応するべきか?)なる新たな課題を掲げつつ急ぎ足で帰り道を歩いていた。
そんな折に「アルバイト斡旋スカウト」に偶然遭遇した。
仕事の達成感とは何なのだろうか? なる若き時代よりの課題を、高齢域に達した今現在再び突き付けられた気もする。
自分本位に解釈するならば、どうやら私には還暦過ぎた今尚 ある種の “外因的セールスポイント” があると分析して許されるであろうか。
若き時代にそれが輝いているのは、私のみならず皆さんも当然だった事だろう。
それでも今現在私に課せられている生業とは、如何に騒ぎ立てても “身内高齢者”の介護責任を全うする事実でしかない現状を十分に自覚出来ている。
「今、時間ありますか?」 と道端で突然問われたとて、 現状高齢者を抱える身にしてそんな“不毛な”結論に達しざるを得ないのが、私としてはちょっぴり悲しい現実かもしれない。