本日午前中、先週より手術入院中だった我が亭主が無事退院した。
久しぶりの自宅がよほど嬉しいのか、家に帰り着くなり子どものように無邪気にはしゃいでいる。
かなり体重が減少した様子で頬がこけているが、これだけ元気な様子だともう大丈夫だ。
結局、私の“開放感”は入院初日午前中限り…
またもや今日から家庭内業務が2倍に膨れ上がる。 いや、日中は家にいない娘には普段からほとんど手がかからないため、3倍4倍の負担の日々が舞い戻って来そうだ。
そもそも、医療に関する考え方やその行動が180℃異なる我が夫婦だ。
同じくバリバリ“医療依存派”の義母の下に生育した亭主が、普段から病院へ行かない訳もない。 少しでも身体に異変を感じるとすぐさま病院を訪ね、医療依存の道程をずっと歩んで来ている。
片や私は過去の医学経験によるものが大きいが、普段より「予防医学」の観点から自助努力で我が身の健康管理を実施している。
例えば、栄養バランスの維持、摂取カロリーの適性の維持。 “料理嫌い”の私ではあるが、これらの管理には厳しい。 我が娘には幼き頃よりこの指導を欠かしていない。 その成果故か、私と娘はずっと理想体型を維持し続けている。 片や、私の指導に従わず自由奔放に行動したい本能にほだされやすい亭主は、暴飲暴食で健康を害することが多い。
適度な運動とて同様だ。 私と娘には昔から運動習慣が根付いているが、亭主はと言えばその日の気分次第だ。 結果として運動をしない日々が長引く事も多く、体脂肪を増やすに至っている。
私と亭主の間で何よりも大きく差がつく問題は、“精神状態のコントロール力”だ。 私に言わせてもらうと、(我が亭主も“元科学者”であるにもかかわらず)何故これ程までにその能力に欠けているのか、未だに理解に苦しまされる課題だ。
私の“医療依存度”の低さに関してだが。
もちろん、まったく医療依存をしない訳ではない。
自己判断でこれは“医療依存するべき”と結論付けた際には、必ず病院受診する。
その最たるものが「歯科」だ。 歯科分野に於いては、例えば虫歯の場合自然治癒はありえない。 必ずや歯科医を訪れている。
また、私は40歳時に「皮膚癌」を患いその摘出手術を受けている。
22年前のあの時も、自己診断で我が皮膚病状を“悪性”と嗅ぎ取り皮膚科を受診した。 案の定 “悪性” すなわち「皮膚癌」の診断が下り、すぐさま大病院にてその摘出手術を受けた。
その後20年以上が経過しているが、今でも突如として皮膚に出没する“できもの”に関しては正直なところ恐怖感を抱かされる。 と言う訳で、自己診断不能な得体の知れない皮膚の“できもの”に関しても、必ずや皮膚科を受診する習慣がある。
昨夏にも、それを実行した。 肘をぶつけた後に血痕のような出来物が出現し、それが2ヶ月経過しても消え去らないため皮膚科を受診した。 皮膚科医師先生曰く、「悪性ではないですが、いつまでも消えない恐れもあります。それでも心配はないです。」 この医師先生の一言にどれほど安堵させてもらえたか。 結果として今現在尚消え去っていないが、先生が仰った通り特段の健康被害は発生していない。
最後に、我が亭主の入院話題に戻そう。
亭主は本日退院して自宅に帰ったばかりだが、今回手術を受けたことにより大いに安堵している様子だ。
何分“医療依存度”が極めて低い私故に、近年は義母や亭主の病院付添い時に病院を訪れ医療の現状を垣間見るしか機会が無い身だが。
その立場にして病院現場を視察するに、昨今の病院とは“医師主体”ではなく“患者主体”へと移ろごうと努力している姿勢は確かに感じ取れる。
医療現場が更に“患者主体”に進化すれば、患者側も変化し得るのか?
それに期待したいものだが…。
本日退院したばかりの我が亭主を観察するに、本日に限って言えば未だにはしゃいでいるあり様だが。
また明日になると、身体の何処かが痛いから病院へ行くと言い出し…
また入院するから私に付き添え、と言い始めるのだろうか……
それをまた補助せざるを得ないのが我が宿命だとしてもだ。
今後も「医療依存」を最小限に留め、予防医学・自助努力で生命を繋ぎ通したいと欲している我が身がいつまで持ち堪えるのか、の確約がそろそろ欲しいのも本音だ。
久しぶりの自宅がよほど嬉しいのか、家に帰り着くなり子どものように無邪気にはしゃいでいる。
かなり体重が減少した様子で頬がこけているが、これだけ元気な様子だともう大丈夫だ。
結局、私の“開放感”は入院初日午前中限り…
またもや今日から家庭内業務が2倍に膨れ上がる。 いや、日中は家にいない娘には普段からほとんど手がかからないため、3倍4倍の負担の日々が舞い戻って来そうだ。
そもそも、医療に関する考え方やその行動が180℃異なる我が夫婦だ。
同じくバリバリ“医療依存派”の義母の下に生育した亭主が、普段から病院へ行かない訳もない。 少しでも身体に異変を感じるとすぐさま病院を訪ね、医療依存の道程をずっと歩んで来ている。
片や私は過去の医学経験によるものが大きいが、普段より「予防医学」の観点から自助努力で我が身の健康管理を実施している。
例えば、栄養バランスの維持、摂取カロリーの適性の維持。 “料理嫌い”の私ではあるが、これらの管理には厳しい。 我が娘には幼き頃よりこの指導を欠かしていない。 その成果故か、私と娘はずっと理想体型を維持し続けている。 片や、私の指導に従わず自由奔放に行動したい本能にほだされやすい亭主は、暴飲暴食で健康を害することが多い。
適度な運動とて同様だ。 私と娘には昔から運動習慣が根付いているが、亭主はと言えばその日の気分次第だ。 結果として運動をしない日々が長引く事も多く、体脂肪を増やすに至っている。
私と亭主の間で何よりも大きく差がつく問題は、“精神状態のコントロール力”だ。 私に言わせてもらうと、(我が亭主も“元科学者”であるにもかかわらず)何故これ程までにその能力に欠けているのか、未だに理解に苦しまされる課題だ。
私の“医療依存度”の低さに関してだが。
もちろん、まったく医療依存をしない訳ではない。
自己判断でこれは“医療依存するべき”と結論付けた際には、必ず病院受診する。
その最たるものが「歯科」だ。 歯科分野に於いては、例えば虫歯の場合自然治癒はありえない。 必ずや歯科医を訪れている。
また、私は40歳時に「皮膚癌」を患いその摘出手術を受けている。
22年前のあの時も、自己診断で我が皮膚病状を“悪性”と嗅ぎ取り皮膚科を受診した。 案の定 “悪性” すなわち「皮膚癌」の診断が下り、すぐさま大病院にてその摘出手術を受けた。
その後20年以上が経過しているが、今でも突如として皮膚に出没する“できもの”に関しては正直なところ恐怖感を抱かされる。 と言う訳で、自己診断不能な得体の知れない皮膚の“できもの”に関しても、必ずや皮膚科を受診する習慣がある。
昨夏にも、それを実行した。 肘をぶつけた後に血痕のような出来物が出現し、それが2ヶ月経過しても消え去らないため皮膚科を受診した。 皮膚科医師先生曰く、「悪性ではないですが、いつまでも消えない恐れもあります。それでも心配はないです。」 この医師先生の一言にどれほど安堵させてもらえたか。 結果として今現在尚消え去っていないが、先生が仰った通り特段の健康被害は発生していない。
最後に、我が亭主の入院話題に戻そう。
亭主は本日退院して自宅に帰ったばかりだが、今回手術を受けたことにより大いに安堵している様子だ。
何分“医療依存度”が極めて低い私故に、近年は義母や亭主の病院付添い時に病院を訪れ医療の現状を垣間見るしか機会が無い身だが。
その立場にして病院現場を視察するに、昨今の病院とは“医師主体”ではなく“患者主体”へと移ろごうと努力している姿勢は確かに感じ取れる。
医療現場が更に“患者主体”に進化すれば、患者側も変化し得るのか?
それに期待したいものだが…。
本日退院したばかりの我が亭主を観察するに、本日に限って言えば未だにはしゃいでいるあり様だが。
また明日になると、身体の何処かが痛いから病院へ行くと言い出し…
また入院するから私に付き添え、と言い始めるのだろうか……
それをまた補助せざるを得ないのが我が宿命だとしてもだ。
今後も「医療依存」を最小限に留め、予防医学・自助努力で生命を繋ぎ通したいと欲している我が身がいつまで持ち堪えるのか、の確約がそろそろ欲しいのも本音だ。