原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

日本国憲法の基本原理に関する一考察

2018年05月03日 | 左都子の市民講座
 本日憲法記念日にして随分と出遅れたが、表題に提示した「日本国憲法の基本原理」に関して、我が1987年頃に学んだ学生時代の講義ノートより一部を引用しよう。

 
 日本国憲法の基本原理
 
 1、平和主義  (憲法9条)
 2、国民主義   天皇制
 3、基本的人権の尊重  
  (これらすべてに関する事項が、憲法前文に記載されている。)


 これらは、明治憲法(大日本帝国憲法)には一切無かった原理である。
 

 それでは、現在の日本国憲法は、良いのか、悪いのか?? 
 一論として、現日本国憲法は、世界的に妥当し得る 一般的、常識的憲法であるとの評価も定着している。


 上記のうち、平和主義を取り上げよう。

  平和憲法(憲法第9条)とは。
  戦力放棄に関する条文だが。

 これに関しても、学説内での解釈議論が存在する。
 
 〇 自衛隊を合憲とする政府見解
    A.  第9条は自衛のための戦力保持をも認めない、とする見解。
       自衛と戦略との区別が困難。 軍隊=弱者国民(弱者)
       正義との後ろ盾をもって戦争を肯定し得る?
       自衛権の行使は戦略行為につながる

       自衛隊はその「戦力」にはあたらない。
       そもそも「戦力」とは、近代戦争遂行に達したもの。
       自衛隊は、そこまでは達していない。
       従って、自衛隊は憲法第9条に違反していない。
                (以上は、昭和30年頃までの解釈。)

    B. 昭和60年頃の政府解釈
       第9条は、国の自衛権を否定するものではない。


 法解釈としては。
 自衛隊は憲法に違反するか?  2通りの解釈が存在する。

 しかし、実際は。
 解釈者の政治的意図 及び 主観的判断 をして、解釈に至らしめている。
 その点で、解釈するものの責任論が問われる。
 この現象は、憲法第9条に於いて、典型的に表れる。


 
 以上、ほんの少しだが、原左都子が過去(1980年代後半期)に学んだ大学に於ける「憲法」授業よりその講義ノートの一部を紹介した。

 この「憲法」授業を担当されていた教官氏に関しては、今尚鮮明に記憶している。
 関西地方の他大学から任命され、我が大学の助教授として「憲法」を受け持っておられたが、その授業内容が濃厚だった事実が印象深い。 当時既に30代だった私とさほど年齢が変わらない世代の教官であられたが、いつも関西弁で熱弁されていた事を懐かしく思い起こす。


 上記に紹介した「憲法第9条」に関しても、授業の最終章では。
 上記のごとく、解釈者の政治的意図 及び 主観的判断 をして、解釈に至らしめている。 その点で解釈するものの責任論が問われる。 この現象は、憲法第9条に於いて、典型的に表れる。
 と結ばれている事実に、現在尚同感申し上げる。

“背もたれ付き椅子” が欲しい。

2018年05月03日 | 自己実現
 (写真は、昨年末頃公開のバックナンバーエッセイにても掲載したが、現在フルート自主練習のために通っている防音音楽スタジオの一室。)


 昨日は、私にとって「凶」の一日だったようだ。

 その2つ目の「凶」に関しては、午前中に公開したエッセイにて既に述べさせていただいた。
 それは郷里実母からの真夜中電話騒動の件だが、この「凶」が結果として私にもたらしたのは肉体的な体力消耗で済んだためにまだしも幸いだった。


 それに比し、昨日午後に経験した「凶」事件は精神的痛手を私にもたらし、今尚我が心を煩わせている。


 早速、昨日午後に発生した「凶」事件に関して述べさせていただこう。

 昨日私は、いつものようにフルート自主練習実施のために防音音楽スタジオを訪れた。
 2本前のエッセイ内に記載した“大部屋スタジオ”での練習が叶うのは稀な事であろう。 特に連休中はロックバンド中心スタジオは若きロッカー達で賑わっていて当然だ。

 という訳で、昨日私はいつもの「ピアノ室」(上記写真を参照下さい。)にてのフルート自主練習と相成った。 それ自体に関しては何ら問題はない。
 ところが昨日「ピアノ室」を訪れてみると、部屋の様相がすっかり変わっていた。 ピアノは定位置に存在するのだが、その他の機種(録音機等々が置かれていた)が撤去され、良く言えば部屋がスッキリしている。

 さて、フルート練習を開始しようとしてやっと気付いたのは、今まで私が練習のために腰かけていた「背もたれ付き椅子」も撤去されていた事実だ。
 ここで参考だが、(先だって私が“斬り捨てた”)フルート講師氏の授業でも椅子は利用せず、立ったままの練習だった。 ただ講師先生は高齢の私に気遣ってくれ、「疲れたらソファーで少し休んで下さい」との声掛けをして下さったりもした。
 要するに素人が吹奏楽器練習をする場合、“立ったまま”の方が断然音が綺麗に出し易いのだ。

 一方、私が音楽スタジオにて自主練習をする場合、絶対的に「背もたれ付き椅子」に依存していた。 途中で敢えて立って吹いたりもするが、大方は「背もたれ付き椅子」に頼っての練習だった。

 そこで私はスタジオ受付に出向き、「以前置いてあった背もたれ付き椅子が無くなっているが、あれが欲しい」旨を正直に申し出た。
 そうしたところイケメンスタッフから返された回答とは、「ピアノ室での練習は、今後ピアノの椅子を利用して頂く事と変更しました。 ただ今回はお客様の申し出に従いまして、スタッフが利用している椅子をお貸しします。」との事だ。
 それを私自身が「ピアノ室」に運び入れ、フルート練習したものの…。

 スタジオ予約時間終了後、間髪入れず椅子を貸してくれたイケメンスタッフが「ピアノ室」を訪れて椅子を回収すると共に。 「今後は“折り畳み椅子”の配備を検討します。」とのご回答だ。
 正直言って、“折り畳み椅子”と“背もたれ付き椅子”とのフルート練習時の座り心地はまったく異なる事実に関し、私はすぐさま想像が付いた。
 ただ、そこまで改善策を提案してくれているイケメンスタッフに、それ以上の要望を出せるすべもない。

 今後の「ピアノ室」での練習スタイルが大幅に異なる事態を懸念しつつ、出口ロビーに行ってみると。
 大勢の若者ロッカー達が大騒ぎ状態だ…


 高齢域に達してフルート練習を再開しようなどとのとてつもない発想が出てしまった私こそが、そもそも間違っていたのか??
 それと並行して、若き世代のイケメンスタッフに“椅子が無くなっている”事態を訴えた時点で、私はこのスタジオにてフルート自主練する事を自ら困難にしてしまったのか!??

 帰り道、様々な今後のフルート練習に関するマイナーな思いが高齢域に達している我が脳裏を交錯したものだ。
 いやもちろん、当該音楽スタジオは総合的に判断してお気に入りのため、とりあえずは“折り畳み椅子”にて自主練習を続行する予定だ。
 ただ、「今後、折り畳み椅子でフルート吹くのか……」なる懸念は拭い去れない。

 
 本日は「憲法記念日」にして、私なりに語りたい話題も無きにしもあらずだったのだが…
 昨日我が身に降りかかった2件の「高齢者」関連「凶」事件を公開する事態になりましたこと、お詫び致します。

またもや今度は“真夜中”に郷里実母からの電話騒動

2018年05月03日 | 医学・医療・介護
 いやはや、これをやられると一晩中寝られやせず、体力消耗の大打撃を食らう。


 冒頭から参考だが、実母が入居している郷里の高齢者自立支援施設は、施設が契約している固定電話を各入居者室内に配備し内線にて入居者対応体制をとり、外線に関しても実費にての使用を入居者に許可している。
 実母の場合は携帯電話(ガラケー)を持参しているが、どうしても固定電話の方が扱い易い様子で、いつも施設の固定電話から電話を寄越すのだが。
 そのため我が家の固定電話も、実母の電話は施設名にて登録してある。


 昨夜の真夜中、我がデジタル目覚まし時計の表示が 01:28 を告げていた時の事だ。
 リビングの固定電話が呼び出し音と共に「ケアハウス〇〇さんです」の音声アナウンスを発している。

 「どうせ、ろくなことは無いぞ…」 と感じるのは高齢者を抱えるご家庭皆同様であろう。
 朦朧とした脳裏に悪い予感を抱きつつ電話口に出ると。
 電話を寄越したのは実母本人であり、自分の部屋の内線電話からの通話だった。

 実母曰く、「さっき『マンションを売った』とのメールが入ったけど、どないしたんで(どうしたのか)?? それから孫の〇〇ちゃんの名前も書いてあったけど…」
 きつねにつままれつつ、訳が分からない私だが…。 
 寝とぼけつつ応えて、「メールしてないよ。 マンションも売ってないし。 〇〇(娘の事)は元気に頑張っているよ。」
 母応えて、「ほな、良かったけど…。 どないしたんだろね?? こんな時間にメールが届くとは… ほんで、あんたは未だ起きとったんかいな?」
 (内心、あんたが起こしたんだろが!! と怒りつつも)、「とにかく心配要らないと思うから、あなたも寝なさいよ」と言って電話を切った。

 心配した亭主も起きて来て、「お母さん、どうにかしたのか?」と問うてくれる。 「マンション売ったか?とのメールが来たとか訳の分からん事言ってたが、本人は別に元気そうだよ。」と応えて布団に入り直した。


 この「マンション売ったか?」との母からの突拍子もない話題だが。 何故この話題が母の口から出たのかに関して思い当たるふしはある。
 何せ、何件ものマンションを売ったり買ったりの我が人生だ。 婚姻後、自宅マンション買い替えを何度も行っている。 しかも我が独身時代に単独で購入したマンションを、4年程前に売却したばかりだ。

 とそこまで布団の中で振り返ったところで、実母からの摩訶不思議な真夜中電話に関し、私なりの解答が導けたのだ。
 昨夜寝とぼけた母が、携帯電話が鳴ったような勘違いに陥ったのかもしれない。 そして、暗闇でガラケーをいじっているうち、私が4年前に送信した「マンション売った」のメール画面が偶然出たのではなかろうか? 娘の話題に関しては、いつも実母にメールする都度娘の近況を知らせて喜ばせてやっている。

 そうだとすれば、一件落着だ。


 それにしても…。

 「マンション売った」なる趣旨のメールを、高齢者施設にて暮らす実母相手に、この“お利口さん”次女として昔から名高い私が “真夜中に” 寄越す訳もないだろうに!?!

 その辺の分別もつかない程に老けてしまったのか……、 と悲しくもなるというものだ。

 さて、次なる騒動はいつのことやら。 高齢者身内を抱える身として先が思いやられる今日この頃である。