その年賀状の贈り主女性を、仮にKさんとしておこう。
Kさんは我が人生に於いて一番お世話になった方、と表現して誤りではない程の、親密な付き合いを長年させていただいた方である。
(参考だが、この原左都子は“一匹狼”風に見えて、実はこの人なら!と信頼できる相手には男女を問わずぞっこん甘えて、長い付き合いをするタイプでもあります。)
私が医学部卒業後、故郷を捨て親を捨てて上京直後にKさんと知り合って以降、Kさん宅に頻繁に通い泊めていただきご馳走になったり。
未だ小さい息子さんがいらっしゃった頃には、その息子さんと一緒にピンクレディーを踊ったり。 (それ故に、その息子さんはその後しばらく私のことを “ピンクレディのお姉ちゃん” と呼んでくれていた。)
時が流れ私が30歳にして2度目の大学受験を目指した際にも、一番応援して下さったのはKさんだった。
そして合格し職場退職し、入学後も。 私は超多忙な中、必ずや定期的にKさん宅を訪れたものだ。
すっかり大きくなった息子さん二人に久々に接しつつ、未だ恋愛相談等々いろいろと私のKさん依存は続行していた。
その後、長き独身を貫いた後の我が見合晩婚時の結婚式には、当然ながらKさんに私側の主賓の立場でご挨拶して頂いた。 (参考だがこのKさん、医学関係企業の上位まで上り詰めた、女性としては稀な実質的実力者人材でもあられるのだが。)
Kさんとの関係は、その後も続いた。
40歳にして私が皮膚癌を患いその摘出手術及び抗癌剤治療時にも、真っ先に病院まで駆けつけて下さったのはこのKさんだった。
お互いに医学関係者同士のため、素人じみた話題は一切出ないのだが。
手術翌日の朝から起きて歩き回っていた私が「皮膚を癌患部へ移植した元の足が未だに引きつる」と訴えると、「あまり歩くのを急がない方がいいんじゃないの?」とアドバイスしてくれたのが思い出深い。
私の退院後も、我が容態を気遣ってその観察に自宅まで来てくれたりした。
急速に元気になっていく私を見届けてくれたころから、Kさんとは疎遠になっただろうか…
その後もずっと、Kさんとの年賀状やり取りは続行した。
Kさんには複数のお孫さんもできて、楽しそうな年賀状が昨年まで届けられていたのだが。
あれ、そう言えば、今年はKさんから年賀状が届いていないなあ。
と思っていた矢先、昨日Kさんからの年賀状が我が家の集合住宅1階の郵便受けに届いていたようだ。
それを本日昼に亭主が上階の自宅まで運んできてくれて。
Kさんからの年賀状内のメッセージに、私は驚き果てた!!!
我が亭主も、我々の結婚式に出て頂いたりして我が家とは付き合いがあった故に、Kさんのことはよく知っているのだが。
そのKさんの年賀状メッセージを亭主にも伝えると、亭主も驚くと共に自分なりの感想を述べていた。
直ぐにKさん宛に連絡したかったものの、今時年賀状に電話番号を書く輩など皆無であろうし。 Kさんのメルアドも既に移り変わっているだろうし。
最後に、そのKさんの年賀状のメッセージを紹介しよう。
「昨年は激動の1年で、11月末から家を出てひとり暮らしを始めました。」
Kさんのご年齢を今一度記すと、私よりも7歳年上の方だ。
いや~~~~~~。 いつも世の先導者的立場であったKさん、やることが凄いなーーー!!
そんなパワーに溢れているKさんのメッセージに接し。
私も今後共そんなパワーの下にこの世を生きていきたい!! との思いを伝染してもらったかもしれない。
とりあえず、Kさんには早急に手紙を綴りたいと思っています。