原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

オミクロン株急拡大中の大学入試、公平性を保てるのか??

2022年01月13日 | 教育・学校
 大学入試に限らず小中高入試も含めて、この受験期にオミクロン株の急拡大に見舞われ、受験生も関係者もさぞや頭を痛めていることであろう。

 我が家の場合は娘も既にその時代を過ぎ去っているため、入試とは無関係と言えばそうなのだが。



 本日2022.01.13付朝日新聞記事「共通テスト 欠席でも合否 文科省『各大学が厳格に判定』一定の公平性あると見解」 を以下に要約引用しよう。

 新型コロナウィルスの影響で大学入学共通テストの本試験も追試験も欠席せざるをえなかった受験生について、文科省が各大学に個別試験で合否判定を求めた11日付の通知をめぐり、同省は12日、「各大学が慎重かつ厳格。に合否判定するものと考えられる」とし、一定の公平性は保たれるとの見解を示した。 共通テストなしでの合否判定をめぐり、受験生や大学に公平性確保の観点から懸念が広がっていた。
 追試を含め共通テストをすべて欠席した受験生について、個別試験のみで合否判定するよう要請。 個別試験についても追試だけでなく面接などによる再追試の機会を設けるよう求めた。
 また、対象者はコロナ感染の診断書などを大学へ出す必要があるとしている。
 さらに、共通テストを受けなかった受験生の合否は「各大学が決定するとした上で、「共通テストの受験生と比較して、十分にそれを上回る能力を有するかどうかを慎重かつ厳格に判定すると考えられる」と説明した。 

 (以上、朝日新聞記事を要約引用したもの。)




 私事及び私見に入ろう。

 私が大学受験をした時代は、未だ共通テスト制度が無かった頃だった。
 故に、受験生は自分が選択した大学(国公立・私立を問わず)に直接受験に訪れたものだ。

 故に私立大学を受験しなかった私など、大学受験は至って簡単なものだった。
 直接目指す国立大学へ出向き、指定の教科数科目の受験をしたのみで、当時は面接なども一切無かったと記憶している。

 そんな単純入試制度下でも、入学後も特段の不都合は無かった印象がある。

 私の場合は医学部パラメディカルコースへの入学だったが、専門性が高い分野を目指して入学している学生達とはその目的意識も高く、皆が皆その目的に向かって前向きに学問や実習・研究に励んだものだった。
 同級生全員が国家資格試験に一発合格し、それぞれの医療現場へ社会人として進出していった。

 そのような経験しかない私故に、今回のテーマに関しては論評資格が無いともいえそうだが。


 大学入試制度の「公平性」とは、コロナ禍にかかわらずその判定が困難な性質のものではなかろうか?

 共通テストを経験していない私に言わせてもらえば、それが必要か否かにまで遡って議論したい気もする。
 「公平性」の確保のためにそれを実施していると、文科省は言いたいのだろうが。 
 私の印象によれば、共通テスト制度とは要するに“受験生皆の偏差値を基に進学先の大学を振り分ける制度” と表現する方が正しいと言うべきだろう。


 とにかく今の受験を巡る環境は「偏差値第一義主義時代」に移ろいでしまって久しい。
 それに受験者本人も小中校の受験生を送り出す組織も、そして親も皆が踊らされてしまっている茶番劇時代であろう。

 
 もしも時代が遠い昔の私の大学受験時のごとく、“自分が目指したい大学のみの受験”で済ませられるのならば。 
 コロナ禍と大騒ぎせずとて、比較的簡単に本人が目指す大学のみを受験して済んだのではなかろうか。

 そのように考察すると。 
 たとえ世がコロナ禍一色に染まっていようが、大学受験ももっとシンプルに執り行える気もするのだが。


 とにもかくにも現に受験を目指している受験生の皆さんこそが、一番にコロナ禍に翻弄されている犠牲者であることだろう。

 どうかこの逆境下をご自身の精神力で打ち勝って、受験生の皆さんそれぞれが目指す大学・学部・学科合格をゲットされますように!!