原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

医師・福田先生の雑記帳より拝借 「平均寿命」と「健康寿命」

2022年10月08日 | 医学・医療・介護
 久しぶりに、原左都子の愛読ブログである「福田先生の雑記帖」より、記事を拝借・引用させていただこう。



 医師であられる福田先生が、2本前に執筆・公開されていた「『平均寿命』と『健康寿命』」の記載内容を、以下にその全文を引用させていただきます。


  平均寿命、高齢者の健康余命は伸びている。これは高齢者の生活環境が悪くないことの表れであるが、長寿だからこそ健康不安は強くなるという矛盾を抱える。
 それは、健康に対する知識不足、人生の経験から体得すべき学習不足が大きい。高齢者になるまでに65年、後期高齢者になるまで75年も生きてきていて、「老化とは何か」、「高年齢者の健康維持はどうあるべきか」、「いかに死ぬか」などなどほとんど学んできていない。
 私は高齢者を中心に外来診療をしているが「高齢者の健康に対する知識」の乏しさ、「齢を重ねた人の心構え」の乏しさに驚くことが多い。一体何を考えて生きてきたのか??と言いたくなる。責める気はないのだが・・。

 ところで国民の健康を考えると平均寿命の推移が注目される。毎年発表される。国際的にもトップクラスである。しかし、この数値は0歳児の平均寿命のことである。この点は誤解されている。

 厚労省は本年7月29日簡易生命表を発表した。
 生まれたばかりの男の子の平均寿命は81.47年、女の子は87.57年。 世界のトップである。

 これに対して、各人に関連しているのが平均余命。 各年代によって数値が異なる。
 たとえば、現在75歳の方の平均余命は 男が11.58年、女は15.38年。だから、統計上は男は平均86.5歳、女で92.8歳まで生きられる可能性が示されている。平均寿命より5年ほど長い。有難いことである。

 もう一つ健康寿命という指標もある。
 健康寿命は「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」と定義されている。2019年において、健康寿命は男性は72.68年、女性は75.38年であった。
 平均寿命と健康寿命との差は、日常生活に制限のある「健康ではない期間」を意味する。

 高齢者にとっては平均寿命の数値より、健康寿命をいかに伸ばすか、平均余命の値が重要である。
 それには第一に運動習慣、である。

 (以上、「福田先生の雑記帖」より引用させていただいたもの。)




 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 我が義母及び実母がそれぞれ別の高齢者施設へ入居後、その両者の保証人を担当して既に義母は12年、実母は6,7年になるだろうか?

 実母の方は高齢者自立支援施設への入居であり、90歳になろうとしている現在、自室の清掃や洗濯、風呂入れ等々は自身でこなしている。 未だその作業がさほど苦になっていないらしいのはラッキーであり、その作業を出来る限り単独で長く続けられる体力・気力を維持するよう遠方から応援している。
 お風呂も自室にあり、自分が好きな時に風呂桶に湯を張って入れる体制だ。

 食事に関しては、三食およびおやつタイムのすべてを施設依存状態だ。 
 これに関しては既にその生活におんぶに抱っこ状態であり、室内に電気コンロ等の設備があるにもかかわらず、ただの一度も利用することはない様子だ。

 ただ、上記の掃除洗濯・風呂湯張りを日々こなしているのが大きく効を奏しているのか、腰は曲がっているものの、シルバーカーに依存しながらの移動には問題は無い様子だ。


 片や義母だが。

 こちらの施設の方針が「入居者はお客様」であり、すべての生活支援を日々施設担当者が実行する体制だ。
 そんな中、ある程度元気なお年寄りは自室にある洗面台にて洗濯をして、ベランダに干したりする入居者も存在するようだが。
 義母に関しては、入居後家事のすべてを施設担当者に依存し切っている状態だ。
 元々掃除洗濯を嫌っていた義母だが。 
 料理は趣味と自身が言いつつ、昔は立派なお節料理を作ったりもしていたのに…
 施設入居後はそんな趣味のすべてがどこかにぶっ飛んでしまって、施設担当者に100%依存している状況である。

 これじゃあ早くボケるなあ、と内心思っていたらそれが図星で。
 義母は難聴になると同時に、認知症状が出るのも早かった。
 今となってはシルバーカーを押して歩行しているものの。 集中力に欠けてしまっていて、直ぐに転ぶし、あちこちぶつけて怪我が絶えない実情である。



 最後に、福田先生のご記載を今一度反復させていただくと。

  << 「高齢者の健康に対する知識」の乏しさ、「齢を重ねた人の心構え」の乏しさに驚くことが多い。 一体何を考えて生きてきたのか??と言いたくなる。>>

 まさに福田先生がおっしゃる通りであり、特に近頃の義母を看ていると、もう少し“老い”に対する心がけを持ちつつ年老いて欲しかった思いである。


 かく言うこの私も、既に高齢域に突入している。
 元医学関係者にして「健康」を自負しつつ、日々元気に暮らしている身だが。

 今後も “健康寿命をいかに伸ばすか”、これを我がテーマにしつつ、運動習慣を怠ることなく、主体的に生きていきたいものである。