(冒頭写真は、2018.08.08に公開した同名の我がエッセイより再掲載したもの。)
我が愛読ブログである 医師「福田先生の雑記帖」をいつものように拝見すると。
偶然にも福田先生も、鉛筆ファンであることが判明した!
これに気をよくして、本日は再び「鉛筆」をテーマにエッセイを展開することとした。
それでは、「原左都子エッセイ集」2018.08.08付バックナンバー「私も絶対的に『鉛筆』派!!」と題するエッセイの一部を、以下に再掲載しよう。
ずっと前のNHKBSテレビ番組「美の壺」のテーマが“鉛筆”だったのだが、それを視聴した時からこのエッセイテーマを温存していた。
表題には「私も絶対的に鉛筆派!」と銘打ったが。
より正確に言えば、普段の筆記は絶対的に「パソコンキーボード派」だ。
20代後半頃より仕事上、業務用ワープロ(富士通oasisの立派な業務用ワープロだったが)に馴染み、それ以降しばらくワープロ派だった。
28歳時に英文タイピング技能検定2級を取得した。
これに関しては、本エッセイ集バックナンバーにても複数回既述しているが。
当時医学関係の仕事に携わっていた私だが、時代の波に先駆けて業務のシステム化が施され、そのワークシート出力のプログラミング担当を私が率先して申し出た。
FORTRANはキーボード入力字数が少なめのため、さほどの苦痛はないのだが。 これがCOBOLとなると、物凄い字数のプログラムを入力せねばならない。 これにほとほと嫌気がさした私は、すぐさま英文タイプにてブラインドタッチをマスターする事を目指したのだ。 そしてしばらくして英文タイプ2級を取得したとのいきさつだ。
この技能は、後々までも私に恩恵を与え続けてくれている。
高校教諭時代、商業科の授業の中に「ワープロ」があった(当時は未だワープロ時代だったのだが)。 我が専攻は経営法学であり「商業法規」や「商業経済」が主たる受持ち科目だったが。
英文タイプ2級を取得している関係で「ワープロ」の授業も「私にやらせて下さい!」と自主的に申し出た。
これがワープロ初心者の生徒に受けること、この上ない! 教員である私がブラインドタッチでキーボードを高速打ちするパフォーマンスを披露すると、皆がまるで“曲芸”でも見たかのように「私(ボク)も早くそうなりたい!!」と授業への意欲を示してくれるのだ!
その後すぐに「パソコン時代」へと移ろいだ。 おそらくワープロ検定に合格した生徒達もそのブライドタッチ技能を活かし、社会で活躍していることだろう。
これがワープロ初心者の生徒に受けること、この上ない! 教員である私がブラインドタッチでキーボードを高速打ちするパフォーマンスを披露すると、皆がまるで“曲芸”でも見たかのように「私(ボク)も早くそうなりたい!!」と授業への意欲を示してくれるのだ!
その後すぐに「パソコン時代」へと移ろいだ。 おそらくワープロ検定に合格した生徒達もそのブライドタッチ技能を活かし、社会で活躍していることだろう。
この我が“キーボード高速打ち能力”が、その後私自身の直筆力に暗いシワ寄せを招いてもいる。
20代後半期より既に30数年の年月、キーボードにて筆記を依存してしまっている私の手が、「直筆」に馴染まなくなってしまっているようなのだ。
どうやらキーボード高速打ち速度に対応して、直筆の場合も我が手が高速に動こうとする感覚があるのだ。
そんな「直筆」苦手の我が一番の応援者が、鉛筆だ!
鉛筆こそは、私を裏切らない。
我が高速直筆に対応してくれるキャパが鉛筆にこそあることに感激の日々だ。
要するに高速直筆をしようとしても、それ程に書面上をスムーズに移動しないのが鉛筆の特徴ではなかろうか? 特にB以上の柔らかい材質の鉛筆がそれを、私に日々叶えてくれている。
片やボールペンなど悲惨だ。 紙面を滑り過ぎて、ミミズが這った字しか書けない……
元々“左利き”との事情もあるだろうか?? 一旦右手が「直筆」から遠ざかった後のブランクが30数年と長いため、今更ながら右手での直筆が苦手なのかもしれない…
あるいは4年前(現時点で言うと8年前)に右手首を骨折した後遺症かもしれない、と少し考えたりもする。??
それ程に我が右手での「直筆」は悲惨であり、深刻でもある。 (中略)
と言う訳で原左都子自身は、絶対的に「パソコンキーボード派」を一生賭けて貫きたい…。
今尚重要案件で相手がボールペンを私に手渡し、これでここにサインして下さい、と言われると!
実際ミミズしか書けない身にして、本気で困惑するのが実情なのだが……
(以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を再掲載したもの。)
本日朝撮影した写真を公開しておこう。
このがらくた、一体なんだ!?!! とお思いだろうが。
これらが現在私が使用中の鉛筆等筆記具類の写真だ。 一つ一つを「一筆箋」や「メモ用紙」等々と共に家中の一部屋ごとに置いて。 いつ何時も、筆記態勢に入れる手はずを整えている。
参考だが、後列中央は我が娘が自室に置いていったもの。
こちらは、我が愛用の鉛筆削り器。
この鉛筆削り器は私が小学生になった頃より使用して、既に60年以上の年月が流れて未だ健在の我が愛用品。
当時、「足の裏シール」が流行っていたことを思い起すなあ。 その他のシールはすでに痛んで剝がした。
福田先生と“鉛筆愛好”との趣向が同じだったことが、ちょっと嬉しい原左都子で~~~す。😜