上記表題は、決して原左都子に向けて発せられた言葉ではない。
今となっては、特にここ3年程はコロナ禍の影響で一切海外旅行に行けない身だし…
過去には海外留学をしたり、姉が米国在住だったりして姉との絶縁前には米国を訪ね姉の知人と交流を持ったりもしてきている。
そんなこんなで、外国人の友人(や彼氏)が過去に少なくなかった私だが、これに関しても高齢化と共にその機会が極減していて…
とにかく、今となっては英語を本格的に喋る機会が皆無だ!!
この状態をどうにかしたいと思いつつも、手段が見つからない現在だ。
さて、そんな私だが。
今朝ネット上で、冒頭のタイトルの記事を見た。
以下に引用しよう。
タレントのミッツ・マングローブがアシスタントとして14日放送のTOKYO MX「5時に夢中!」(月~金曜・午後5時)に生出演。 英国留学経験を持つ帰国子女の立場から英語力と個人の能力について持論を展開した。
この日の番組では、「ある企業が行った調査で英語ができる人ほど年収が高い。ビジネスができる英語力になると、4人に1人が年収1000万円を超えている」とした記事を紹介。
この件について司会の垣花正に聞かれたミッツは「(年収)1000万円はもちろん超えてますよ。でも、全然、英語がしゃべれないマツコ(・デラックス)さんが年収50億ですからね」と笑わせた後、「じゃあ、英語さえしゃべれれば、給料が上がっちゃうくらいの何らかの地位だったり、役職に就けちゃうっていう単純な構造がまだ日本にはあるかも知れない」と指摘。
「『英語がしゃべれる、わ~、すごい!』みたいな。条件反射でね」と続けた上で「その単細胞な思考回路もそろそろいいんじゃない?って思うんですよ。英語しゃべれたってバカな人はバカだし」と話していた。
(以上、ネット情報より引用したもの。)
原左都子の私事に入るが。
この私の専門分野は主に医学であり、教育であり、その分野にて私は長き独身時代を生き抜いてきた身だが。
英語に関しては、英文文献(各種論文等々)を読む機会は少なくなかったものの。
今一生懸命思い出して見るに、こと「英会話」が職業上必要だったかどうかが思い出せない程に、おそらくその機会は極少なかったのだろう。
私的場面にて、英語を喋る機会はもちろんあった。
例えば、都内六本木の飲み屋で外国人と隣り合わせになって英語で話しかけられた時など、それに喜んで応えたものだ。
それを隣で見ていた友人が「英語が喋れていいね」などと言うのだが、所詮飲み屋で難しい英語が必要は訳はなく、何とか場がもったものだ。
我がエッセイ集バックナンバーにて、ドイツ人CEOに六本木のサパークラブにて声を掛けられた話題を公開しているが。 あれなども、英語がとりもつ縁だった。
私が過去に受けた“英語教育”に関して語ると。
そのすべてが中高大学時代に学校にて学んだ「英語の授業」“のみ”に依存したものでしかない。 その他の英語教育など、私は一切受けていない。
そんな私の「英会話力」とは、まさに当時の“受験英語”がものを言っているとしか言いようが無いのだが。
特に私の中高大学時代とは、決して今のように「聞く・話す」教育など一切無かった時代だ。
そんな私が思うには。
こと「英会話」に関しても、過去に経験した “読み書き中心の受験英語” こそが大いに役に立っていると今尚思うのだが。
要するに英語の発音が劣悪であれども、人との会話を繋ぐのはその会話の中身であることには間違いないであろう。
誠意を持って下手な発音で英語を喋ろうと、会話の中身が相手に伝わればそれが続行可能とのことであろう。
そう言う意味では、冒頭で引用したミッツ・マングローブ氏による引用文もさほど外してはいない、と受け取れよう。
その英会話力がどういう意味で役に立っているのか、をミッツ氏は話題にしたいと欲しておられたのではなかろうか?
国内の経済界に於いて「英語」が真に役立つ場面とは、確かにそれが国益につながることを言うのであろう。
たとえば一般企業に於いては、その「英語」力が企業実績を向上させるほどの実績をともなうべきでもあろう。
過去に英語をある程度喋れた私だが、確かにそれ故に私に有意義な時間をもたらせてくれた記憶も蘇る。
それにしても、既に我が英会話力を発揮する機会に恵まれない時間が長過ぎて。
既に形骸化している我が英会話力を、憂えるばかりだ…