かく言うこの原左都子も、昔から“電話嫌い”だった。
とは言っても 既に高齢域に達している我が人生に於いて、「電話」というものを使用し始めたのは、子ども時代の比較的大きくなって以降だ。
過疎地出身の我が小学生時代を振り返るに、自宅に電話を引いているのは商売をしていたり、金持ちの家と相場が決まっていたものだ。
当時は、それらの家に電話が掛かってきたのをわざわざその家の方が伝えに来てくれて、そのお家まで伺って電話をさせてもらったりしたものだ。
サラリーマン家庭(我が家の場合は両親が公務員だった)である我が家など、家に電話を引いたのは私が中学生の頃だった。
その当時から、特段の電話好きでも無かった私の電話利用度合いは低かった記憶がある。
朝日新聞2023.03.19付「天声人語」は、その“電話”にからむ話題だった。
さっそく以下に一部を要約引用しよう。
昨年の小中高生の自殺者が514人だったという厚労省の発表にやりきれない思いがした。 統計のある1980年以降で、最も多い数値だ。
学業不振や進路の悩み、友達や親との不和といった原因から見えるのは、将来への不安と支える人の不在だ。
相談する場だ必要だが、その窓口が電話主体であることについて、某NPOが貴重な指摘をしている。 今の子どもは電話を使わない。 友人との会話もSNSなのに、深刻な悩みを電話で打ち明けられるのだろうかと。
求められているのは声より、チャットによる文字のやり取りなのだ。 子どもの伝達手段が進化しても、受け止める大人が追い付けているか。 希望が持てる社会に出来ていないことにも、責任を感じる。
(以下略すが、以上、朝日新聞「天声人語」より一部を引用したもの。)
そうだよなあ。
既に電話を頻繁に使用する文化が子供たちの間に無いにもかかわらず、確かに、「自殺防止相談」等々は未だにその受け皿として電話を使用している。
その時代錯誤措置は一体どうしたことなのだろう?
おそらく、受け手である大人側の都合なのであろう。 どう贔屓目に見ても、電話口に出るおばさん、おじさん達が、流暢にチャットをこなせそうもない。 😖 😱
本気で子供たちを救いたいのならば、ここは本気で「自殺相談」等の在り方を見直すべきだろう。
相談員側こそが現代の子供たちに合わせて、チャットでテキパキとやり取りできたならば、増え続ける子供の自殺者を激減可能となるのかもしれない。
最後に原左都子の電話にまつわる余談を書かせて頂こう。
冒頭にて公開した通り、この私は子供の頃から“電話嫌い”である。
この感覚は今尚続いていて、特に自分にとって重要性の低い人種からの電話を毛嫌いしつつ生きてきている。
比較的近い過去の事例を語るならば、例えば一人娘の大学受験時に多発した予備校・塾等々からの勧誘電話ほど鬱陶しいものは無かった。
そんなものに一切依存せずとて、親の私がずっと娘の“サリバン業(お抱え家庭教師)”を全うしていたにもかかわらず、(私よりも学力レベルの低そうな塾等の)くだらない勧誘の実に鬱陶しかったこと!
あまりにもうるさくて、電話口で大喧嘩を売ったこともあった。(相手も負けていなかったが。)😵
近年では、認知症かつ難聴の義母の電話が正直言って実に迷惑だった。
これに関しては、義母側が「(嫁である)私の声が電話では聞こえにくい」とのことで、電話対応を無罪放免してもらって清々している。
逆に、好意を抱いている相手の電話の声が“美声”だったりするパターンもあるのだが。
これには無条件にうっとりさせられたりする身勝手な私だ。😜
何はともあれ、子どもの命がかかっている相談窓口などの場合は、“今時の子どもが電話を使わない” との習性に即座に対応できる大人側の本気の体制作りに期待したいものだ。