例えば、「糖尿病」などもその一つだ。
医学関係者であるこの原左都子も、子供の頃に「“甘いもの”ばかり好んで食べていると糖尿病になるよ」との誤った情報を大人から聞かされてきた記憶がある。
ところが「糖尿病」の発症機序とは、決してそうではない。
以下は、2023.01.25付朝日新聞「糖尿病 名前のイメージ 悩む患者 『だらしない印象が』『自己責任と思われ』」より引用する。
糖尿病は、免疫の異常などによりインスリンの分泌が著しく低下する「Ⅰ型糖尿病」や、食事などの生活習慣や体質などが関係する「2型糖尿病」に分類される。 (中略)
8割の糖尿病の人は、「実態を正確に表す言葉」に病名を変更することを望んでいる。
「尿に糖が出るというイメージが不快」「不摂生で病気になったといったマイナスイメージ」「自己責任の病気と思われてつらい」などの声もある。
某病院の病態栄養治療部長は、「糖尿病とともに生きる人の声に真摯に耳を傾けることが大切」と指摘。 「病を隠す意識は治療にも悪影響を及ぼす。病名について考えることを契機に、長く悩んで来た人の生きづらさを想像する優しさを社会全体が持つべき」と語る。 (途中大幅略)
あるいは、「生活習慣病」との名称があるが、これは故・日野原医師が1970年代後半に「習慣病 日常の悪い習慣が生み出す病気」と説明したのが始まりとされる。
その後、厚生省(当時)の審議会が96年にまとめた「意見具申」の中で、「生活習慣病」という概念の導入を提唱。 これを受けて同省はすぐに「成人病」から「生活習慣病」へ名称を変えた。
ただ、この意見具申は、病気の原因には生活習慣のみならず遺伝、外部環境など個人の責任に帰することが出来ない複数の要因が関与しているとし、「『病気になったのは個人の責任』といった病気や患者に対する差別や偏見が生まれるおそれがある点に配慮する必要がある」と警鐘を鳴らしていた。
「厚生省が当時、意見具申による警鐘を正確に広報していれば、『生活習慣病』を個人責任と見なす近年の風潮を予防できた」と某教授は指摘する。
(以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)
原左都子の私事及び私見に入ろう。
身内の恥を晒すが。
私が子供の頃から、父方の祖父が「糖尿病」を患っていた。
この祖父、大地主の一人息子(女兄弟はいたようだが)として生まれ、小さい頃より後継ぎとして“蝶よ花よ”と周囲の皆から贅沢三昧に育てられたらしい。
そのためか、いつも甘いお菓子や果物等々をおやつに食べていたようなのだが。 大人になって「糖尿病」を患った際に、周囲からいつも言われたていたのが、「甘いものばかり食べて来たからこうなった」だったという訳だ。
いや確かに我が記憶によってもこの祖父、名店で甘い銘菓を買い込んでんで来ては一人でバクバク食べていた記憶がある。 その印象が強いせいで、この私も「祖父は甘いものばかり一人で食べていたから糖尿病になったのだ」と信じていた。
私が上京後に死去したと見聞しているため、おそらく70代頃に他界したとの計算になるだろうか。
余談だが、我が祖父の場合は実際そんな生活習慣の大いなる乱れも「糖尿病罹患」との運命を自身で作り上げたとものと、今尚思えるふしもあるのだが…
そんな我が(愚かな)祖父の事例は例外として。
今考えるに「生活習慣病」との医学命名も、確かに“無責任さが満載”との感覚だ。😖
その前の「成人病」命名が、あまりにもお粗末だったにせよ。😲 😭
今後は 病名名づけに際して、どうか患者さんたちの名誉を傷つけない命名に期待したいものだ。