郷里の高齢者自立支援施設に暮らす我が実母関連のエッセイが続いて恐縮だが。
いえもちろん、実母が生まれた時代と私が生まれた時代背景とでは雲泥の差だったであろことはこの私も想像がついている。
ただ、実母から過去に聞かされた話によると。
実母が暮らした実家は、地元産のワカメや海苔の養殖業が結構繁盛していたらしい。
その家の長女として生まれた実母は地元の女学校を卒業し、それなりに戦争も乗り越え役所の公務員として働いていたと私は聞いている。
その後 縁あって我が父との見合いにての縁談が整い嫁いだようだ。 当初は新婚で二人暮らしをしていたらしいが。
その後父の実家に誘われて私が4歳時に父の実家へ引っ越したとの経過だ。
その頃の記憶は、今尚我が脳裏に鮮明にある。
小さき私としては、今までよりも随分と広大な敷地と家屋がある家へ引っ越したものだ、と少し嬉しい気分にすらなっていた。
そんな私もその地の幼稚園を経て小学生となり、その後中高生と成長していくのは自然の理だが…
実の母親が次女の私を捕まえては「嫁ぎ先に対する不服」と「長女である実姉の不服」等々を私にぶちまけ続けるのに、ほとほと嫌気がさしていた。
もしかしたら、私が郷里医学部卒業後すぐに上京した真の理由とは。
この実母の 次女である私に対するそれらの「自分の不満のぶちまけ対象とされる」事実にとことん嫌気がさしていたのではないか、と今振り返る。
それでも、実母はめげずに上京した次女の私宛にしょっちゅう電話を寄越し、実父や姉に関する不満を訴え続けて来ていたことを思い起す…
それがいつまで続行しただろうか??
我が晩婚後まで続いていた記憶がある。
いやいや、私が高齢出産にて超難産で一人娘を生んだ時ですら、自身の不満を私に語り続けたものだ…
「そんなに今の状況がつらいならば、父と離婚して新たな人生をスタートさせればいいんじゃないか? 娘二人も郷里を出て自立しているし、何らの障壁も無いと思うけど。」と私がアドバイスしたこともある。
そうしたところ実母から返された答えとは、「そんなこと、あの田舎で出来る訳ないじゃろ!!!」」だった。
それは全く違う! 母の自由だろう?!? とすぐさま感じた私だ。
正直言って外見的努力に関するただのひとつのすべもしないまま年老いてしまっている実母(お洒落の一つもせずデブり続け、早くから腰を曲げてしまっている!😱 )には、そんな対象相手がただの一人として存在し得ないのが結論だったという事だろう…
とにかく、郷里の実母は。
表題の通り、実父を既に25年も前に亡くしているにもかかららず。
その後の人生再スタートの努力をいろんな意味合いでまるでなさずに、無駄に年月を過ごしてきている感がある。
どうして我が実母は、特に老後に至って以降各方面・分野に於いて何の努力も無い人生を歩んでしまっているのか…
実の娘として、何だかもの悲しい気分にすら陥ってしまう…😰