原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再々掲載「『できる子』って、誰のこと?」

2024年01月07日 | 教育・学校
 2日程エッセイ執筆を小休止している間に、2019.08.29付バックナンバーが本エッセイ集ランキング50の上位にランクインしていた。


 これ、筆者である私が2024年の今現在読み返しても大いに同感できるため、本日以下に一部を再々掲載させていただこう。
 

 学校の夏休みもそろそろ終わりだ。
 児童・生徒の皆さんは、宿題出来たかな?
 今現在、駆け込みダッシュで宿題を仕上げている子供達も多い事だろう。
 かく言う私だが。
 今だから正直に言うが、我が娘の夏季休暇中の宿題のほぼすべてをこのサリバンの私が仕上げたと言って過言ではない。
 何分、我が娘の指導とは一筋縄にはいかない。 サリバンが優先順位をつけ、優先度が低い課題に関してはそれを私が代行してやらない事には娘の負担が大き過ぎるのだ。 例えば中学受験、大学受験期などは特に、それを最優先に娘に頑張って貰わねば娘の将来が無い。
 夏休みの宿題などとの二の次でよい“余分”な労力を、娘に課す訳にはいかなかったものだ。
 娘の成長度合いを観察しつつ、それに添うようにサリバンの私が頑張ったものだ。
 
 さて、今回は子供の教育関連エッセイだ。
 2011.01.06公開の「『できる子』って、誰のこと?」を、以下に再掲載させていただこう。
 この表題は、(2011年)1月4日付朝日新聞一面トップ記事 「できる子 伸ばせ」 の題名を一見して抱いた“一種の嫌悪感”と共に、原左都子の脳裏に浮かんだ疑問をそのまま表現したものである。
 もう少し詳細に私の“嫌悪感”を説明すると、「できる子」と一言で言っても何ができるのかが問題であるはずだ。 全国紙である朝日新聞たるものが、国民の誤解を生みそうなこんな軽薄な表現の表題を一面トップに掲げて教育を語ってよいものなのか!? と言ったところである。
 これはあくまでも本文記事を読んでいない段階での私の感想なのだが、新年早々教育関連記事を名立たる新聞が一面トップに持ってくること自体にそもそも意表をつかれる思いだ。 まさかとは思うが新政権の文科省が本年の学校教育課題として“「できる子」を伸ばす”ことを第一義に掲げ、それを新年早々国民に吹聴するようメディアに裏で指示でもしているのであろうか?? 
 そう言えば近頃の義務教育においては、既に「ゆとり教育」が見直される方向にあると言われて以降何年か経過している。
 一例として東京都杉並区立和田中学ではもう3年も前の時点で民間企業出身の校長の指揮の下で、公立中学の立場にありながら学校が身勝手に選出した(?)一部の「できる子」とやらを対象に「夜スペ」と銘打って一種の“英才教育”を施し世間の物議を醸したものである。

 確かに私が子どもの頃とは、「できる子」なる言葉が大手を振ってまかり通っていた時代だった。
 「原左都子エッセイ集」開設直後2007年9月のバックナンバー 「横並び教育の所産」 においても既述しているが、私の小学生時代には学校の物事のすべてが「できる子」中心に執り行われていた。
 この場合の「できる子」の意味合いとは至って単純で“お勉強のできる子”という馬鹿さ加減なのだが、要するにたかが小学校レベルでの学習習熟度の高い子ども達が、学校におけるあらゆる活動において重宝されていたのである。 実はこの原左都子も一応「できる子」に分類されていたようで、子供心に多方面で“いい思い”をしてきてた記憶があるのは事実だ。

 ところが当時(“もやは戦後ではない”と言われた昭和30年代頃)の学校教育とは、単に学校現場の(失礼ながら教員たる資質が疑われるような)教員どもが自分が“使い易い”「できる子」に頼りつつ日々の教育を取り仕切るという、至って安直な発想から生じた生徒に対する評価で身勝手に「できる子」を選定しているに過ぎなかったものだ。 それはまた、今後将来に向けて育ち行くすべての子ども達の人権や将来性を否定するべく歪んだ産物に他ならなかったのである。

 その後学校教育も時代が巡りめぐり、結果として経済力も教育力も低迷を続けざるを得ない程に国力が衰退した現在のこの国が、今後の国家発展のために学校教育において 「できる子」 を育成したい気持ちは分からなくもない。 だが決して国政たるもの過去の学校教育における思慮不足の過ちを繰り返さないで欲しいと祈りつつ、朝日新聞記事に目を通した原左都子である。

 そうしたところ、上記(2011年)1月4日付朝日新聞トップ記事を読んだ後に、今回の朝日新聞記事を綴った記者が言わんとしている趣旨は原左都子なりに一応理解できたのである。
 それでも私がこの記事の担当であるならば「できる子 伸ばせ」ではなく、「未来の科学者を育てよう!」 と題したであろう。 その方がよほど世の共感を得たであろうし、学校教育現場で本気で子どもの将来を考慮している人材からの反発を食らわずに済んだのではなかろうか。

 要するに今回の記事は、「国際生物学オリンピック」で日本初の金メダルを受賞した高校生グループを取り上げ、賞賛するのが趣旨の記事なのだ。
 朝日新聞トップ記事及び3面記事の内容の一部をここで紹介しよう。(中略)
 
 (以下3面記事)  数学五輪メダリスト達は進路を聞かれると「東大に行きたい」と言う。 ところがその多くは医学部志望だという。 なぜならば親が数学では食っていかれないと言うからだそうだ。 (中略)  個々の研究室が極めて狭い領域の指導に偏り組織的な教育がなされていない現状だ。 米国ハーバード大学の試みによると、分野を問わず多様性のあるクラス編成をした方が「毎日が刺激的!」と答え活性化する学生が増えることが実証されている。科学分野の研究とは一つの見方やアプローチだけでは行き詰る。異分野の研究者と交じり合い新鮮な視点や手法があってこそ活性化する。

 上記朝日新聞記事要約の前半部分に関しては、尚、異議申し立てしたい原左都子である。
 戦後の日本の義務教育においては決して「底上げ」に重きが置かれてはいなかったと、その時代に児童生徒だった私は言い切れる思いだ。 かと言って「できる子」は学校がそれをうまく利用するだけで決してその才能を伸ばす教育も成されていなかったというのが、厳しい私論であるが日本の昭和の時代の貧弱な教育の実態だったのではなかろうか。(結局は家庭環境が豊かな子どものみが、その家庭力によってある程度の教育を受けられたというだけの話に過ぎないであろう。)
 平成に入って文科省が「ゆとり教育」を全面に打ち出した時には、当時教員を退職し我が子を産んでまもない時期の原左都子にとって、どれ程我が国の教育行政の“進化”に感激したことであろう。 それも束の間、我が国の学校教育の現状は彷徨い続けるばかりである…

 朝日新聞記事の後半部分に関しては、私も大いに同意する。(おそらく、前半部分と3面の後半部分を担当した記者が異なる人物なのであろう。)
 結局は子ども本人が科学に興味を示しているにもかかわらず、世間知らずの親の立場としては「せっかく東大に入るならば偏差値が高い医学部に入った方が世間の聞こえもいいし、あなたも将来高収入を得られるじゃないの」とアドバイスすることになるのだろう。 そこには一切、親としての子どもの適性や夢に関する展望が欠落している。
 そんな中、ハーバード大学の分野を超えた多様性のあるクラス編成の試みは実にすばらしい!と言えよう。

 原左都子なりの結論を述べよう。
 「できる子」とは一体誰なのか?
 それは決して小中高でお勉強が出来て国際教科オリンピックで金メダルを取れるという、表面的な現象に満足する子ではない。
 そうではなく、視野が狭く軽薄な親どもや周囲の下手な干渉にもめげず、自分の意思を貫きつつ自分らしい人生を送れる潜在パワーを育成してきている子なのである。 
           「子ども達よ、がんばれ!!」

 (以上、本エッセイ集2011年1月バックナンバーを再掲載したもの。)


 2019年8月現時点に戻ろう。

 表題に掲げた娘の夏季自由研究レポートを今読んでも面白いため、それに関して少しだけ述べよう。
 共同研究者に母の私の氏名が書かれているが、実際は私一人で仕上げた“自由研究”である。 
 この種の研究課題は、我が過去の医学経験故にお手の物である。 論文作成の方法論を十分心得ているため、スムーズに着手出来たものだ。
 テーマの選定のみは娘と話し合い、当然娘の合意を得た。 過去に二人で観賞したプラネタリウムにヒントを得たものだ。

 何れの研究も同様だが、まずはテーマに関する参考文献収集から着手する。
 当時は既にネット時代へ変遷していたため、それが実に容易だった。 (参考だが、私が修士論文を作成した時代は未だネット時代では無かったがために、図書館へ足繁く通い詰めるはめとなったものだ。)
 サリバンの私一人で仕上げたとは言えども、必ずや娘に正書・熟読させ内容を完璧に理解させる指導は欠かさなかった。 
 この自由研究は提出後学校で高く評価されたようだが、所詮中学校現場の話だ。
 そんな事は二の次としても。

 結論としては、我が子を如何なる分野であれ“できる子”に育て上げるのはやはり最終的には親の責任と私は判断し実行して来た。 
 夏休み中の子供の宿題を手伝う課程とて、その一環になるかもしれないとの結論だが。 

 (以上、「原左都子エッセイ集」2019.08.29公開のバックナンバーの一部を再々掲載させていただきました。)




 話題を、2024.01現在に移そう。

 「サリバン」との言葉が懐かしい。 
 視力・聴力障害を抱えるヘレン・ケラー氏の専属家庭教師を務めたアン・サリバン氏から借用したものだ。 
 現在に至っては、親から離れて立派に一人暮らしを貫いているIT技術者の我が娘だが。 まさに幼少の頃程、発達障害を抱える身にして母親である私の教育指導が欠かせなかったものだ。

 そんな娘が現在30歳を超えている今振り返ってみるに。

 まさに我が娘は我がサリバン指導に従って、大学卒業まで十分過ぎる程の学習努力を絶え間なく続けてくれたものだ。
 元々亭主に似て従順素直な性格に加えて、母親の私の精神面での強靭さも兼ね備えているとの、我が身勝手な娘に対する評価なのだが。😜 


 とにかく我が娘は、「できる子」へったくれの世間の意味不明かつ無責任な評価基準に全く翻弄されることなくひたすら努力を重ねてくれたと。

 娘に対して幼少期は元より小中高とサリバン指導を実施した私は、我が子ながら高評価したい。