私がこの世に生れ出たのは、「もはや戦後ではない」と叫ばれた時代背景の頃であり。
また、私は過疎地ド田舎出身の立場にして。
当時、母親の事を「ママ」と呼ぶ子供は私の周囲には皆無だった。
時代が大きく流れ。
私が初めて娘を出産した頃、私は既に40台に近づく年齢だった。
いや、年齢とはかかわりなく。
はやり私は 産んだ我が子から「ママ」と呼ばれることに関して、アレルギーと言えるほどの絶対的な抵抗感があった。😨
そこで我が家では、私に対して「おかあさん」の呼び方を娘に強制したのだが…
実際にそれを娘が私に言ってくれたのは、幼稚園入園前頃までだったような記憶がある。
その代わりに。 我が娘は 私に素敵な“愛称”をプレゼントしてくれた!!
それは「パッカ」なのだが。
その由来を説明しよう。
娘が2歳時に、私は運悪く「頭部皮膚癌」を患った。 (いや、運悪くではなく、この原因となった事象を私は自分なりに解析・把握できていた。 それは、医学業務にて「無菌操作」が必要だったのだが、当時の紫外線管理が未だ至ってずさんな時代で、特に係長の立場だった私は日々大量の紫外線を浴びていたのだ。 原因はそれ!と断定した私だが、とにかく原因は何であれ、その頭部皮膚癌の手術跡の直径6cm程の一生涯に渡り抱えて生きる運命を背負った。
この頭部の直径6cmの傷跡を如何にカバーしているのかを説明すると。 普段の外出時等々には必ずやウィッグを被ることとしている。
40歳時からそれを被り始めて以降、現在に至るまでに私が作ったオーダーウィッグや、購入した市販品ウィッグの総数を計算してみると、約30個。 金額にすれば数百万円に及ぶ。
そうであれ、今の時代はウィッグが十分に市民権を得ている事実に大いに助けられている。
「これ、ウィッグなんですよ~~!♪♪」と私が自慢すると、「あーら、お洒落さんね!!」で済まされる実に良き時代である!♪♪
話題を、我が娘の幼少期に戻そう。
そんな訳で我が40歳時より、外出時には必ずウィッグ着用が常識となっている私だが。
家では そんなもの被る訳もなくいつも頭をさらしていると。 可愛い2歳の我が子が素晴らしい愛称を私にプレゼントしてくれたのだ!
それぞ「カッパ」!!
ちょうど、NHKの子供向け番組内で「カッパなにさま、カッパさま」との楽曲が流行っていた頃で、娘がそれに合わせて「おかあさんは、カッパ!♪♪」と歌ってくれるではないか!!
これが大いに気に入った私は自らの愛称を「カッパ」と決めたところ、未だ幼い我が娘が「ぱっか」「ぱっか」と私の事を呼び始めた! (幼い子供とは、文字を逆さまにする習性がある。)
これぞ、我が愛称だ!!と再度決定した私は、その後娘との会話時には いつも「ぱっかがねえ…ナンタラカンタラ」と自称し始めて以降現在に至ってまで娘との二者関係に於いて、「パッカ」の愛称が活きている!!
娘が独り立ちして以降は、さすがに私の事を「パッカ」とは呼んでくれていないかなあ…
何だか寂しい思いすらする母の私だが。😰
とにかく、私的に究極気持ち悪い「ママ」となど呼ばれる事態は絶対的に避け通したかったパッカ(私の事だが…)としては。
そう言えば、娘からもらった今年の年賀状には「パッカ」の文字があった!!
やっぱり私は、現在尚娘に「パッカ時代」と同然に可愛がられているんだ! と何だか安心したものです!!
こんな風に母娘関係をいつまでも紡げるのも、母親の立場として幸せってことでしょう!?!!!