原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

連続企業爆破事件の49年逃亡容疑者が、末期癌の死に際に本名を名乗る心理

2024年01月27日 | 時事論評
 (冒頭写真は、2024.01.27付朝日新聞より転載した「連続企業爆破事件」で爆破の対象とされた企業などの一覧表。)


 冒頭より、表題事件逃亡容疑者が末期癌の現在本名を名乗ったとのニュース報道を、2024.01.27朝日新聞記事より以下に一部引用しよう。

 1974年、75年に起きた連続企業爆破事件で、警視庁が爆発物取締罰則違反容疑で指名手配されている桐島聡容疑者(70)を名乗る男の初代を把握し、26日に事情を聴いたことが捜査関係者への取材でわかった。
 警視庁は、本人か確認を進めている。本人と特定されれば、事件から49年経っての確保となる。
 警視庁によると、桐島容疑者は過激派集団「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、警察庁指定の重要指名手配となっている。 75年4月、東京・銀座の勧告産業経済研究所に手製爆弾を仕掛けて爆発させ、一部を壊した疑いがもたれている。
 桐島容疑者とみられる男は今月、神奈川県鎌倉市の病院に偽名で入院。25日になり、病院側に「自分は桐島聡だ」と話したという。
 男は末期がんで重篤な状態といい、桐島容疑者本人かどうかをDNA鑑定などによって調べているとみられる。
 連続企業爆破事件はゼネコンなどに爆発物が相次いで仕掛けられ、東反日武装戦線が犯行声明を出した。このうち三菱重工爆破事件では同社社員や通行人ら8人が死亡、380人がけが。 警視庁は事件に関与したとして9人を逮捕。一連の事件では桐島容疑者らが闘争を続けていた。
 (朝日新聞別ページより) 桐島容疑者は自ら病院を訪れたわけではなく、体調を悪化させて病院へ運ばれたとみられる。 末期がんと診断され、重篤な状況という。
 共犯者として国際手配されている容疑者らが海外逃亡したことにより、桐島容疑者の事項は停止されている。

 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)




 今回この事件を原左都子エッセイ集にて取り上げたのは。

 桐島容疑者(現在70歳らしい)と原左都子の現在の年齢が近い事。
 及び、この私が医学専門業務に携わる目的で上京したのが、この事件発生からさほどの年数が経たない時代だった故だ。
 確かに当時は、このような連続企業爆破事件等々の凶悪犯罪が多発している平和とは言えない騒々しい社会背景だったことを記憶している。

 この桐島容疑者が今回末期癌にて入院した病院にて「自分は桐島聡だ」と自分から名乗り出たとの報道に、私は大いに興味を持った。

 想像するに、長い逃亡生活が苦難の連続だったのだろう。
 しかも、末期がんを患っていたとの報道。
 おそらく心身共々日々切羽詰まりつつ大打撃を受けているであろう状況下で。 やっと病院にて安静に出来る環境に<恵まれ>た事実に、容疑者が心底ホッとしたのではあるまいか??

 当時の連続爆破事件の共犯者たちの中には、国内を散々逃げ回った挙句の果てに75歳の高齢にして海外逃亡を企てた女性もいるらしいが。

 それに比して桐島容疑者は、末期癌にて国内にて今回入院措置がとられたとのこと。
 これで、桐島容疑者は少なくともこの病院にて末期癌にて他界するまで安心して過ごせ、安らかに息を引き取ることが可能となったと受け取ってよかろう。

 その安堵感から、今回の病床にての「自分は桐島聡だ」との発言が出たものと考えられよう。


 いやはや、いっぱしの人間が過激派集団になど所属して「連続企業爆破事件」に加担するべきでないのは当然なのだが。

 今回の桐島容疑者の末期癌病床にての「自分は桐島聡だ」発言に。

 現在同じくらいの年齢を重ねてきている原左都子としては。
 何だか言いようの無い人それぞれの人生の苦悩や重みがある事実を、実感させられている心境だ…