(写真は、女優の原節子氏)
「原節子」氏といえば、ある年齢以上の日本人ならば誰一人知らない人がいない程一世を風靡した昭和の時代の大女優である。
原節子氏が女優として活躍したのは私がこの世に生まれる以前が中心であるため、この私もその名はよく知れども現役時代の氏の活躍ぶりを全く知らない。
なのになぜ、今回「原節子」を本ブログの記事として取り上げ論評しようとしているのかと言うと、実は私と原節子氏とはある共通点があるからだ。個人情報保護上の理由によりその共通点が何であるかはここでは申し上げられないが、それのお陰で私は日頃得をすることが多いのである。
その共通点を介して見知らぬ方や初対面の人と会話がはずむ事がよくあるのだ。
まずは皆さん、その共通点を知ると間違いなく驚かれる。「へえ~、そうなんですか!」と。先だっても歯科で診療中に歯科医の先生と原節子談議になり、「私もファンだったのですが、私の恩師が原節子さんの後援会に入っていたこともある程の大ファンで、どうのこうの……」とおっしゃるのだ。 そして皆さん、例外なく異口同音に原節子氏を褒め称える。 絶世の美女であること、“永遠の処女”のキャッチフレーズが物語るように汚れなき清純なイメージであること、今で言う癒し系であること、等々…。
他にも世間を一斉風靡した女優や歌手は存在しなくはない。例えば、美空ひばりや最近では山口百恵(若干印象は弱いが)なども芸能史に残る輝ける存在であろう。だが、例えば美空ひばりの場合は「歌い方を好まない」「美女とは言えない」「不健康そうで若死にしている」等々のマイナス評価も存在する。また、山口百恵の場合もやはり「決して歌がうまいとは言えない」「美女とは言えない」「芸人として円熟せずして引退している」等のマイナスイメージがある。
これに対し、原節子氏にはマイナスイメージが一切ないのだ。百人中百人が絶賛するのである。
前置きが長くなったが、そこで本記事においてはその存在を知る人が皆絶賛する昭和の大女優「原節子」を取り上げて、その魅力を探り分析してみたいと考える。
ただし、既述の通り何分私は現役時代の原節子氏を存じ上げないため、人からの伝え聞きや資料による分析とならざるを得ない。本文に不足や誤りを発見された方はコメント等で何なりとご指摘いただけたら幸いである。
それでは、「原節子」氏の魅力のポイントを絞りながら個々に分析していこう。
まず魅力の第一点。 絶世の美女である。
好みはあろうが、この女性を「美女ではない」と言う人はいないのではなかろうか。
原節子氏デビューの背景として、時代劇「河内山宗俊」の監督山中貞雄氏が、そのヒロイン像として“すべての無頼の男達が、この美しい瞳のためなら死んでもいいと思うような清純で可憐な女優”を条件にヒロインを捜し求めた挙句、当時まだ16歳の原節子を大抜擢したといういきさつがあるらしい。
顔立ちが洋風なのが特徴と私は捉える。もしかしたらハーフか?とも思われるような彫りの深さなのであるが、実際はどうなのであろうか。 1930年代後半の当時、海外との交流がまだまだ少ない時代背景の下、この原節子氏の斬新とも受け取れる洋風の風貌を日本男子がもてはやしたのであろう要素も考察できそうである。
そして魅力の第2点。 清純なイメージである。
日独合作映画「新しき土」(1937年)の撮影のために来日したA・ファンク監督は、上記の「河内山宗俊」の原節子を見てその映画のヒロインに抜擢したらしい。
“神聖にして犯すべからず(永遠の処女)の背光を帯びたまま今日に至っている”と言われるごとく、その後の27年間の女優人生の銀幕作品すべてにおいて原節子氏は色褪せることなく初々しいままだそうだ。
プライベートにおいても、原節子氏にはスキャンダル的要因が一切ないようなのだ。この頃既に、スキャンダラスな女優は何人か存在している。原節子氏よりもう少し前の時代になるかもしれないが、岡田嘉子氏などはその最たる存在ではなかろうか。
やはり時代背景的に清純なイメージの女性が好まれたのであろう。それにしても、デビューから27年後の引退までそのイメージを一貫して演じ抜いた原節子氏はやはり一種超越した存在であろうと私は捉える。演技力のみではカバーしきれないご自身の生き様そのものがその役柄に投影され、清純な雰囲気を醸し出していたのであろうか。
最後に魅力の第3点。 “癒し系”である。
かなり以前に私の職場の上司から見聞した話であるが、原節子氏には汚れ役、穢れ役が一切なかったらしいのだ。氏は女優人生27年間を通して潔い“麗人”であり続け、優しく微笑む美しい瞳をファンに投げかけ続けたのである。
長年に渡り一貫したプロ意識で自分のイメージを持続し通した原節子氏の右に出る女優は、古今東西に類をみないかもしれない。
そして理由を一切明かさず突然スクリーンから姿を消し、公の場にも姿を見せなくなったそうだ。真実の姿が謎のまま“伝説の女優”として原節子は今なお語り継がれている。
(参考資料としてインターネット情報を大いに活用させていただいたことを追記する。)
「原節子」氏といえば、ある年齢以上の日本人ならば誰一人知らない人がいない程一世を風靡した昭和の時代の大女優である。
原節子氏が女優として活躍したのは私がこの世に生まれる以前が中心であるため、この私もその名はよく知れども現役時代の氏の活躍ぶりを全く知らない。
なのになぜ、今回「原節子」を本ブログの記事として取り上げ論評しようとしているのかと言うと、実は私と原節子氏とはある共通点があるからだ。個人情報保護上の理由によりその共通点が何であるかはここでは申し上げられないが、それのお陰で私は日頃得をすることが多いのである。
その共通点を介して見知らぬ方や初対面の人と会話がはずむ事がよくあるのだ。
まずは皆さん、その共通点を知ると間違いなく驚かれる。「へえ~、そうなんですか!」と。先だっても歯科で診療中に歯科医の先生と原節子談議になり、「私もファンだったのですが、私の恩師が原節子さんの後援会に入っていたこともある程の大ファンで、どうのこうの……」とおっしゃるのだ。 そして皆さん、例外なく異口同音に原節子氏を褒め称える。 絶世の美女であること、“永遠の処女”のキャッチフレーズが物語るように汚れなき清純なイメージであること、今で言う癒し系であること、等々…。
他にも世間を一斉風靡した女優や歌手は存在しなくはない。例えば、美空ひばりや最近では山口百恵(若干印象は弱いが)なども芸能史に残る輝ける存在であろう。だが、例えば美空ひばりの場合は「歌い方を好まない」「美女とは言えない」「不健康そうで若死にしている」等々のマイナス評価も存在する。また、山口百恵の場合もやはり「決して歌がうまいとは言えない」「美女とは言えない」「芸人として円熟せずして引退している」等のマイナスイメージがある。
これに対し、原節子氏にはマイナスイメージが一切ないのだ。百人中百人が絶賛するのである。
前置きが長くなったが、そこで本記事においてはその存在を知る人が皆絶賛する昭和の大女優「原節子」を取り上げて、その魅力を探り分析してみたいと考える。
ただし、既述の通り何分私は現役時代の原節子氏を存じ上げないため、人からの伝え聞きや資料による分析とならざるを得ない。本文に不足や誤りを発見された方はコメント等で何なりとご指摘いただけたら幸いである。
それでは、「原節子」氏の魅力のポイントを絞りながら個々に分析していこう。
まず魅力の第一点。 絶世の美女である。
好みはあろうが、この女性を「美女ではない」と言う人はいないのではなかろうか。
原節子氏デビューの背景として、時代劇「河内山宗俊」の監督山中貞雄氏が、そのヒロイン像として“すべての無頼の男達が、この美しい瞳のためなら死んでもいいと思うような清純で可憐な女優”を条件にヒロインを捜し求めた挙句、当時まだ16歳の原節子を大抜擢したといういきさつがあるらしい。
顔立ちが洋風なのが特徴と私は捉える。もしかしたらハーフか?とも思われるような彫りの深さなのであるが、実際はどうなのであろうか。 1930年代後半の当時、海外との交流がまだまだ少ない時代背景の下、この原節子氏の斬新とも受け取れる洋風の風貌を日本男子がもてはやしたのであろう要素も考察できそうである。
そして魅力の第2点。 清純なイメージである。
日独合作映画「新しき土」(1937年)の撮影のために来日したA・ファンク監督は、上記の「河内山宗俊」の原節子を見てその映画のヒロインに抜擢したらしい。
“神聖にして犯すべからず(永遠の処女)の背光を帯びたまま今日に至っている”と言われるごとく、その後の27年間の女優人生の銀幕作品すべてにおいて原節子氏は色褪せることなく初々しいままだそうだ。
プライベートにおいても、原節子氏にはスキャンダル的要因が一切ないようなのだ。この頃既に、スキャンダラスな女優は何人か存在している。原節子氏よりもう少し前の時代になるかもしれないが、岡田嘉子氏などはその最たる存在ではなかろうか。
やはり時代背景的に清純なイメージの女性が好まれたのであろう。それにしても、デビューから27年後の引退までそのイメージを一貫して演じ抜いた原節子氏はやはり一種超越した存在であろうと私は捉える。演技力のみではカバーしきれないご自身の生き様そのものがその役柄に投影され、清純な雰囲気を醸し出していたのであろうか。
最後に魅力の第3点。 “癒し系”である。
かなり以前に私の職場の上司から見聞した話であるが、原節子氏には汚れ役、穢れ役が一切なかったらしいのだ。氏は女優人生27年間を通して潔い“麗人”であり続け、優しく微笑む美しい瞳をファンに投げかけ続けたのである。
長年に渡り一貫したプロ意識で自分のイメージを持続し通した原節子氏の右に出る女優は、古今東西に類をみないかもしれない。
そして理由を一切明かさず突然スクリーンから姿を消し、公の場にも姿を見せなくなったそうだ。真実の姿が謎のまま“伝説の女優”として原節子は今なお語り継がれている。
(参考資料としてインターネット情報を大いに活用させていただいたことを追記する。)
原節子と言えば、私に浮かんで来るのは、黒澤明監督の「わが青春に悔いなし」の八木原幸恵枝です。黒澤作品の大ファンながら、残念な事にこの秀作を観れないまま現在に至っている事を悔やんでいます。
「わが青春に悔いなし」は確か、京都大学の滝川事件とゾルゲ事件に素材を得たものであると記憶しています。
あのような時代に於いて、時代に対する抵抗感としての「わが青春に悔いなし」を製作した黒澤明監督の偉大さを改め想います。
原節子。この方も偉大だと思います。銀幕スターの引き際を考え、27年間の映画人生に終止符を打ったのは、完璧な自己演出を考えてのことでしょう。そこに独特の「美意識」を読み取る事ができます。語り継がれ、伝説が伝説を生み、スターがスターを創りある・・・。スターがスターたる所以でしょう。
大島渚監督が著書の「現代映画芸術考」(記憶が定かでないので、図書名が違うかも知れないが)で奥さんの小山明子さんを引き合いに出しながら、その様な事を述べられていたのを思い出しました。
岡田嘉子さんは、30年ほど前、劇団民藝の客演として宇野重吉さんと共演されていました。当時のパンフレットを何処に仕舞い込んだ為、見当たリません。
原節子。この有名な女優の世界に想いを馳せますが、勿論、原さんの人物像への興味も尽きません。
恥かしながら、訂正します。
そのように考察してみますと、私と女優原節子氏との共通項は人生を演じ抜いているという点かもしれません。
女優としての原節子氏は27年間のみだったかもしれませんが、私はもうウン十年も自分の人生を演じ抜いております。今後も死ぬまで果てしなく続きます。
そろそろ主演女優賞が欲しい位です。
いつもいつも私なりの美意識を描いて、不完全ながらも自分が目指す完璧な自己演出を重ねつつ自分の人生を演じ抜いてきているつもりです。
原節子氏は幸せな女性ですね。そうやって今尚スターとして存続し得るのですから。
私は一生スターではあり得ない一庶民の立場ですが、今後も私なりの“原節子”を演じ切って人生を全うしたいと思っております。
原節子さんの作品を見たことがなく、話題にしたこともありません。左都子さんの記事だけでの印象となりますが、27年間一貫してひとつのイメージを持続させるのは並大抵のことではないと思います。経験を積めば新しいものに挑戦しくなることもあるでしょうし、常に麗人扱いされては荷が重い気がします。ご自身の夢より観客のそれを優先させたのでしょうか。与える喜びと同じだけ得る喜びがあったのでしょうか。少し距離をおいて見ますと、様々な謎を残すところに伝説のひととして語り継がれる魅力があるのかとも思います。
おそらく私はひねもすさんよりももうちょっと前の時代から生きているかと思いますので、原節子が活躍したその時代背景は理解できるように思います。
原節子氏は時代が求める最高の女優像を演じ切ったと私は思います。
もしかしたら新しいものに挑戦するという選択肢さえなかった時代かもしれません。それに嫌気がさす役者はおそらくスキャンダラスな行動に走ったものと察します。それがかなわぬ道だからこそ、一旦道をはずすととことんはずさざるを得なかったのかとも察します。それはそれで岡田嘉子氏のように語り継がれています。
何だか私はこの時代を生きた女性達が羨ましくさえ感じます。不自由な下での自己表現って、もしかしたら命がけかもしれません。そんな切羽詰った自己表現も味わってみたいものです。
励ましのコメント、本当にありがとうございます。
お返事 遅くなってゴメンナサイ…
体調も落ち着き、そろそろ退院です。
また改めて遊びに来ますネ(^o^)
食欲も出てきましたか?
退院して落ち着いたらまた遊びに来て下さいね。
サンセットさんのブログへは定期的に訪問させていただきます。
引き続き、くれぐれもお大事に!
「東京物語」に出ていますが、何れも演じたヒロインの名前が「紀子」です。
原節子氏も原さんも、人生を演じ抜いた、演じ抜いているとすれば、それは、抽象的な言い方ですが「時代に対する抵抗感と生命感の発露」である、と私は捉えます。
これは、あらゆる芸術の根底を成すものでもありますが・・・。文学や映画に、これが強く現われると思います。
これは、自分が生きていく根源であり証でもあるように思います。
ただときどき疲れます。抵抗感や生命感を保ち続けるためには自分の内面に大きなエネルギーをいつも持続していなければならないためです。
疲れた時にどう乗り切るのかにも能力が要求されるのですが、少し立ち止まってすべてを棚に上げて休息することも私にとっては大事な事なのかもしれません。