(本記事は、先週末のバックナンバー記事「彼の名はジョニー」の続編です。)
(写真はジョニーと私とジョニーの愛車ポルシェ。個人情報保護のため不明瞭処理をしています。)
そして、私の帰国の日がやってきた。
ジョニー(仮名)がサンフランシスコ空港までポルシェで送ってくれたのだが、その道中ジョニーから少し気になる話が出た。例の「睡眠障害」の話なのであるが、車の運転中に突然睡魔に襲われることがありこれが極めて危険であるとのことだ。経験はないが想像は十分可能である。
その日のジョニーは多少元気がない。どうやら睡眠不足のようだ。それでも私を送りたいがために無理をして明るく振舞っている様子だった。
秋頃今度はジョニーが日本に来る約束をして、私はサンフランシスコ空港から飛び立った。
帰国後ジョニーは毎晩電話をくれた。時差の関係でいつも夜の11時半頃だった。電話での英会話はこれまた大変だ。身振り手振りができないため会話の実力のみが勝負となる。それでも毎夜約半時間位電話での英会話を続けていると、これまたみるみる上達するのだ。
ジョニーは国際便でよくプレゼントを送ってくれたが、帰国後最初に届いたプレゼントは“answering machine”である。これ、日本語でいうところの留守録装置だが、私の電話には留守録機能が付いていなかった。(当時は留守電がさほど普及していなかった時代である。)たまに私が留守の時があったため、ジョニーが自分で留守録を吹き込みたいがために送ってくれたのだ。(このジョニーの留守電がムードたっぷりだったなあ~。必ず“I love you”をささやいてくれていた。これを聞くと私は気持ちよく眠りにつけたものだ。) 米国人の特徴であろうが、愛情表現やコミュニケーションをとても大事にしてくれる人だった。
そんなジョニーの電話での頻繁な愛情表現を含めたコミュニケーションのお陰で、遠距離恋愛ではあるが距離感がさほどなく、11月のジョニーの来日が近づいた。
欧米では珍しくない話だが、サラリーマンも年に2度程長期休暇が取れるらしい。この長期休暇を利用して、ジョニーは東南アジア旅行も兼ねて日本にやって来た。
ジョニーは3週間程日本に滞在したと記憶しているが、ジョニーとの共同生活を私はこの時初めて経験することになった。ジョニーの日本滞在が長いので、私は職場に通いながら有休を利用して鎌倉、日光、京都方面を二人で旅行したりもした。
ここで、いよいよジョニーの「睡眠障害」と私は直面することとなる。やはり夜眠りに就けないようなのだ。夜中にまだ慣れないであろう私の部屋をうろうろしている。滞在当初は私も相当ジョニーに配慮して一緒に付き合った。 ところが、私の場合長年の一人暮らしに慣れてしまっていることもあるし、また今回は仕事をしながらの共同生活であるため、私の体内に疲れとストレスが溜まり始めた。
ここでもう一点決定的な話をしておこう。(私のブログの性質上この話を書いてよいのかどうか迷ったのであるが、この話なくしてこの恋愛物語は半分も語れないと判断したため思い切って書こう。)
実は、ジョニーには性的特殊嗜好があったのである。ジョニーはいわゆる“M”だった。酒の上での冗談半分の猥談等でこういう話はよく出るが、私が実際にこの事態に直面するのはジョニーが初体験であった。正直言ってこれは大変厳しい世界であり、当事者にとっては冗談では決して済まされない事態である。(もしかしたら日本においてはあくまで冗談の域を超えておらず、真の嗜好者はいないのではないかと私は今でも思う程だ。)真の嗜好者にとっては真剣勝負の世界である。これとて努力家の私は相当努力して演技力でカバーしてジョニーに付き合ったのであるが、自分に“S”的性的嗜好がないと、今後長年それに付き合って行くことは困難であろうことを私は思い知らされた。
当時私は十二指腸潰瘍を患っていたが、ジョニーの「睡眠障害」と「性的特殊嗜好」による“奇行”が原因の日々の疲れとストレスのために病状がひどくなっていくのだ。遂に私は微熱まで出始めてダウン気味になってしまった。それでも薬を飲みつつ私は仕事も続けていた。
京都に行ったとき、ついに私はジョニーに大喧嘩を売った。旅先でもジョニーの“奇行”により寝れない私はもう限界だった。当時名立たるホテルでの朝食時に国際恋愛カップルが英語で大喧嘩をしている姿はさぞや奇異だったことであろう。
ところが、普段のジョニーはすこぶる紳士でやっぱり優しいのだ。いつも相変わらず“I love you.”とささやいてくれる。一生懸命コミュニケーションをとってくれる。このギャップの激しさがさらに私の辛さに追い討ちをかける。まだ若かりし私にとっては何を信じていいのやら頭が爆発しそうになるのだ。
不安定な関係のまま、ジョニーは東南アジアへ旅立った。今度は冬に私がアメリカを再び訪ねる約束をして…。
その後もやはり毎夜ジョニーは電話を欠かさずくれるのだ。留守電の“I love you.”も引き続き私の心を魅了する。
そして冬になって再び私はアメリカを訪れた。久しぶりに会うジョニーはやはり素敵だ。最初の2、3日は相変わらず二人はお互いを求め合い、幸せそのものだった。
ところが、喉元過ぎるとまたあのジョニーの“奇行”は終わりなく始まる…。
結局また私はドロドロの世界へと誘われてしまう。しかも、回を重ねる程お互いに身勝手さが増強してゆく。
やっぱりこの恋愛の行き着くところは終焉なのか…、との結論が私の頭をよぎりつつ帰国した。
その後もジョニーは相変わらず毎夜電話をくれた。
だがさすがにジョニーの“奇行”に限界を感じもう潮時かと考えた私は、ジョニーに長い別れの手紙を綴った。ジョニーをまだ本能的に求めているやるせなく切ない自分のコントロールし兼ねる体と情念を抑えつつ…。
その後しばらくして、私はお見合いで“奇行”のない日本人男性と結婚することになる。
ジョニーは今、どうしているのだろう。
(写真はジョニーと私とジョニーの愛車ポルシェ。個人情報保護のため不明瞭処理をしています。)
そして、私の帰国の日がやってきた。
ジョニー(仮名)がサンフランシスコ空港までポルシェで送ってくれたのだが、その道中ジョニーから少し気になる話が出た。例の「睡眠障害」の話なのであるが、車の運転中に突然睡魔に襲われることがありこれが極めて危険であるとのことだ。経験はないが想像は十分可能である。
その日のジョニーは多少元気がない。どうやら睡眠不足のようだ。それでも私を送りたいがために無理をして明るく振舞っている様子だった。
秋頃今度はジョニーが日本に来る約束をして、私はサンフランシスコ空港から飛び立った。
帰国後ジョニーは毎晩電話をくれた。時差の関係でいつも夜の11時半頃だった。電話での英会話はこれまた大変だ。身振り手振りができないため会話の実力のみが勝負となる。それでも毎夜約半時間位電話での英会話を続けていると、これまたみるみる上達するのだ。
ジョニーは国際便でよくプレゼントを送ってくれたが、帰国後最初に届いたプレゼントは“answering machine”である。これ、日本語でいうところの留守録装置だが、私の電話には留守録機能が付いていなかった。(当時は留守電がさほど普及していなかった時代である。)たまに私が留守の時があったため、ジョニーが自分で留守録を吹き込みたいがために送ってくれたのだ。(このジョニーの留守電がムードたっぷりだったなあ~。必ず“I love you”をささやいてくれていた。これを聞くと私は気持ちよく眠りにつけたものだ。) 米国人の特徴であろうが、愛情表現やコミュニケーションをとても大事にしてくれる人だった。
そんなジョニーの電話での頻繁な愛情表現を含めたコミュニケーションのお陰で、遠距離恋愛ではあるが距離感がさほどなく、11月のジョニーの来日が近づいた。
欧米では珍しくない話だが、サラリーマンも年に2度程長期休暇が取れるらしい。この長期休暇を利用して、ジョニーは東南アジア旅行も兼ねて日本にやって来た。
ジョニーは3週間程日本に滞在したと記憶しているが、ジョニーとの共同生活を私はこの時初めて経験することになった。ジョニーの日本滞在が長いので、私は職場に通いながら有休を利用して鎌倉、日光、京都方面を二人で旅行したりもした。
ここで、いよいよジョニーの「睡眠障害」と私は直面することとなる。やはり夜眠りに就けないようなのだ。夜中にまだ慣れないであろう私の部屋をうろうろしている。滞在当初は私も相当ジョニーに配慮して一緒に付き合った。 ところが、私の場合長年の一人暮らしに慣れてしまっていることもあるし、また今回は仕事をしながらの共同生活であるため、私の体内に疲れとストレスが溜まり始めた。
ここでもう一点決定的な話をしておこう。(私のブログの性質上この話を書いてよいのかどうか迷ったのであるが、この話なくしてこの恋愛物語は半分も語れないと判断したため思い切って書こう。)
実は、ジョニーには性的特殊嗜好があったのである。ジョニーはいわゆる“M”だった。酒の上での冗談半分の猥談等でこういう話はよく出るが、私が実際にこの事態に直面するのはジョニーが初体験であった。正直言ってこれは大変厳しい世界であり、当事者にとっては冗談では決して済まされない事態である。(もしかしたら日本においてはあくまで冗談の域を超えておらず、真の嗜好者はいないのではないかと私は今でも思う程だ。)真の嗜好者にとっては真剣勝負の世界である。これとて努力家の私は相当努力して演技力でカバーしてジョニーに付き合ったのであるが、自分に“S”的性的嗜好がないと、今後長年それに付き合って行くことは困難であろうことを私は思い知らされた。
当時私は十二指腸潰瘍を患っていたが、ジョニーの「睡眠障害」と「性的特殊嗜好」による“奇行”が原因の日々の疲れとストレスのために病状がひどくなっていくのだ。遂に私は微熱まで出始めてダウン気味になってしまった。それでも薬を飲みつつ私は仕事も続けていた。
京都に行ったとき、ついに私はジョニーに大喧嘩を売った。旅先でもジョニーの“奇行”により寝れない私はもう限界だった。当時名立たるホテルでの朝食時に国際恋愛カップルが英語で大喧嘩をしている姿はさぞや奇異だったことであろう。
ところが、普段のジョニーはすこぶる紳士でやっぱり優しいのだ。いつも相変わらず“I love you.”とささやいてくれる。一生懸命コミュニケーションをとってくれる。このギャップの激しさがさらに私の辛さに追い討ちをかける。まだ若かりし私にとっては何を信じていいのやら頭が爆発しそうになるのだ。
不安定な関係のまま、ジョニーは東南アジアへ旅立った。今度は冬に私がアメリカを再び訪ねる約束をして…。
その後もやはり毎夜ジョニーは電話を欠かさずくれるのだ。留守電の“I love you.”も引き続き私の心を魅了する。
そして冬になって再び私はアメリカを訪れた。久しぶりに会うジョニーはやはり素敵だ。最初の2、3日は相変わらず二人はお互いを求め合い、幸せそのものだった。
ところが、喉元過ぎるとまたあのジョニーの“奇行”は終わりなく始まる…。
結局また私はドロドロの世界へと誘われてしまう。しかも、回を重ねる程お互いに身勝手さが増強してゆく。
やっぱりこの恋愛の行き着くところは終焉なのか…、との結論が私の頭をよぎりつつ帰国した。
その後もジョニーは相変わらず毎夜電話をくれた。
だがさすがにジョニーの“奇行”に限界を感じもう潮時かと考えた私は、ジョニーに長い別れの手紙を綴った。ジョニーをまだ本能的に求めているやるせなく切ない自分のコントロールし兼ねる体と情念を抑えつつ…。
その後しばらくして、私はお見合いで“奇行”のない日本人男性と結婚することになる。
ジョニーは今、どうしているのだろう。
文化の違い以上のものが障害となったようですね。「普段はいいひと」というのが厄介です。原さんの決心は固くてもジョニーの思いはわかりませんし、「普段はいいひと」を切り捨てるのは心が痛みます。別離には遠距離であったのが幸いしたかもしれません。今は懐かしんでおいでのようで何よりです。何事も時間が解決してくれるのでしょうか。ジョニーが睡眠障害を克服しているといいですね。
自己表現に関する文化の差なんでしょうか?
睡眠障害は私自身大きな悩みなのでなんだか同情的にも思いましたが…
ジョニーが来たなら伝えてよ。
もっと適度に距離が保てたならばお互いに苦しまずに済み、長続きしたのかもしれません。そういう意味では遠恋とは不自然な恋愛形態であるのでしょう。
そうですね。今はどうしているのでしょうかね。
おそらく睡眠障害は重度でしたので、まだ抱えているのではないかと思います。
そうなんですよ。姉が独身時代に一人で住んでいたコンドミニアムも広くて、しかも安価なんです。現在は一戸建てに住んでいますが、庭師はいませんが自分では手入れしきれないので、街で求職している人(沢山うろついているようですが)を捕まえてきて、室内の掃除も含めて短時間労働をしてもらうようです。
東京の住宅事情とは雲泥の差ですね!
お互いにもっと眠れたならば、もっと別の展開もあっただろうにと今でも思います。
とにかく“二重苦”を抱え、夜な夜な眠れなかったというのがこの恋愛関係の一番の苦い思い出です。
本当に「睡眠障害」とは辛い病気ですね。
続編はDRYさんに書いていただいた方が面白かったかもしれません。
実はジョニーの睡眠障害に関しては姉も知っていて、遠距離恋愛はハンディが大きいことも含め姉に反対されていました。
私が別れる決意をした時姉も賛同しまして、「ジョニーへの伝言」を自らしていたようです。
“恋愛とはどのような恋愛であれ必ず終焉を迎えるものである。恋愛のゴールが結婚であり得ない…。”
私もまったく同感です。それ故に最初から恋愛と結婚を分けて考えておりました。
結婚とは終わりがあってはいけない。特に子どもを設けた場合は子どもも犠牲にしてしまうからです。もちろん結婚において恋愛感情を伴っているのは理想型ですが、終わりなき結婚にするためにより重要なのは人間対人間の信頼関係です。これがなくなってしまうと必ず終わりが来ます。信頼関係を維持するお互いの日々の努力も必要でしょう。
恋愛とは必ずや終焉を迎えるものだと私も経験上思います。終焉を迎えない恋愛があるならば教えて欲しい程です。
すべて終わりがあるものは美しい。
終わりがあるからこそ、その一瞬の輝きは何物にも変えられない程愛おしくまた切ないのだと思います。
そんな一瞬の輝きを幾つになっても享受しながら生きていきたいものですね。