(冒頭写真が何だかお分かりになる方は、おそらく身内に高齢者を抱えていらっしゃることであろう。 正解を言うと、補聴器に着ける耳栓の一種である。)
私の義母(亭主の実母)がかなり以前より認知症を患っている事実に関しては、当エッセイ集 “医学・医療・介護カテゴリー”に於いて再三述べてきている。
昨日は、高齢者難聴も重ね持つ義母の耳鼻科での補聴器点検日だった。
この付添いが大いに難儀かつ重労働であり、いつも亭主とどちらが付き添うかをなすり合うのだが。
昨日は亭主が具合が悪いとのことで、同じく足腰に痛みが発生している私が無理を承知で義母に付き添う事となった。
まったくもって、“老々介護”の厳しさをこんな時にこそ思い知らされる。😭
ところが認知症状のある義母は、自分の息子が未だ50歳程、嫁の私は40代と信じて疑っていない程のボケぶりだ。 (確かに嫁の私に関してはそれくらいに見えるだろうが、亭主に関しては年齢相応だぜ。)😜
義母に会う都度、「お義母さんが90歳を迎えるのに、息子や嫁がそんな若い訳がないでしょ。 息子は70歳が近いし、嫁の私も既に60代後半ですよ!」と大声で訴えるのだが…
義母が驚いて「ええ! そんな歳になってたの!!」といつも言うものの。
月日が過ぎればやはり亭主は50歳程、嫁の私が40代に戻ってしまうのもいつものことだ…
そんな義母の認知症故の勘違いに関しては、可愛いもんだで済ませられるとして。
義母の一番困惑させられる“認知症癖”は、赤の他人に対して急に怒り始める事態だ。
これ、一体どうしたと言うのだろう?
原左都子の通常の感覚としては、 “身内には厳しく、他人には一応配慮して” なのだが。 それが逆転してしまっている義母の心理が、認知症では無い私にはどうしても理解しがたい…
昨日も、義母を高齢者施設へ迎えに行きタクシーをチャーターして一緒に乗り耳鼻科へ向かった。
義母は嫁の私に対しては、「〇子さんにはいつもお世話になって感謝しています。 今日も耳鼻科の付き添いありがとう。」等々と美辞麗句を並べ立てるのに…
耳鼻科に到着するなり、一人でさっさと受付へ向かい、
「あのねえ、私の耳栓をこちらで預かってるでしょ! あれ、私のものですから返してくれませんか!?!」
耳鼻科担当者の皆さんも、この義母の認知症故の悪癖に既に十分慣れて下さっていて、丁寧に対応いただけるのに頭が下がる思いだが。
その際に嫁の私としてはいつも、「申し訳ございません。義母が勘違いしているだけで、その耳栓は私の家で保存しています。 どうか、お許し下さい。」、との展開になってしまうのは必然であろう。
この耳鼻科提携補聴器会社の担当者氏も、これまた義母の認知症故の失態を把握して下さっていているのに加えて。
補聴器担当者とは常に高齢者に接触しその対応に十分に慣れておられる故に。
付き添いの私も補聴器室では心より安心して義母対応を担当者氏に任せられる事実に感謝感激だ。
やはり業種に限らず“プロ業”とは凄いなあ。 などと感激できる事実こそが、我が義母付き添い業の最大のメリットなのかもしれない。
そんな義母に対する、“老々介護”をいつまで続けねばならないのだろう??
私の場合、郷里の高齢者自立支援施設に暮らす実母の保証人業も兼ねている。
ただし実母の場合は未だ基礎重篤疾患も認知症状も無いまま、郷里の施設である程度元気に暮らしてくれているようだ。
その事実をありがたいと思うべきだろう。
今現在は、認知症状が重い義母を大事にするべきとの結論に達するのか?