原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

人間関係の手始めに“手土産”を持参しよう!

2012年08月26日 | 人間関係
 ここのところ、私は“目の上のたんこぶ”がポロリと取れたがごとくのすっきり爽やかな日々を送っている。

 一体何がどうしたのかと言うと、原左都子が現在の居住地としている集合マンションの隣に、先日“お年寄りご夫婦”が引っ越して来られたのだ。


 それまでお隣に住み先だって転出したご一家に関して、当エッセイ集7月30日バックナンバー 「女性が“望まない妊娠”から解放される日」 と題する記事に於いて、以下の記述をした私だ。 少し振り返ってみよう。
 とにかく、よく言えば“賑やか”、悪く言えば“粗雑”な一家だった。
 3年半程前に引っ越して来た時には、3歳位の女の子が1人いる若い世代の親子3人の家族構成だったのだが、どうやら近くにどちらかの実家や親戚が多数あるのか、大都会のマンションにしては例外的にいつも人の出入りが激しく入居当初より“ドタバタ”状態だった。 直ぐに次の男の子が生まれ、大きな泣き声や子どもが部屋中を暴れる騒音が日夜我が家に響いて来た。 片や玄関前の通路に目をやるとそこは隣家の“物置き場”と化していて、各種粗大ゴミやママチャリ、三輪車やベビーカーが通路の真ん中にも置かれている有様だ。 その通路を通行してエレベーターや階段を利用せねばならない位置にある我が家は、日々難儀させられた。 時々堪忍袋の緒が切れる私がそれを隅に片付るとの“実力行使”に出るのだが、隣家からは何らの反応もなく、誰かが片付けてくれてよかったとでも思っているような様子だった。
 そして何と驚いた事に、昨年隣家に3人目の赤ちゃんが誕生した! 実に失礼な表現だが、日々迷惑を被っている我々一家としては 「え~~~、今までに増して騒音が発生するし、通路の粗大ゴミが増えるってこと!?!」でしかなかった……  もちろん、その現実にも日々耐えた。  若き世代が子どもを産み育てる事を応援するのが古き世代の役割であるとの、悲壮的なまでの責任感を我が原動力として…。
 ただ、実際問題として日夜隣家の喧騒に耐えねばならない、“静かに暮らしている住人”の切実な現状も少しはご理解願いたいと思う。 一言の挨拶でもあれば我が家も凌げるが、こちらから挨拶しても“なしのつぶて”状態なのだ。 何分、個人情報に深入りしない人間関係をわきまえねばならない現社会でもあり、対応が困難だった…

 上記ご一家が転出後、しばらく静寂を取り戻していた我が家である。
 それでも次に隣に転居して来る家族構成の予想をしつつ、身内と談話を交わしたものだ。 「どう考えても、おそらくまた小さい子どもがいる家庭が引っ越して来る確率が高いよね? 今時中古マンション物件が高額で即売できる時代だから、また直ぐに喧騒が押し寄せて“旧の木阿弥状態”になるのは目に見えてるよねえ…  まあせいぜい今の内だけでも静寂を堪能しておこうよ…」

 ところが、である。
 1週間後にお隣に転居して来たのは、80歳前後のお年寄りご夫婦だったのだ!
 実はこのお年寄りご夫婦は階下に住む娘さんご夫婦の親御さんであられるのだが、その娘さんに対して私はほぼ10年前の入居当初より好印象を抱いていた。 私より若干下の世代と思しきその女性は、いつお会いしても物静かに丁寧にご挨拶下さっていた。 こんな人ばかりが住人ならば、皆が静かに穏やかに暮らせるのになあ… といつも感じていた。
 そして週末の日曜日に、新しいお隣さんは娘さん共々3人で我が家に“菓子折”と共に転入のご挨拶にみえた。  「両親がお隣に住む事になりましたので、どうかよろしくお願い致します」といつものように物静かに丁寧にご挨拶下さる娘さんである。 そして“この親にしてこの子あり”を証明するがことく、母親であられる女性も娘さんそっくりの物腰である。 ご亭主の高齢男性は多少足がお悪いようだが、一緒にニコニコと静かに頭を下げておられた。

 これを我が家が喜ばない訳がない。
 「何とラッキー!!」と身内と共に、心底お隣“お年寄りご夫婦転入”の幸運を讃え合ったものだ。
 
 集合住宅のみならず新興住宅地の一戸建とて同様であろうが、自分が住む家を購入するに当たり周辺住民環境を自分自身が選択出来ないとの運命を背負わされるものだ。
 それはまさに“くじ”を引かされているような感覚である。 たまたま“当たりくじ”が出て周辺住民に恵まれると自分が欲する生活が叶うが、この“くじ”を外すのが世の常だ…  我が家の場合、住居買替えにより転居に転居を重ねて来ているが、今まで“くじ”が外れっぱなし状態だったと言える。
 上記のごとく、「どうせ、また“はずれくじ”だよね… それを覚悟しておかないと」と身内と語り合った直後にご挨拶にみえたのが“お年寄りご夫婦”だったのだ。

 このご夫婦、いつ転居して来られたのかも分からない程静かに入居されたようだ。 引越挨拶にみえて初めて入居された事を知った我が家である。
 その後も在宅されているのかいないのかも不明な程の静けさだ。 時折タクシーを利用してお二人で外出されているようだが、その出入りに際してすら物音が一切しないのだ。 以前のご一家など家族の誰かが外出する時のドアの開け閉め音たるや物凄い音量だった。 とにかく1日中“ドタン・バタン、ギャーギャー・ワイワイ”の喧騒音の連続だった。


 以上のように今回 “ラッキーくじ” を引き当てた我が家であるが、この自分たちが理想とする素晴らしいまでのお隣との人間関係を今後も是非共大事に慈しみたい思いの私だ。
 そこで私は身内に申し出た。 引越しのご挨拶に頂いた菓子折のお返しとして“手土産”をお隣に持参したいと。 そんなもの亭主になど相談せずとてさっさと持って行けばいいじゃないか!、とおそらく地方に暮らしておられる方は思われるであろう。 ところが、大都会に於ける人間関係とはそれ程単純ではないのだ。 これを「迷惑行為!」と言って付き返してくる家庭が実際数多く存在するのが現在の“大都会の掟”なのである。
 とにもかくにも様々な世代や人種が共同生活を営む集合住宅内に於いては、広い視野を持ち住民の皆さんとの摩擦を避けつつ暮らしていかねばならない。

 それでも、身内の合意の下に私はそれを実行した!
 タイムリーに我が故郷から送られてきた“すだち”をお隣に「おすそわけ」という形で持参したところ、それはそれは喜んで下さった。
 それだけでも私は十分嬉しかったのに、その1週間後にまたお隣からやはり「おすそわけ」との事で、新鮮なトウモロコシやプチトマトを沢山頂いたのだ。 



 夏も終わりに近づいていますが、明日から私は娘を引き連れて上記“すだち”の里である我が郷里に旅に出ます。
 帰宅時には、我が住まいである大都会集合住宅の“お隣さん”に郷里のお土産をお届けしたい思いを持って…。

 その間ネット世界からは一切離れ、我が娘と共に過疎地ド田舎の自然と人情に触れて参ります。
 しばらく「原左都子エッセイ集」の執筆をお休み致しますが、もしよろしければ当エッセイ集のバックナンバーなどを紐解いて頂けましたら幸いです。
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