原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

田舎の人情  VS.  都会の人情

2012年09月01日 | 旅行・グルメ
 (写真は、我が郷里の中央公園内一風景)

 
 旅の一番の楽しみとは、その地に住む人々との“一期一会”の出会いにあるのではなかろうか。
 特にその地が自分の郷里ともなると、お国言葉が懐かしいせいか初めてお会いした気がせずついつい長話をしてしまう場面が私には多々ある。

 
 さて、「原左都子エッセイ集」読者の皆様とは1週間程ご無沙汰させていただき、我が高齢の母が一人身で生を営んでいる郷里へ8ヶ月ぶりに娘と共に帰省することとなった。 
 大都会に生まれ育っている我が娘にとっては、郷里帰省は田舎の自然や文化に触れるまたとはない機会でもある。  いつも帰省の際には我が母の住居へ訪れるに先立ち、ホテルに1泊して束の間の観光を楽しむのが我々母娘の旅の恒例となっている。

 今回何処の場を観光したいかに関して既に大学生になった娘にその選択を委ねたところ、ネット検索にて上記写真の中央公園内に位置する市立博物館を探し当てたようだ。
 実は私が40年程前に通っていた高校は、国鉄(現在のJR)県内主要駅よりこの公園内を抜けてもう少し東に歩いた地に存在している。 その通学路を40年が経過した今一度歩いてみたい思いに駆られ、娘の博物館案に快く同意した私だ。

 旅行初日に博物館を訪れてみると、案の定8月も終わり時期の平日昼間に来館者の数は少ない。 過疎地とはこれだからいい!と都会暮らしの我々は感じつつ、まるで“貸切”のごとくの博物館内を娘とじっくりゆったり堪能した。
 この中央公園内に位置する博物館は過去において存立した城内跡を改装して作られた施設であるようだが、公園敷地内には名勝旧城表御殿庭園が今尚美しい姿で築庭されている。
 その庭園風景を一望できる博物館内休憩席にて我々母娘が庭を愛でつつお茶を一服していたところ、博物館の女性係員が隣に同席された。 そして、「どこからお越し下さいましたか?」と懐かしい郷里イントネーションで訪ねて下さる。
 「東京から来ましたが、私はこの郷里の出身です」と私が返すや否や会話が活性化するのは予想通りだ。 その後、娘も交えて束の間の会話を楽しませていだだいた我々である。 
 昭和24年生まれとの博物館女性係員氏より、市内の川が流れる場において“船のクルーズ”観光が楽しめるとの情報を得てそのクルーズを堪能し、その後川沿いにある地元の居酒屋で郷里の夜をほろ酔い気分で過ごし、次の日の朝我が母が住む地に路線バスで向かう段取りとなる。


 ここで今回のテーマである「人情」について少し触れると、特に居酒屋やホテル等のチェーン組織においては、たとえそれらが地元組織が経営主体であれシステム化が幅を利かせ、都会の模倣状態であることを実感させられると言う事だ。 経営が潤っているバリバリ個人経営の店舗でも訪れたならば、昔ながらの人情溢れるサービスが堪能できたのかもしれない。 ところが今の時代はたとえ過疎地と言えども、おそらく“人情溢れる”サービスをむしろ鬱陶しく感じる市民が大多数であり、接客サービスをマニュアル化している現状を実感させられる思いだ。


 翌朝、いよいよ我が母が住む地へ路線バスに揺られ1時間かけて向かうのだが、この“バス内部の光景”も都会とまったく同様である。 むしろ、現在に至っては都会の方が弱者顧客により親切かと思う程だ。 と言うのも、終点近い停留所で降り立つ私が(スイカを使えない場に慣れないが故に)現金払いにまごつき時間を消費してしまった事態を快く思わない風の運転手氏だった…。

 さてさて母の住む住居に着いても、時代と共に人の訪問が少なくなっているように感じる…
 ひと昔前ならば「東京から娘さんが帰ってくる!」と周辺住民までが一緒に喜んで下さり、地元で取れた農産物等を持参して都会に暮らす私の姿を一目見ようと母の住まいに訪れて下さったものだ。 私の方もこれが嬉しかったのだが… 
 母が言うには、今となっては時代も変わり周囲の皆さんの世代が移り行ったとのことだ。 それでも周辺住民の方々は普段は高齢者である母の事を気遣って下さっているようだが、娘達が帰省している間はむしろ訪問を自粛するべきと心得て頂いている様子である。


 確かにそうだよなあ。 この情報化社会に於いて、都会も田舎もへったくれもないよなあ…

 と振り返りつつ大都会の我が家の集合住宅に帰宅した私と娘だ。
 そして、昨日 (前回の当エッセイで綴った通り)我が家のお隣さんにほんの少しばかりの郷里の手土産を持参した。
 やはり、お隣高齢ご夫婦よりご丁寧な御礼を頂戴した。
 今後もお隣さんとはうまくやっていけそうな感覚の原左都子である。


 最後にこのエッセイの結論を述べるならば、今の時代においては他人の「人情」に触れるに当たり“田舎”“都会”などとの地域的要因は何ら関係ないという結論が見出せそうだ。
 そうではなく、一人の人間として自分が接する個々の相手と如何なる関係を築きたいのかを自身の内面で熟考した人間関係を築いていく中にこそ、たとえ“一期一会”の関係であろうと心温まる人情に触れることが可能になるのであろうと私は実感する。 
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