原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

子どもの職業選択に多大な影響を及ぼす要因とは?

2012年02月20日 | 仕事・就職
 NHKが現在放映中の連続テレビ小説「カーネーション」が相変わらず面白い。
 それ故に、「原左都子エッセイ集」に於いて「カーネーション」を取り上げるのは今回で3度目の事となる。


 もう1ヶ月程前の話になろうか?  「カーネーション」主人公 糸子 が妻子がある事を知りつつ短い間恋をした“周防さん”との関係の描き方が美しかった。
 糸子の一時の素敵な恋ではあったが、人倫に外れている故に周囲からの批判を浴びつつのストーリー展開だった。 そんな恋にして、周防さん役の男優氏の何とも“繊細”かつ“はかない”存在感に切なさを駆り立てられたものだ。 
 結果として、2人の“かりそめの恋”の行く末が「すっきり」「きっぱり」短期間で終焉を迎えることになったいきさつも、気丈な糸子さんらしさが十分に表現できていて納得できるものだった。


 さて、今回の本エッセイ集で取り上げたい「カーネーション」の名シーンとは、糸子の三女聡子の職業選択に関する場面である。
 2月18日(土)の「カーネーション」に於いて、三姉妹の中で一番出番が少なかった三女聡子がやっと取り上げられた。

 ここで「カーネーション」を見ていない方々のために少し補足説明をすると、世界的に活躍する服装デザイナーであるコシノ3姉妹(コシノヒロコ氏、ジュンコ氏、ミチコ氏)のお母上小篠綾子氏の一代記を取り上げたのが、今回の「カーネーション」である。
 長女ヒロコ氏(役名優子)、次女ジュンコ氏(役名直子)に関しては既に幼い頃より現在に至るまでその成長の過程がドラマ内で数多く展開されてきた。 ご両人共に元々母譲りの天才肌に加えて、性格的にも大阪岸和田の洋裁界きっての豪傑ともいえる「小原洋裁店」のオーナーであり母である糸子譲りの“負けず嫌い”気性をそのまま受け継ぎ、そのみなぎるパワーを現在の成功に繋げて来ている。
 
 豪傑姉達の影に隠れて、三女のミチコ氏(役名聡子)のみはテニスに於いて全国制覇まで成し遂げたもののドラマの中では存在感が薄かった。
 そんな三女聡子がテニス大会で全国制覇を成し遂げた後に母糸子の前で宣言した言葉が、同じく未成年者の娘を持つ母である原左都子の心髄をグサリと突いてきたのだ……

 母糸子から「あなたはテニスの実力で実業界に入るんでしょ?」と問いかけられた時の聡子の表情が、原左都子の娘が昨年「美術分野の進路を辞めたい」と突然言い出した時の表情とまったく同じだったことに私は愕然とさせられた…
 その後聡子が糸子に訴えた思いには、親として涙が止まらない私だったものだ…
 「寂しかった…」「家族の中で私一人が仲間はずれだった…」 「もう辛くて嫌だから私はテニスをきっぱりと辞めて、みんなと同じ洋裁の道に進みたい」


 ここで原左都子の娘の私事に入らせていだたくことにしよう。
 現在高3で4月から某大学への入学が決定している我が娘は、元々美術系志望だった。 美術に関して私も身内もまったく経験がない故に自分達ではその分野は指導しかねるため、親である私が取った対策は娘を“美大予備校”に入学させる事だった。
 そこで我が娘なりに2年間修行に励んでいたのだが、高2の秋頃から母の私に美術系の進路に関して“違和感”を訴え始めていた。 既に1年半もその分野で修行している娘にとって単にそれは一時のスランプあるいは迷いと捉えた私は、「まあ受験勉強とは元々厳しいものだし、美術方面とてそういう事もあるのは常だろうからもう少し頑張りなさい」等々と無責任に励ましたものだ。
 ところが高2の2月になって、娘が「どうしても美大予備校を辞める!」と本気で宣言するではないか!
 その時の我が娘の表情こそが、今回の「カーネーション」の三女聡子とまったく同じだったのに驚かされたものだ。

 娘の場合は元々言葉少ない性質の子であるため、聡子のように「寂しかった」「自分だけが仲間はずれだった」等々と言葉で自分の思いを表現することは決してなかった。 ただ、その時の我が娘の表情と共に今後目指したい進路を娘から聞いて母として気付いた事があった。
 娘が呈示した新たな進路先とは、“一応”理系だったのだ。(“一応”と表現するのは、現在の学問領域とは様々な分野が融合しているため、昔のごとく一概に「文系」「理系」と2分割不能だからである。)

 何だか“ガッテン”できた私である。
 実に我が娘は親の専門とはかけ離れた“美術系”を高1時点で目指した事により、その後家庭の中で「自分だけが仲間はずれ」感を抱き「寂し」い思いを募られたのだろう。
 ここで参考のため、私も身内も分野は違えど元々理系の出身者である。 家には理系の書籍が山程書棚に並べられている。 そんな家庭環境の下で育った未熟な我が娘が大いに分野が違う“美大予備校”で頑張りつつも、親が一生助けてくれそうもないことが想像できる辛い日々に寂しさが募ったのではあるまいか?

 そんな娘の突然の進路変更訴えの心理が理解できた我々両親は、すぐさま娘の意向を尊重してやった。 そしてその直後から娘第一志望大学への秋の「公募制推薦」を目指し親子で突進したのである。

 現在、大学入学前の娘は大学から課せられた推薦合格者対象の「化学」「生物」課題に前向きに取り組んでいる有様であることは、既に本エッセイ集のバックナンバーで述べている。
 高2の2月まで“美大”目指して頑張ってきた娘は、今現在親の力も借りつつ「化学」「生物」課題に励む日々である。 
 このまま4月には大学生に突入する娘の心情とは「カーネーション」三女聡子同様に、基本的心理部分で家族と言う「仲間を得て」「寂しく」ない思いで満たされ、頑張り続けてくれるのではあるまいか?


 最後に今回の本エッセイ集のタイトルである 「子どもの職業選択に多大な影響を及ぼす要因」 に関する原左都子の私論を述べて締めくくろう。

 その結論とは「家庭環境」を置いて他にはないのではあるまいか?

 いえいえ親や先祖より引き継いだDNAをはるかに超えるべく資質をお持ちの方々は、当然ながら自らの力量で「家庭環境」など軽々超越してこの世で活躍されている事であろう。 
 原左都子自身もド田舎の「家庭環境」などとっとと吹き飛ばして上京し、その後は自らの力で自分自身の人生を演出してきたと自負しているぞ。  (ところが我が親にとっては私などまだまだ未熟な存在らしいのだが…

 それにしても、これから社会に旅立とうとする未熟な世代にとって一番参考になるのはやはり「家庭」をおいて他にはないように考察する。
 もちろんそうではなく、中には学校の先生等の指導者や周囲の大人の影響を受けて育った子ども達も存在することであろう。 それこそが社会やコミュニティが子どもを育成する理想像とも言える。  
ところが、周囲の人間関係が充実していた昭和30年代に社会に羽ばたく年齢だった「カーネーション」の三女聡子ですら、当時の熱血テニス教師や地域コミュニティよりも、自分の母の指導力や姉達の影響力こそを信じて「職業選択」した結末である。


 やはり我が子の将来の職業選択に絶大な影響を及ぼすのは「家庭環境」であることを肝に銘じて、各家庭は子育てに精進するべきではないだろうか?!
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