原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

我が娘は母の私が“サリバン”を引退した頃から自然と「発達障害」を卒業できたように振り返る

2024年01月16日 | 教育・学校
 本日久々に、我が一人娘が持って生まれた「発達障害」について語ることにする。


 そのきっかけは、20234.01.13付朝日新聞内の「発達障害」に関する記述を見たことによるのだが。

 ほんの少しだけ、その記事の内容を以下に転載しよう。

 発達障害は、生まれつき脳の働きにかたよりがある障害で、注意欠如・多動性(ADHD)や自閉スペクトラム症(ASD)、学習障害(LD)などがある。
 落ち着きが無かったり忘れっぽかったり、人とコミュニケーションをとるのが苦手だったり。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)


 我が一人娘に話題を移そう。

 我が子の場合は発達障害の特徴のうち、「人とコミュニケーションをとるのが苦手」これが突出していた。
 特に幼稚園や小学校入学後にその特質が顕著に出たのだが。
 当時の時代背景としては未だ「発達障害」との言葉自体が社会でさほど知られていない時代だったのだが。
 教育者でもあったサリバン母の私が、我が子の特異性に気付くのが早かったのが幸いして。 娘は3歳時よりその専門教育・研究機関にて専門指導者の下でお世話になることが叶った。
 ただし、これが我が娘にとって良き影響ばかりではなく。 例えば暴力気質の子どもも通っている等々のマイナス面も大きかったりもした。

 我が子の場合、生まれ持っての性質に恵まれていたと言うのか。 とにかく小学校現場で 我が子側から周囲に迷惑を及ぼす事態が皆無だったこともあり、小2時点で発達障害専門研究機関での指導をきっぱりやめる方針をとった。 後は家庭内指導(要するにサリバン母の私による全面指導)に切り替えた。

 その後も、我が子なりの特質はもちろんのこと今後一生抱えていくのだろうが。
 (人間関係に関しては今尚得意とは言えず、いつまで経っても「結婚願望は一切ない!」と言い切る娘ではあるが。)

 とにかく持って生まれた我が子の素直な性質や“頑張り力”が功を奏して、その後は希望大学一発合格、その後の就活も上手くいって。 
 現在30歳になっている我が娘だが、親から離れて一人立ちした後も真面目に律儀によく働き、ある程度の資産を蓄積している様子でもある。

 娘の就職先からも、例えば「この子、使い物にならない!」などの指摘も一切無く、現在もIT技術者としての勤務を日々真面目に努めている様子だ。


 ついでに言うと。

 親馬鹿ながら、我が娘は生まれ持って「美人」の部類だ。
 しかもサリバン時代の母の私の指導(「体型を維持してぶくぶく太るな! 何時もお洒落を必ずせよ!!)を今尚守っているのが素晴らしい!!

 それらの要素が揃えば、特段世間から後ろ指を指されることは無いだろう。


 何と言っても、親から独り立ちして以降の娘の行動が素晴らしい!
 あの子を見ていてつくづく思うのは、「仕事好き」である事だ。 こんなに働き者に育つとは思ってもいなかったサリバン時代の私だが。

 今後も我が娘は仕事生活を自身のモットーとしつつ、遠い過去の「発達障害」時代など屁ともせず、今後も社会生活を全うすることだろう。

 
 (いえ、本音を言えば。 「彼氏を紹介するよ!」などとのサプライズが娘からあったら。 相手がどんな奴であれ、サリバンも嬉しいんだけどね…  などといいつつ それが親ほどの爺さんだったりしたら、世も末かもね… )😱  
 

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