昨日、私は近くの大規模公園へいつものようにランニングに出かけた。
我がランニング中に、声掛けをして下さる私より少し年上らしきご婦人が存在する事に関して、バックナンバーにて複数回記述したことがあるが。
昨日初めて、その“声掛け女性”が少なくとも2名以上存在する事実に気付いた。😲
とにかくランニング中とは(特に私の場合は)ド素人ランナーにつき身体機能が優れておらず距離が増すごとに息が苦しくなり、せいぜい手を振ってお礼をする程度で、とてもじゃないが声掛けして下さっても会話をすることは叶わない。
走る前や走り終わって後ある程度時間が経過していれば、当然ながら会話可能なのだが。 大抵の場合、走っている時に声掛けをして下さる機会が多い。
昨日も、私が走っている途中に手を振って下さる女性(やはり私より少し年上らしき人物)が出現した。
その女性を一見して思ったのは、「この人、いつもの人と違う」😲 だった。(どう考えても、ド素人ランナーの私へ若き世代のからの応援を望むべくもないだろう。)
ところが一見してその女性が、応援して下さって既に何年か経過している女性ではないことは明白だった。
身長が高いし、ヘアスタイルがまるで異なっている。
(あれ、この方の応援は初めてかな? いや、以前もこの辺で我がランニング中に手を振って下さる女性がいた。 もしかしたら、この女性も以前より私を見かけたら何度か応援して下さっていたのかもしれない。)
立ち止まってお礼を言えば、その実態が判明するだろうが。
こちらとしても決して“人気取り”でヘラヘラ走っている訳ではなく、ド素人ランナーにして一応の目標意識の下にランニングに取り組んでいる。 特に左膝複雑骨折が未だに完治していない現状に於いて、今現在はその完全回復を目指して私としては必死状態だ。
それにしても、律儀(原左都子は昔から人間関係に於いては律儀です!)な私としては、やはりただで応援していただくのは心苦しい。 何らかの形で、いつかはお礼を申し上げたいものだ。
そんな折に、本日付け朝日新聞別刷り「be」内で「増えすぎた人間関係を断捨離」と題する記事を見つけた。 少しだけ、以下に引用しよう。
私(この記事の筆者・臨床心理士らしい)も飲み会は大好きだが、社交時間も健康を害したり、やるべきことをこなす時間を圧迫したりするのなら考えもの。 今年こそ、不用意に増えすぎた人間関係を上手に整理したい。 (中略) 不本意な相手でも、会うとついつい相手の言う事を聞いてしまい、人間関係の断捨離がなかなか進まない。 (途中大幅略)
なるべくなら相手を傷付けなくないし、恨みも買いたくない。
ここでおすすめは、相手の期待に応えているように見せかけて、上手に期待を裏切ることだ。「会話がかみあっていない感じ」や「ちゃんと話を聞いていない感じ」が出せるとよい。 (途中大幅略)
人生の大切な時間を、不本意な人間関係に費やしてはいけない。
(以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)
上記の朝日新聞記事を引用しつつ思ったが。
当該記事を綴った臨床心理士先生は、おそらく原左都子よりもずーーーーっとお若い世代の方なのであろう。 (この記事には挿絵があるが、その絵から察しても老齢域の方ではなさそうだ。)
最後に、原左都子の現在の“人間関係観”を語ろう。
参考だが、今年の年賀状は全部で20枚程頂戴した。
これらの方々との交友は友人等との対等関係のみでなく、恩師や職場の先輩等々の方が数多い。(私の場合、2度大学の門をくぐったりしている関係で、今尚恩師先生とのお付き合いも続行している。)
要するに、友人よりもそのような関係の人生経験の方が長い訳であるが故に。
上記に紹介した若き世代らしき臨床心理士先生とは、また異なる人間関係を紡いできたといえるであろう。
それ故に、私の場合は“人間関係が増えすぎて困惑する”との苦悩を抱えることなく現在まで生き延びてきている人種であるのかもしれない。
それが幸いして今現在の我が人間関係に於ける混乱とは。
冒頭に紹介した、ランニング中に応援頂いている女性陣が一人なのか複数おられるのか、などとの取るに足りない混乱のみなのだが。
いずれにせよ、ランニング中の応援はド素人ランナーの私にとりましてもランニング続行の力強い味方となりますので。
今後共近くの大規模公園で“ヘボく走る私”をお見掛け下さったならば、どうかいつも通りの応援をお待ちしております!!😃