原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

子どもの学力と家庭環境

2008年03月27日 | 教育・学校
 昨日、春休みに入っている中学生の娘が、数学の宿題にわからないところがあるから教えて欲しいと言って私のことろにやって来た。
 我が家では、子どもの学習は子どもが小学校入学前からずっと母の私が見てきている。塾に通わせたのは私立中学受験のための1年間のみ、それも受験に関する情報収集が主たる目的で、実際の受験指導は私が主体となって面倒を見てきている。

 さて娘の数学の宿題だが、2箇所わからないと言う。ひとつは連立方程式の文章題だ。文章を読んで連立方程式を立て、それを解いて答えを出す問題である。 もうひとつは図形の相似の応用問題である。二つの三角形が相似であることを発見、証明して、そこからひとつの三角形と他の四角形との面積比を求める問題だ。
 中学生時代は英数が得意中の得意だった私ではあるのだが、何分ブランクがあるし年齢的なハンディもある。子どもの数学の面倒を見るのも久しぶりだ。若干の不安感を抱えつつまずは実際に解いてみたのであるが、これが面白いのだ。中学レベルの数学というのは適度な頭の体操に程良いなあ、などと思いつつ楽しくスラスラ解けた。(実際、下手なクイズなどよりよほど面白い。)
 ところが、娘は自分が分からない問題を母の私にスラスラ解かれてしまったのが気に入らない様子だ。ふくれっ面をして黙り込んでしまい口をきいてくれないのだ。小さい頃は学習を母の私に頼りきっていた娘であるが、今では母をライバル視する程の学習意欲が育っていることを私はうれしく思い、後は本人に任せた。

 
 さて話は変わるが、先だっての朝日新聞に「家庭の経済力が子どもの学力に影響している」云々の記事が掲載されていた。
 この記事は日教組が教員に対し実施した調査の結果であるらしいが、小、中、高と学校段階が上がるにつれ、そのように感じる教員が増える傾向にある、とのことである。

 「家庭の経済力が子どもの学力に影響」?? う~ん、一理なくもないが、私は“経済力”よりもむしろ、親の子どもの学習に関する考え方や姿勢、協力体制が子どもの学力向上における第一義なのではないかと考える。


 そもそも、子どもの学力とはどのように育っていくのか。
 生まれつき頭がいい子には学力がつく? この考え方に関しては、そもそも“頭がいい”と言う言葉自体が曖昧な概念である。仮に“生まれつき頭がいい”という概念を認めるとしても、医学的観点からも学習の機会が与えられないならば脳細胞は発達し得えず、死滅していくばかりであろう。
 そうなのだ。学力向上のための必須条件とは“学習の機会が与えられ続けること”なのである。

 さて、そうなると学習の機会の与え方が問題となる。世の中を見渡すと、学校にさえ行かせば、塾にさえ通わせれば、子どもに学習の機会が与えられていると勘違いしている家庭が残念ながら少なくない様子である。 元々学習に対する自主性の高い子どもは、もしかしたらそれだけでも学力は育つのであろう。ただ、そんな子どもは少数派だ。大抵の子どもは学習からの逃避行動に走るのが、むしろ通常の子どもらしさなのではなかろうか。

 子どもを学習に向かわせる、すなわち子どもの学習習慣を育てるのは、これは家庭の役割だ。育児、子育ての一環として、子どもに学習習慣を身につけさせることは子どもの成長、自立のために重要だ。
 「そんなことを簡単に言われても、我が家は親に学力も時間もない」、とおっしゃるご家庭もあるかもしれない。それでも、どうしても、これは家庭の役割だと私は考える。 頭ごなしに「勉強しなさい!」と言い放つのは逆効果だ。 親が子どもと共に学ぶ姿勢が重要ではなかろうか。短時間でもよいので、子どもの学習机の隣に座ってみてはいかがか。「へえ、こんなこと習ってるんだね」と親が共感するだけでも、子どもの学習に対する関心の持ち方は違ってくるのではなかろうか。それほど、子どもとは親に感化される動物であるし、またすばらしく果てしない吸収力を持った生き物である。


 何だか今回の記事は“偉そうな”ことを書いてしまったようで、私自身は好まないパターンではある。
 だが、子どもの学力を伸ばすのは決して家庭の“経済力”ではなく、それは二の次であり、親の子どもの学習に対する考え方や姿勢、そして子どもが学習に励むにあたっての家庭の協力体制なのではないか、との持論を展開したかった訳なのである。
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