我が家にも舞い込んで来てしまった。「ねんきん特別便」が…。
我が家の身内の国民年金が宙に浮いてしまっている。
年金記録問題が騒がれた昨夏あたりから、我が家でも話題にはしていた。
私自身に関しては経歴の複雑さに伴い年金加入記録も相当複雑なため、昨夏社会保険事務所に足を運び照合して来た。結果として当方の手元にある記録と社会保険庁の記録との間に1ヶ月の差異が発生していたのであるが、手元に支払い記録の証明ができる書類を保持していないため、さらなる追求は断念した。
身内の場合、どうやら何年分、下手をすると十数年分の年金記録が宙に浮いてしまっている。新卒入社で同一職場一筋に40年という道を歩んでおらず、年金加入経歴が複雑なためだ。 身内は自然科学の研究者であるため学究生活が長いのだが、その間の年金記録が宙に浮いてしまっているのだ。 自然科学の研究者というのは自分の研究テーマによって研究室を転々と渡り歩くことが、特に若い頃は日常茶飯事なのである。
身内に「ねんきん特別便」が届いたため、早速社会保険事務所へ照合に出かけた。その結果、国立大学の研究室所属期間の年金記録の漏れのみは判明した。ところが、私立大学の研究室所属期間と、長期に渡る博士課程学位取得期間に自主的に納めた国民年金の記録の行方が不明なのである。なぜ、国立分は見つかるのに私立分が見つからなくて、ましてや昔は学生期間は国民年金は任意加入であったのだが、その任意加入期間に自主的に納めた期間分の年金が消え去るのか…。 納得のできない話だ。
早速、追跡調査依頼書を提出してきたのではあるが、さて、消え去った年金は見つかるのであろうか? 一家の老後の生活がかかっている。我が家の場合、高齢で産んだ子どもも未だ小さくて身内が現在の職場を定年退職してから大学入学だ。年金を当てにしているのに…。是非とも、見つかって欲しいものである。
が、残念ならがそれは期待薄であろう。 先だっての報道によると、「最後の一人までチェックして正しい年金を支払う」との政府与党の公約の達成はどうやら不可能であるらしい。
身内の場合、年金自己管理力にも大きな落ち度がある。年金手帳が複数に渡っている上、学究生活期間の年金手帳を紛失してしまっている。そんな落ち度は認めるが、ただ、現実生活上、個々人が年金をこと細かく自己管理していく時間も精神的余裕も通常はないのが現状だ。やはり、保険料を受け取る側の社会保険庁のずさん管理、そして年金制度の複雑さに問題が大きい。
思うに、学者、研究者のご家庭の皆さんは、我が家と同じような思いをしていらっしゃるのではなかろうか? たとえ年金が宙に浮かずとも、学究生活が長い分実労働期間が一般の方々より少ないため老後の受取年金額も少ないのだ。私自身もそうである。学業に励んだ期間(上記の通り、昔は学生期間は年金加入は“任意”であった。)が長いためその分受取年金額が少ない。汗水たらして働いていないのだから保険料を納めていないのだから年金がもらえなくて当然なのであろうが、日本の科学、学問の発展のために費やした時間は老後の年金としてはフィードバックされないということを、老後を目前にした今になって思い知らされている。保険料の後納等、年金制度上の救済策はないものなのか。
我が家の場合、老後は年金以外の財源も重ねて考慮していくしかないようだ。
我が家の身内の国民年金が宙に浮いてしまっている。
年金記録問題が騒がれた昨夏あたりから、我が家でも話題にはしていた。
私自身に関しては経歴の複雑さに伴い年金加入記録も相当複雑なため、昨夏社会保険事務所に足を運び照合して来た。結果として当方の手元にある記録と社会保険庁の記録との間に1ヶ月の差異が発生していたのであるが、手元に支払い記録の証明ができる書類を保持していないため、さらなる追求は断念した。
身内の場合、どうやら何年分、下手をすると十数年分の年金記録が宙に浮いてしまっている。新卒入社で同一職場一筋に40年という道を歩んでおらず、年金加入経歴が複雑なためだ。 身内は自然科学の研究者であるため学究生活が長いのだが、その間の年金記録が宙に浮いてしまっているのだ。 自然科学の研究者というのは自分の研究テーマによって研究室を転々と渡り歩くことが、特に若い頃は日常茶飯事なのである。
身内に「ねんきん特別便」が届いたため、早速社会保険事務所へ照合に出かけた。その結果、国立大学の研究室所属期間の年金記録の漏れのみは判明した。ところが、私立大学の研究室所属期間と、長期に渡る博士課程学位取得期間に自主的に納めた国民年金の記録の行方が不明なのである。なぜ、国立分は見つかるのに私立分が見つからなくて、ましてや昔は学生期間は国民年金は任意加入であったのだが、その任意加入期間に自主的に納めた期間分の年金が消え去るのか…。 納得のできない話だ。
早速、追跡調査依頼書を提出してきたのではあるが、さて、消え去った年金は見つかるのであろうか? 一家の老後の生活がかかっている。我が家の場合、高齢で産んだ子どもも未だ小さくて身内が現在の職場を定年退職してから大学入学だ。年金を当てにしているのに…。是非とも、見つかって欲しいものである。
が、残念ならがそれは期待薄であろう。 先だっての報道によると、「最後の一人までチェックして正しい年金を支払う」との政府与党の公約の達成はどうやら不可能であるらしい。
身内の場合、年金自己管理力にも大きな落ち度がある。年金手帳が複数に渡っている上、学究生活期間の年金手帳を紛失してしまっている。そんな落ち度は認めるが、ただ、現実生活上、個々人が年金をこと細かく自己管理していく時間も精神的余裕も通常はないのが現状だ。やはり、保険料を受け取る側の社会保険庁のずさん管理、そして年金制度の複雑さに問題が大きい。
思うに、学者、研究者のご家庭の皆さんは、我が家と同じような思いをしていらっしゃるのではなかろうか? たとえ年金が宙に浮かずとも、学究生活が長い分実労働期間が一般の方々より少ないため老後の受取年金額も少ないのだ。私自身もそうである。学業に励んだ期間(上記の通り、昔は学生期間は年金加入は“任意”であった。)が長いためその分受取年金額が少ない。汗水たらして働いていないのだから保険料を納めていないのだから年金がもらえなくて当然なのであろうが、日本の科学、学問の発展のために費やした時間は老後の年金としてはフィードバックされないということを、老後を目前にした今になって思い知らされている。保険料の後納等、年金制度上の救済策はないものなのか。
我が家の場合、老後は年金以外の財源も重ねて考慮していくしかないようだ。