原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ふ・り・ん 考

2008年03月02日 | 恋愛・男女関係
 前回の記事「遊び心と春の風」の中で“遊び心”の一例として不倫についてほんの少し触れたところ、テーマの“遊び心”よりもこの“不倫”に関する反響を多くいただいた。
 前回の記事は“不倫”について論評しようと目論んだ訳ではなく、たまたま近頃、私の周辺で不倫に関する話題に触れる機会が多いため特別の意図もなく取り上げたのであるが、反響の多さから世間での関心の高い話題と推し量ったため、改めて今回の記事のテーマとして“不倫”を取り上げることとした。


 “不倫”とはその字のごとく、「人倫にはずれること、人道にそむくこと」の意味合いがあり、社会通念上、決して肯定的にとらえられる事柄ではない。前回の記事に対する反響の内容も、やはり“不倫”に関して否定的意見が多数派である。
 
 そもそも“遊び心”の記事の中で何故“不倫”の話が出てくるのか理解に苦しむ、というコメントをいただいている。おっしゃるとおりである。私は前回の記事で“遊び心”とは生活のエッセンスとして欠かせない大切な要素である旨の私見を述べている。この私見からは、“不倫”が人倫にはずれる行為である以上“遊び心”の一例とは成り得ないのは明白である。この点は、この場でお詫び申し上げたい。

 不倫は肯定的にはとらえにくい行為とした上で、人を好きになるということは理屈では片付けられない問題である、という趣旨のご意見を複数いただいた。実は私もまったく同感である。

 不倫に限らず、恋愛とは理性を超えた感情のなせる業である。“恋愛は勘違いから始まる”、とはよく言われる言葉であるが、まさにその通りである。恋愛とは生理的、本能的、そして動物的ですらある。 心が欲する、体が欲する感覚的欲求である。人を好きになったことに理由を見つけてみても、それは後から理性的に思いついたこじつけに過ぎない。

 そんな感覚的欲求である恋愛を、不倫である以上は大きなハンディの下展開していかなければならないのである。後ろめたさという精神的負担や周囲からの非難、そして時間的制約等をやり繰りしながら、無難にこなしていかなければならないのである。これは結構苦しい、つらい、骨の折れる業である。
 このハンディを乗り越える能力や思慮なく不倫に走ってしまうと、必ずや悲しい結末が待ち構えている。家族との別れであったり、あるいは恋愛相手との別れであったり、はたまた社会的信頼の失墜であったり…。

 「不倫もやる以上は真剣にやるべき」とのご意見も頂戴している。詳細を伺っていないため真意は不明であるが、誰だって恋愛は真剣にやりたいものだ。そういう意味では私もまったく同感ではある。それが不倫である以上は、上記のごとくハンディを背負いつつバランスを考慮しつつという話になると思うのだが…。

 人類の営み上恋愛は不可欠であるし、人間にとって人を愛することはこれ以上すばらしい業はないと言っても過言ではないのだが…。


 さて皆さん、この“不倫”をどう考えましょうか?  
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