原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ジュリー~~!!

2008年05月10日 | 音楽
 最近、ネットで音楽動画を楽しむ時間が増えてきた。
 あの音楽動画の利点は、芋づる式にどんどん同ジャンル、同年代の音楽が検索できる点にある。

 最初どのアーチストから入ったのかは忘れたのだが、今私が凝っているのが“ザ・タイガース”なのである。 “ザ・タイガース”をご存じない若い世代の方のために少し解説すると、1960年代後半頃の日本を一世風靡したGS(グループサウンズ)の中でもとりわけ人気が高かったグループである。ボーカルのジュリーこと沢田研二などは当時超国民的アイドルであった。コンサート等では当時の熱狂的ファンのギャル達が黄色い声で「ジュリー~~!!」と叫んだものである。
 参考のため、当時私は“ザ・タイガース”ファンではなく、ジャニーズ事務所の“フォーリーブス”のファンであったことは既に音楽カテゴリーのバックナンバー記事「1910フルーツガムカンパニー」で述べている。
 話のついでに加えると、洋楽の話になるが、“1910フルーツガムカンパニー”の「サイモンセッズ」を最近動画で見た。昔はラジオでしか洋楽は聴けず動画を見るのは今回が初めてだったのだが、想像とまったく食い違っていて今さらながらかなりがっかりなのである。なぜならば、ボーカルの少年のようなあどけなさの残るセクシーボイスがお気に入りだったのに、映像ではメンバーがみんなネクタイなどして結構おじさんっぽいのだ。今さら見なきゃよかった…。

 タイガースの動画の話に戻るが、すっかりはまってしまっている私がイヤホーンで動画を見聴きしつつ「タイガースいい!」と言うと、身内から「“六甲おろし”でも聞いてるの?」との反応がきた。それはタイガース違いというものだ。ジュリーがいたのは“ザ・タイガース”の方である。

 “ザ・タイガース”動画は数多いのであるが、私のお勧めは、現役当時の“ザ・タイガース”の映像である。当時、GSはその人気とは裏腹に、歌唱力がない、演奏が下手だの何だのと、音楽評論家や時代の移り変わりを受け入れられない大人の間では酷評されていた。当時GSのファンであった私も何十年も経過した今聴いたらさぞやお粗末だろうかと思いきや、何の何のすっかりはまってしまう程魅力があるのだ。何と言ってもエンターテイメント性がすばらしい。ジュリーの歌にも安定感があるし、サリー、タロー、トッポ、ピー、メンバー皆のタレント性が当時思った以上に高い。(後々グループ解散後、メンバー各々が今なお成功している所以である。) この“ザ・タイガース”に限らずGSのほとんどのグループは“ビートルズ”の二番煎じ風ではあるのだが、そうであるとしても特にこの“ザ・タイガース”のプロデュースは十分に成功している。人気No.1をキープし続けていたのもうなずける。今見ると当時のジュリーがジョージ・ハリソンにそっくりであるのも興味深い。

 そして、その現役時代の“ザ・タイガース”動画の中でも私の一番のお勧めは「シーサイド・バウンド」である。この動画は当時の人気テレビ番組「シャボン玉ホリデー」の中の映像なのだが、“ザ・タイガース”はこの長寿番組が消え行く間近の頃のレギュラーとして出演していた。私個人的には日本のテレビ番組史上に残る程の貴重な映像なのではないかと思うが、アクセス数は意外と少ない。まだあどけなさが残る5人のメンバーが楽器を抱え、とても可愛らしく飛び跳ねながら歌っている。特にトッポが何とも言えないくらい可愛い。 この映像に合わせて私もノリノリにステップを踏みつつ歌っていると、中学生の娘もやってきて「シーサイド・バウンド」を完全マスターした。(しょっちゅう、二人で歌って踊る変な母娘なんです…。)

 “ザ・タイガース”解散後のジュリーもいい。私のお気に入りは「カサブランカ・ダンディ」だ。“ボギー、ボギー~、あんたの時代はよかった~♪” 本当によかった~。
 今のジュリー、ちょっと太っちゃったかな。太っていなければおそらく十分カッコよくて、まだ現役で歌って欲しいくらいだ。 あの類稀な“美貌”と才能が何とももったいないなあ。
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理念なき教育改編

2008年05月08日 | 教育・学校
 連休前の4月25日(金)朝日新聞朝刊の報道によると、文部科学省は改定された小中学校の学習指導要領のうち、理科と数学の授業時間と内容の大幅増を、09年度すなわち来年度から前倒しで実施する方針を発表した、とのことである。
 その結果、小学校においては11年度春の全面実施を待たずして、来春から各学年で授業時間が週1コマ増えることになる。
 その他、小学校低学年での体育の増加、同高学年に導入される「外国語活動」の各校判断での実施、「総合的な学習の時間」の削減も前倒し実施となる。
 11年度春からの全面実施後は、小学校低学年でさらに週1コマ、中学校では各学年で週1コマ増える。


 今回のこの学習指導要領の改定においては、現行の「ゆとり教育」が批判を浴び、国際的な学力調査でも日本の成績低下が問題となる中、学力向上の姿勢を明確に打ち出している。そのため、現行の「生きる力の育成」は掲げたまま、知識の習得、それを活用する力、学習意欲を身につけさせることを趣旨とし、40年ぶりに総授業時間と学習内容を増やすことを決めたものである。 
 その他の内容としては、教育基本法の改定を受けて「公共の精神」の育成や伝統、文化の尊重も盛り込まれている。
 なお、道徳の教科化に関しては、本ブログ教育・学校カテゴリーのバックナンバー記事「道徳教育私論」において既述の通り今回は見送られており、道徳の教科化案を憂慮していた私は胸を撫で下ろしている。


 さて、今回の教育改編において一番懸念されているのは、「詰め込み教育」の復活である。

 実は、私論もこの点を大いに懸念している。
 「ゆとり教育」の反省、国際的な位置づけでの日本の学力低下からの脱却を歌い文句に、短絡的に授業数と学習内容を増やすだけの今回の安易な改定案に首を傾げるばかりである。
 この改革案の全面実施を待たずして、既に「ゆとり教育」は崩壊しつつある。 この「ゆとり教育」の趣旨を、“個に応じたきめ細かな教育指導”、“人為的に作出される競争の排除”と勝手に解釈した上で、私は「ゆとり教育」賛成派である。公教育が、詰め込み教育、偏差値偏重、へと逆戻りしていく現状を大いに憂えている。

 本来、“教育”とは子ども個々の学力向上を含めた全人格的成長を育む使命を担うべき事柄である。子ども個々の成長がひいては社会全体の発展をもたらし、国際競争力の向上へとつながっていくのであろう。
 「ゆとり教育」の“社会が言うところの失敗”に関しては、実は公教育現場の勘違いが大きいのではないかと私は懸念する。
 「ゆとり教育」の趣旨は底上げにあったはずだ。すなわち、いわゆる“落ちこぼれ”、言い換えると学習困難者にもわかる教育の実施だったはずなのだ。上記の私の解釈に基づく「ゆとり教育」を遂行するには、教える側にとっては多大な時間と労力を要する。個々の生徒の能力に応じたきめ細かな指導を実施することは、教える側にとっては重労働となろう。ところが、学校が週5日制になったこともあり、大変失礼ではあるが、教える側が“ゆとり”の意味を勘違いし、自ら“ゆとり”を堪能してしまったというような失敗がなかったと言い切れるのであろうか。
 
 私はあくまでも教育についてはボトムアップ思想を支持したい。というのも、学習に関して述べると、学習強者すなわち学習能力のある人間というのは、放っておいても自ら学習に取り組む意欲やその環境にあると判断するからである。ボトムアップ教育を実施することが、結果として全体の学力向上につながると私は推論する。

 社会全体のレベルアップひいては国際競争力の復活、維持を望みながら、義務教育において国を挙げて強者育成の教育に安易に走るのは短絡的過ぎる、との私論をこの記事において主張したいのである。

 公教育の本来のあり方とは、学習困難者に重点をおいた学習指導を遂行するのがその使命だと私は考える。
 さらに教える側に深い思慮と能力と広い視野、そして何よりもすべての子どもの成長を願う愛情と教育指導に対する熱意があるならば(公教育とは、そういう人材を指導者として採用し育成するべきである。)、子どもの学習能力に応じた対応、すなわち“個に応じた教育指導”を望みたいものである。 
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ナイル川デルタ地帯に自生したパピルス

2008年05月06日 | 旅行・グルメ
(写真は、私がエジプトで買い求めたパピルス画です。)


 GW最終日は、引き続きエジプト、ギリシャ方面旅行記を綴り、締めくくることにしよう。

 昨日のこどもの日に、我が家の子どもと一緒に東京白金台にある松岡美術館へ出かけた。 この美術館は創立者である松岡清次郎氏が情熱を注いで収集した多種多様な美術コレクションを公開している美術館である。
 都心にありながら緑豊かで閑静な住宅街、近隣には東大医科研、聖心女子学院中高等があり、駅からの外苑西通りにはお洒落なブティックやレストランが軒を連ねている、という恵まれた立地条件の中に松岡美術館はひっそりと存在していた。

 我々親子は今回初めて訪ねたのだが、この美術館がユニークなのは松岡氏のコレクションがまさに多岐に渡っていることである。エジプト古代の壁画から始まり、地域的には中国、インド、イラン、ヨーロッパ、etc… 時代も古代から現代のピカソに至るまで様々なコレクションが展示されている。私のような素人にはとても分かり易く結構楽しめる美術館であった。

 その中でも、特に興味を惹かれたのは古代エジプト展の展示室であった。 と言うのも、昨年エジプトへ旅行しエジプト国立考古学博物館等で同様の数多くの本場の美術品の展示を見てきたことによる。 加えてこの通り、偶然今ちょうど本ブログでエジプト、ギリシャ方面旅行記を綴っていることもあったためである。


 美術品と言えるのかどうかも私には判断できないのであるが、エジプトでパピルス画を購入して来た。(上記写真参照) パピルスの台紙にエジプトの古代風の絵が描かれた作品である。一応、エジプトのお土産として代表的なものとの説明を聞いていたため、国営の販売店で保証書付きの絵画を何点か購入したのである。このパピルス画はすべて手書きで描かれている。購入してきて1年近く経った今なお、描くのに使われている染料の匂いが強烈である。
 前回の記事でも既述した現地ガイドのMohamedさんから詳細の解説をお聞きしつつ何点か選んで購入したのであるが、残念ながら今となってはもう記憶があやふやで、私の口からはこの絵画につき説明不能なのであるが…。


 このパピルス画の画布であるパピルスについて少し語ってみよう。

 元々パピルスとは、古代エジプトで使用された文字筆記のための媒体をさす。古代においてこのパピルスは大変重宝な記録伝達の媒体で、例えば私が好む古代ギリシャ哲学者プラトンの著作を記したパピルスの写本が今なお保存されてもいる。

 このパピルスの製作にはかなりの人手と日数を要する。私も上記のエジプト国営パピルス画販売店にてパピルス製作の実演の一部を垣間見たが、相当の手間暇を要する。それ故に真正のパピルスは高価であるし、また優れた保存性能を有しているのである。

 ところが残念ながら、現地エジプトでは観光用として偽パピルスも多く販売されているそうである。偽パピルスは例えばさとうきびやバナナの皮から作られているそうだ。それらは一見真正のパピルスと区別できないが、決して長持ちせず直ぐにべたべたしてくるらしい。
  
 パピルスという植物は、元々中央アフリカのナイル川源流から、洪水の際にデルタ地帯に流れてきた株が自生したものを人手をかけて栽培し、はるか昔には記録のための媒体のみならず履物、綱等の人々の生活用品として利用されてきたという。

 そんなパピルスも製紙法の発展により人々の実生活からは完全消滅し、現在ではエジプトにおける観光土産の目玉商品と移り変わっているようである。 
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五千年の砂嵐に耐えたピラミッド

2008年05月04日 | 旅行・グルメ
 エジプト、ギリシャ方面旅行記の記事が続くが、エジプトのピラミッドに関する前回の記事の続きを綴っていこう。

 エジプトのピラミッドは、前回の記事で述べた通り五千年近い歴史があるにもかかわらず今まで一度も崩れることがなく、さらにこの先五千年から一万年も崩れないであろうと推測されている。
 今回の記事では、五千年もの昔のエジプト古王国時代に建造されたピラミッドが、なぜそんなに丈夫で崩れないのかについての仮説を立て、検証してみることにしよう。
 仮説検証の方法として、ピラミッドが如何なる条件の下で造られたかを探ることにより結論を導き、さらなるピラミッドの謎を解き明かすこととする。


<仮説の第1点目>
 第一条件として建造物の土台である地盤が肝心?

 前回の記事で既述した通り、ピラミッドはギザ地区をはじめナイル川の西側のみに建造されている。
 西側(日が沈む向こう側)が死後の世界に向かっているため、という説も存在するが、実はナイル川西側の岩盤が大変しっかりしているのだそうだ。事実、毎年7月から10月までのナイル川の氾濫期に、水が上がってきても冠水しない場所にピラミッドは造られてる。

<仮説の第2点目>
 ピラミッドのあの形に崩れない秘密がある?

 四角錐状のあの形にやはり大きなポイントがある。
 ピラミッドは最初からあの形で造られた訳ではなく、何世紀もかけて現存する完成形に練り上げられたきたのだそうだ。階段ピラミッド、屈折ピラミッドと段階を経ながら、建設途中で勾配が急過ぎて崩壊したりもしたらしい。
 現存するピラミッド(真正ピラミッド)は、長さと高さの比が「黄金比」になっている。(「黄金比」というのは世の中で最も美しいとされる比であり、例えば、このピラミッドをはじめギリシャのパルテノン神殿等の歴史的建造物や、自然界における巻貝や植物の葉の並び方や、皆さんが使っている名刺の縦横比等もこの「黄金比」になっているのだ。)
 この「黄金比」が、美しさのみならず崩れない強さをも兼ね備えていたのである。

<仮説の第3点目>
 用いられている岩石が頑丈なのか?

 さらに崩れない理由として重要なのは、ピラミッドを造るのに用いた岩石の種類であろう。
 ところが、岩石とは頑丈過ぎて硬過ぎても積んだときにぶつかって反発するためかえって崩れやすいそうである。
 石の中でも柔らかいものと言えば堆積岩で、この岩は時間をかけてゆっくりと砂が石になった岩石だ。この堆積岩の中でも一番上質の石灰岩がピラミッド造りに用いられているそうである。

<仮説の第4点目>
 上質の岩石を用いても水平に積まないと崩れるはず?

 せっかくの上質の岩石を用いても、水平を保たなければ崩れてしまう。
 水が水平を保つ原理を利用して、ひとつひとつの岩石に水を流し込み岩石を削るという手法を用いることにより水平を保ち、ピラミッド全体の水平が保たれているということである。(上記写真を参照下さい。岩石が水平に削られている様子が見て取れます。ひとつひとつの岩石は想像以上に大きくて、その高さは人の身長位ありました!)
 この削る作業がし易いという面からも、柔らかい岩石の方が優れているそうだ。

<仮説の第5点目>
 岩石同士を何らかの手段で結合させている?

 最後に検証したいのは、岩石同士の結合の手段である。これに関してはどこを探しても文献が見当たらない。
 現地ガイドさんの解説によると、決して接着剤を用いる等の化学的手段で岩石同士を貼り合わせた訳ではなく、ひとつひとつの岩石をうまく噛み合わせることにより結合させているとのことである。

 
 実は今回の記事は、昨年旅行から帰国後、我が子が夏休みの課題として取り組んだ理科の自由研究「ピラミッドはなぜ崩れないのか」よりの引用である。(子どもには承諾を得た上での本ブログへの引用である。)
 我が子がこの自由研究を成し遂げるにあたっては、エジプトでお世話になった現地ガイドのMohamed Abd Hafez さんの博学ぶりによるところが大きいのであるが、改めてこの場で感謝申し上げたい。
 なお、エジプト研究者の吉村作治氏の文献も上記自由研究で引用している。


 余談になるが、このエジプト現地ガイドのMohamedさんの子どもさんが、参加者のうちで一人だけ未成年かつ最年少であった我が子と年齢が近いということもあり、エジプト滞在中始終気にかけて下さり親切にしていただいた。 子どもがギリシャで急病をした後エジプトへ戻った時にも、Mohamedさんは真っ先に駆けつけて下さりご心配いただいたといううれしい経緯もある。帰国の際にも子どもに暖かい声をかけて下さり、メールアドレスも教えていただき、子どもが連絡を取らせていただいている。
 旅行というのは、何といっても人との出逢いが一番印象深いものである。 
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五千年の歴史を眺めたピラミッド

2008年05月03日 | 旅行・グルメ
 前回の記事、エジプト、ギリシャ方面旅行記の続編になるが、今回の記事ではエジプトのピラミッドについて綴ることにしよう。

 エジプト観光と言えば、何と言っても“ピラミッド”と“スフィンクス”がそのハイライトであろう。

 そのうち今回の記事ではピラミッドを取り上げ、その五千年の歴史やなぜピラミッドは崩れないのかなどの謎について、現地エジプト人ガイドさんの説明等も交えて綴ることにしよう。
(写真を複数枚掲載することにチャレンジしたのだが、不慣れゆえにどうしても掲載不能なため、背景に少しピラミッドも写ったスフィンクスの写真1枚でご勘弁願おう。)

 今回のエジプト観光で出会った現地のガイドさんは、国立カイロ大学日本語学科出身で日本での生活も長く日本語がペラペラ、加えて、博学でエジプトに関する知識が豊富な方でいらっしゃったため、十分な説明を伺うことができた。


 “ピラミッド”とは、エジプトや中南米などに見られる四角錐状の巨大建造物の総称である。
 古代エジプトにおけるピラミッドとは、巨石を四角錐状に積み上げ、中に通路や部屋を配置した建造物であり、単体として完成したものではなく、付随する葬祭殿などとの複合体として考えるべき特徴を持つ。

 元々この建造物は「ピラミッド」とは呼ばれておらず、建造後千年も経過してからそれをみたギリシャ人によって、自分達が食べている「ピラミス」というパンに似ていることからこの名前が付けられたそうである。

 このピラミッドがどんな目的で建造されたかについては、何も記録が残っておらず現在なお謎の部分が多く、学説にも諸説が存在するようである。近年まで奴隷が築いた王の墓という説が有力であったが、現在ではこの説は否定され、農閑期に自由身分の農民らの労働者によって築かれた公共事業であったという説が定説となっている。
 ピラミッドの使用目的についても、天文台、食料倉庫などの諸説があるが、これも未だ謎のままであるらしい。
 
 数多いエジプトのピラミッドの中でも一番有名なのは、ナイル川を挟んで首都カイロの対岸にあるギザの三大ピラミッドである。すなわち、エジプト古王国時代の紀元前2550年頃に造営されたとされる、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の3つのピラミッドである。 今回の我々の旅行でも、この三大ピラミッドとスフィンクスを観光した。(ピラミッドを見ながら、らくだにも乗ったけどね。これはシートベルトもないし、落ちたら大怪我をしそうで下手な遊園地の乗り物より怖い!)このうち、クフ王のピラミッドは世界最大の大きさを誇り、底辺は各辺230m、高さ146m(現在は多少低くなっているらしいが。)に達する。

 クフ王の息子のカフラー王、またその息子のメンカウラー王の順にピラミッドは小型化されている。世界のピラミッド研究者の間では王家代々のピラミッドの縮小化の理由は謎とされ、これまた諸説が存在する。今回の現地エジプト人ガイドさんの解説によると、エジプトでは古代から現代に至るまで、イスラム教の教えにより親を敬う国民性が根強いため、子は親より小さなピラミッドを造って親を尊んだのだと現地では語り継がれているとのことである。


 ピラミッドに関する話はまだまだ盛り沢山なのであるが、写真も現在の私のキャパシティでは1記事に1枚しか入れられないため、今回はここまでにしよう。
 次回、ピラミッドは五千年の歴史に耐えてなお崩れずに原型を留めている理由等につき、仮説検証をしてみることにする。 
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