原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

昼飯くらい一人で食べさせてくれ!

2009年07月08日 | 人間関係
 何とも“臭い”新聞記事を目にしてしまった。

 「便所飯」だと???

 朝日新聞7月6日(月)夕刊一面トップの「友達いなくて便所飯?」と題する記事は、一人で昼飯を食べる姿を周囲に見られたくないばかりに、トイレの個室に隠れて“みじめ”に昼飯をとる学生が全国各地の大学等において増殖中であるという報道なのだ。
 皆が楽しく語らうキャンパスで、自分には友達がおらず一人ぽっちであるという“烙印”を周囲から押される恐怖や不安があるため、そんな姿を学食等で晒すのが嫌で「便所飯」に走るのだと言う。


 私に言わせてもらうと、これはちょっと胡散“臭い”話だぞ。

 人間関係の希薄化が急激に進んでいる現代社会において、一人で昼飯を食べる人種が急増している現象は社会の至るところで私もよく目にする。 世間では「お一人様」という新語まで登場しているし、実はこの私も「お一人様」愛好家の一人である。

 先だって、高校生の我が子に便乗して大学のオープンキャンパスに足を運んだ。 広々としたカフェテリアには、「お一人様学生」(教員も?)用のカウンター席や窓側の眺めのよい一等席に「お一人様」用の席が数多く用意されている。やはり、今時は一人で昼食をとる学生(や教員)も多いのだなあ、自由でいいなあ、と私などは好印象♪である。

 と言うのも、この私も普段一人で街に出て“ランチ”を食する機会がたまにあるのだ。 そういう場合、席にはこだわりのある私(バックナンバー「居酒屋の居心地」を参照下さい。)は、まかり間違っても周囲に騒がしいおばさん連中(失礼!)等のグループ客が蔓延っていて“至福の一時”を汚される不運だけは避けたいと考えている。そのため、「お一人様席」のある食事処を探しては狙って入店しているのだ。


 そんな私の過去を振り返ると、27,8歳独身の頃から職場における昼飯「一人飯」に突入した。 ここで当時の社会状況を解説すると、独り身でいる女性に対して世間から「売れ残り」「行き遅れ」と後ろ指を指される年齢にちょうど差し掛かった頃である。
 それまではこの私もグループでキャピキャピしつつ、職場での昼飯を皆と一緒に社員食堂でとっていた。

 私の場合、当時世間で言うところの“売れ残った”頃から、折りしも自己実現に目覚め水面下でその準備のために公私共に超多忙状態となったのだ。
 こうなると、企業における(拘束されているが無給の位置づけの)昼休みとて私にとっては貴重な時間との計算が成り立っていた。 昼飯に要する時間は約20分、残りの約40分は無駄なく私的自己実現の夢のために当てたいのだ。 今までのように、入社後年数が経たない若きギャル達のくだらないキャピキャピ話や、子どもを産んで尚居座っているおばさん達(失礼!)の取りとめのない家庭内のぼやき話の聞き役をしている暇など、申し訳ないが私には到底ない。 ましてや、こちらからも自分が目指す学問分野の話、あるいは当時はまっていた不倫関係の泥沼の辛さなど、職場で相手構わず披露するような非常識な私でもない。 昼休みの残り時間は一人で“朝日新聞”を読み各方面の情報を収集することに集中したものである。

 その後も、組織における私の昼飯は「一人飯」が続く。
 30歳を過ぎてからの二度目の学業生活や、派遣社員生活、はたまた結婚出産後のアルバイト稼業等多岐に渡る職場の場面においても、申し訳ないがまずは周囲の皆とどう努力しても話が合わず、つまらない。 持ち前のサービス精神を発揮して“聞き上手”に徹する割にはその報酬たるや一銭たりとてない。 休み時間であるはずなのに“集団昼飯”とは私にとっては胃が痛くなる程の虚しい時間ばかりが通り過ぎてゆくのだ。(もちろん、この私とて相当我慢してそもそも話が合うはずもない周囲に合わせるべく無理もしてきているよ。)
 どのような視点から考察しても、職場の昼飯時の周囲との話題の共通点が私には見出せないのだ。これは本人にとっては心底辛い。
 周囲を観察していると皆さん意外と義務感ではなく、そこそこ話に乗っているようだ。 何でこんな“つまらない話”に同意できるのだろう?? 私にとっては、そのような“無駄な時間”が一時も早く通り過ぎて欲しかったものだ…。悩み抜いた挙句の果ての私の“一人昼飯”の決断でもあるのだ。
 (参考のため、この私にとって話の共通項が見出せて有意義な時間を共有できる方々が古今東西存在しますので、読者の皆様どうかご心配なきように。)


 という訳で、集団内において“一人昼飯派”を貫く人間の心理を、少しは理解していただけたであろうか。
 ここで結論のみを端的にまとめると“一人昼飯”の現状とは、“寂しい”のを泣く泣く我慢してやむを得ず一人で食べているのでは決してなく、ただただ食事中の集団内の“鬱陶しい会話の煩わしさ”に耐え切れないだけの話なのである。
 
 中高生位の十代の年端も行かない年齢であるならば、昼飯を“一人”で食べている姿を自分自身で客観的に捉えた場合、確かに周囲の視線等がプレッシャーになり得るのかもしれない。

 ところが、大学生をはじめいい大人が“一人昼飯”を実行する実態においては、「友達がいないことを周囲に悟られる」などという“せこい”プレッシャーを耐えている訳では決してなく、人間関係におけるもっと切実な“鬱陶しさ”を回避したい思いが根底にあるものと私は考察するのである。
 (トイレで昼飯せざるを得ない大学生が真に存在するのであれば、大学の今後の進化のためにも早急に学食に「一人席」を増設するべきだよ。)


 今回の朝日新聞記事を書いた記者は、もしかしたら「友達」が出来ずに“寂しい”青春時代を歩んで来られたのであろうか??? 
 大学であれ企業であれ、たかが「昼飯」時の過ごし方が友達に恵まれている、いない如何の“証拠”や判断材料でもあるまいに…。

 そういう意味で名立たる新聞がこんな記事を取り上げていること自体が“臭い”よなあ。
 加えて、ちょっと低俗な“辛さ”も感じさせられる今回の朝日新聞一面トップ記事に出くわした私は、これを綴った記者の心理を慮り、現在の若者の人間関係の希薄化現象の深刻さへの懸念にさらに拍車をかけられた次第なのである。
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「恐怖症」の恐怖

2009年07月05日 | 医学・医療・介護
 前回の記事「若田さんの帰りを待つ女」において“閉所恐怖症”について取り上げたところ、複数の読者の皆様よりご自身にも同様の症状や“高所恐怖症”らしき症状がある等のコメントを頂戴したため、今回はこの「恐怖症」について改めて取り上げることにしよう。


 世には様々な「恐怖症」が存在する。
 その一例を挙げると、上記の“閉所恐怖症”“高所恐怖症”に加えて“広場恐怖症”“低所恐怖症”“暗所恐怖症”“先端恐怖症”“身体醜形恐怖症”“疾病恐怖症”“不潔恐怖症”、それから“対人恐怖症”(“視線恐怖症”“赤面恐怖症”)“女性恐怖症”“男性恐怖症”“植物恐怖症”“クモ恐怖症”……  まだまだ存在するかもしれない。

 この「恐怖症」とは、ある一定の物や状況に対して“恐怖”に陥る理由がないことを自覚しつつも不安感や気がかりな気持ちが強くはたらき心理学的、生理学的な心身的異常反応を起こす状態を言い、一種の精神疾患と位置づけられている。 その精神症状が日常生活にまで支障をきたすのが「恐怖症」の定義でもある。 また他人から見るとその“恐怖心”が不可解であることが大きな特徴であり、そのような周囲の無理解が当人の苦しさ、辛さに追い討ちをかけるというのが「恐怖症」のさらに厄介な特徴でもある。


 生まれ持って“神経質”であることを自覚している私の場合、おそらく「恐怖症」とまでは診断されないであろうものの、子どもの頃より数種の事象に対して“恐怖心”を抱く場面を経験してきている。

 例えば、上記にある“不潔恐怖症”的恐怖心などは我が幼き頃より内在していたことを記憶している。 親の育て方等の生育環境等の影響も大きいとは考察するが、子どもが好む“砂遊び”や“泥んこ遊び”等は洋服や身体が汚れることが幼心に我慢ならず、義務感で嫌々ながらこなしたものである。 小学校低学年の頃から、いつもスカートのひだがピシッと入っていないと気が済まなかったエピソードは、当ブログのバックナンバーでも記述させていただいている。
 
 思春期の頃“赤面恐怖症”も経験している。 恐怖症とはそのすべてにおいて共通項があるのだが、気にすればする程その精神状態に取り付かれ、がんじがらめに陥ってしまうのだ。 例えばの話“赤面恐怖症”に陥った元々のきっかけは、ほのかに思いを寄せる異性の相手に見つめられたら恥ずかしいなあと感じるごとくの、何とも可愛らしい感性から発したものであったのかもしれない。 ところがそんな思いはとうの昔に冷めているにもかかわらず、“赤面反応”だけがどういう訳かいつまでも恐怖心の形で残存してしまうのである。

 “暗所恐怖症”的症状も若かりし頃に経験している。 皆さんは一点の明かりもない完璧な暗黒空間に閉じ込められたご経験がおありであろうか?
 我が学生時代の話であるが、大学附属病院の耳鼻科に於いての実習中にその“一点の明りもない暗室”の密室に数分間一人で入ることとなった。 そこで“暗黒”の世界を初体験した私は、医学的実習をこなす以前の問題として、自分が暗黒の世界に耐えられない精神構造である事実を悟ったものである。


 それらの恐怖心の延長線上に、私の“閉所恐怖症”が発症したものと自覚している。
 病院嫌いの私は医療機関を受診して専門医による診断を受けた訳ではなく、あくまで自己診断として“閉所恐怖症”を認識している。
 事の始まりは、ホルモンバランス的に不安定とならざるを得ない“プレ更年期”の頃の話である。 私の“プレ更年期”の症状が進行するにつれ、世の様々な事象に対する恐怖心が急激に増大していったのだ。

 その恐怖心が度を超えて異常であることに気付いたきっかけは歯科医受診であった。 元々歯がとことん悪い私は常に歯のトラブルが多い。 そんな折、歯の詰め物が取れるアクシデントに見舞われた私は歯科医を受診するはめになるのだが、その頃理由なき不安定感に苛まれていた私は、受診する以前よりあの診察台の“拘束感”に恐怖心を抱いていたのである。
 「“まな板の鯉状態”恐怖症」とでも表現すればよいのだろうか。 受診中はそこから逃れられない恐怖心に受診以前より襲われていた。
 案の定、主治医が歯を削っている最中に私はパニック状態に陥り「申し訳ありませんがトイレに行かせて下さい!!」 これ以上この台に拘束されていたのでは、私は発作を起こして死ぬ!!!と“本気”で悟った私は、全身全霊の力を込めて“解放”を訴えたのである。
 それに驚いた若き女性歯科医は私をその場から“解放”してくれたものの、我を取り戻して受診台に戻った私に対して不可解感をあらわにした。その女性歯科医の冷徹な横顔が、私のその後の歯科医嫌いに追い討ちをかけたものである。

 前回の私の記事中の“閉所恐怖症”へ同感いただいたコメントを、同年代の“アラゴー”女性より頂戴している。
 実はこの私も、その女性がお書き下さった「美容院」でのシャンプー中のパニックも経験しているのだ!! あれも上記の歯科医でのパニック以上に辛かった出来事として今尚忘れえず私の脳裏にあるのだが、それは後日記載させていただくその女性への返答コメントで参照いただきたく思っている。


 それにしても、「恐怖症」とは自ら経験することなくしてはまったく“不可解”な事態であろうことは想像がつく。 それ故に、「恐怖症」などとは一生無縁の人生を歩んでいる“強靭な精神力?”をお持ちの人種の皆様の存在は、生来“神経質”な気質を余儀なくされている私にとって羨望の対象である。

 その上で「恐怖症」を自ら経験してみると、人間の精神構造の奥深さや、その困難を克服することにより得られる更なるパワーも捨て難いものがあると感じるのも事実だ。 その克服のエネルギーがまた明日の喜びをもたらしてくれるとも実感できるから、とりあえず自分が持って生まれた精神構造を自分自身が受け入れることだよね。
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若田さんの帰りを待つ女

2009年07月03日 | 時事論評
 その女とは、この私のことである。

 宇宙飛行士である若田光一氏の国際宇宙ステーション(ISS)滞在が、スペースシャトル“エンデバー”の故障等による打ち上げ延期に伴い約1ヶ月も延びているニュースを見聞して以降、宇宙空間で今尚一人漂う若田氏に思いを馳せては、居ても立っても居られない私なのである。
 

 要らぬお節介とは重々承知しつつも、それには私なりの理由があるのだ。

 元々、私はNASAからいくら頭を下げて頼まれようが「宇宙飛行士」にだけは絶対になりたくなかった人間である。
 なぜならば、昔から多少“閉所恐怖症”的精神構造が内在していることを自覚しているためである。
 例えば、一人暮らしの時や今でも一人で在宅中に、トイレのドアを閉め切って用を足す事は避けている。ドアが故障して出られなくなって狭い密室に一人で閉じ込められる状況を想像するだけで、パニックに陥りそうになるからである。
 それから、車に乗っていて渋滞にはまるのも苦手である。(そういう場合は必ず窓を開けて、外界との交流口を確保するように心がけている。) 同様に、電車が不通となって中に何時間も閉じ込められる事故が日常よく発生するが、あのような場にもしも直面した場合、この私が真っ先にパニック状態に陥って周囲に迷惑をかけることであろうと想像する。 飛行機も一時苦手だった。ただし、飛行機の場合は閉所空間とは言えある程度の広さがあることと、運命共同体の人々が同乗していることが救いとなっている。

 とにかく、閉所の密室性が高い程、恐怖感が増大するのだ。
 この4月に我が子と一緒にお台場の科学未来館へ出かけた折に、米スペースシャトルのレプリカの室内を見学した際にも感じたのだが、外界から完璧に閉ざされたあの狭い空間内、しかも周囲はまだまだ未知の宇宙空間で、何日も過ごす宇宙飛行士達の類稀な精神力には感服申し上げる私である。

 ましてや、今回若田氏は単独での長期間の宇宙滞在である。
 おそらく元々強靭な精神力を備えられているのに加えて、宇宙飛行士としての十二分の訓練をクリアされている若田氏であることと拝察するが、3か月の滞在予定が、迎えのスペースシャトルの故障等の事情により約1ヶ月も延期されることの心理状態とは如何なるものなのであろう。
 若田氏のISS内での“日常生活”は、各種の世界的宇宙開発事業の準備等で至って多忙であるそうなのだ。そのような充実したスケジュールにも助けられ、氏はいつも変わらぬ平常心で延期となった宇宙での生活を今もこなされているのかもしれない。


 それにしても、宇宙飛行士の宇宙滞在とは私のような凡人の想像以上に過酷であるようだ。
 7月1日(水)朝日新聞コラム「ニュースがわからん!」においても、この若田氏のISSでの滞在が延びたことについて取り上げられていたのだが、その記事を読む限り若田氏が宇宙生活により被る事態は壮絶であるようだ。
 例えば、飲食物に関しては食料の備蓄や尿の再生により補給されるため心配はないとのことで私もひと安心である。 一方、無重力状態で起こる骨や筋肉の衰えの対処は、骨粗しょう症の薬の常用に頼るしかないとのことである。(薬嫌いの私にはこれは厳しい現実である…) 若田氏はISS内で毎日2時間きちんと運動に励むそうなのだが、それでも帰還時には60代並の筋力にまで衰え、それは一気に20歳も年をとるのと同様であり、その回復に帰還後数ヶ月を要するそうだ。(一般人が経験し得ない無重力のなせる業とは、これ程までに過酷であることを思い知らされる。)

 そうでなくても既に骨粗しょう症対策を考慮している私など、やっぱりNASAから「宇宙飛行士」にスカウトされなくて命拾いしたとも言えるなあ。


 さらに私が懸念するのは、ISSに滞在する若田氏の“人との接触のなさ”である。
 もちろん、最先端の通信手段により、NASAはもちろんのこと、この日本や世界とも影像や音声により日々ISSでの活動状況を通信するのも若田氏の主たる業務ではあろう。
 だが、生身の人とのかかわりを人間関係におけるコミュニケーションの主眼とし、ネット上の人との関係を常にもの足りなく思っている私としては、何ヶ月もの期間ISSに単独で滞在して、生身の人間とのスキンシップ等の接触ができない若田氏の精神的バランスの安定がどのように保たれるのかについては、やはり大いなる心配事である。


 それにしても、宇宙飛行士の「適性」とは人間の常識を逸脱しているとも思える程超越したもののようだ。
 その中でも特に、今回ISSでの長期滞在を実現している若田氏の“宇宙適性力”たる能力的、精神的、肉体的なパワーには脱帽するしかない。

 若田氏の7月11日の地球帰還後の宇宙での諸活動の報告や、その後のご本人の世界的ご活躍に期待する以前に、スペースシャトルさん、早く若田さんを地球に連れて帰って来てあげてよ! 
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「悔しさ」は明日へのエネルギー

2009年07月01日 | 教育・学校
 今日から学校の1学期の期末試験が始まった我が娘が、何やらしきりと悔しがりつつ先程帰宅した。
 どうせ試験の出来が悪かったのだろうと思い確認してみると、娘曰く
 「英語で“一箇所”間違えたように思う… 
 どうやら、得意の英語で今回は100点満点を目指していたのに、帰宅の道中自分の解答を振り返ってみると、一箇所誤答をしてしまっていることに気が付いたようだ。

 (おーー、そうかそうか、よく頑張ったぞ。  その「悔しさ」は必ずや明日のパーフェクトへ繋がるぞ。)とまんざらでもない母の私である。


 折りしも、娘が昼ごはんを食べる横で新聞を広げた私は、朝日新聞6月29日(月)朝刊「ひととき」欄で、そんな我が娘の姿と重複する内容の投稿を見つけた。
 「初めて『悔しい』と言った娘」と題する56歳の主婦からの投稿を、以下に要約して紹介しよう。
 20歳の娘が酔って帰ってきた。いつもはゴキゲンなのにその日は雲行きが違い、急に「悔しい」と言い出した。娘の口からそんな言葉を聞いたのは初めてだった。小学校の徒競走でメンバーに選ばれなかったときも、中学で応援団に入れなかったときも「悔しい」と言わず、いつも明るく真面目で、親とすると「悔しくないの?」とじれったくなるぐらいだった。そんな娘が「悔しい」を連発する姿を見て、この子にもそういう気持ちがあって素直に表現してくれたことに私はうれしくなった。気持ちの動きを大切にして、それをため込まないで時には聞かせて欲しい。親としての手助けには限界があるが「悔しさ」をバネに解決していって欲しい。


 まさに、我が家の娘もこの投稿の中のお嬢さんと“瓜二つ”とも言える道程を歩んできている。
 小学校の合奏祭では、万年“その他大勢”の「リコーダー」に甘んじ、それでも努力家の娘は一生懸命練習して本番では隅っこで健気に演奏している。 また、バレエの発表会では、これまた舞台の“下手(しもて)の端っこ”が我が娘の定位置(身長のバランス等の要因もあることは承知しているのだが)で、やはりそれでもいつも皆と一緒に楽しそうに練習に励んでいる娘であった。

 端で見ている親の私の方が、大人気(おとなげ)なくも“悔しい”気持ちが抑えきれず、当時そんな娘をよく責めたものだ。
 例えば小学校の合奏祭などは楽器の選択が立候補制であったため、「あなたも万年“リコーダー”ばかりに立候補してないで、もっと“目立つ”楽器に立候補しなさいよ!」 今思えば親たり得ない“浅はかさ”なのであるが、そんな浅はかな親に対し、娘は消え入りそうな声でこう答えたものだ。「だって“リコーダー”が好きなんだもの……」 
 バレエに関しては親負担の“高額!”の発表会費用が、子どもの位置が“下手(しもて)の端っこ”でも中央に近くても、同じコールド(その他大勢)であるならば同額であることが親としてはどうしても“悔しく”て、一度バレエ教室へ異議申し立てをしようかと企てたりもしたものだ。 だが、娘本人が皆と一緒に楽しそうに練習に励む場に親が場違いにしゃしゃり出て、娘の顔に泥を塗ることだけは避けるべきと悟り思いとどまったものである。(端っこで身長が高いと、舞台上では以外と目立つのも事実だったしね~~ 


 以上のように多少“浅はか”な人格の一面も兼ね備えている親として、何がもっと“悔しい”のかと言うと、幼き頃の我が子本人の内面から「悔しい」という感情が見出せなかったことである。 (よその子が“悔し泣き”している姿等を垣間見て、どれほど羨ましいと感じたことか…)

 この朝日新聞の投稿者も述べておられるが、「悲しい」「情けない」「悔しい」といった一見マイナス要因の心模様とは、実は人間が生きていく上で欠かせない情感であると実感しつつ、この私も長い人生を歩んできている。 このような“一見”マイナーな感情は、実は明日の人間の成長を導く土台となりエネルギー源となるのである。これらの感情なくしては人類の未来は無いも等しいとすら思える程、この私もこれらマイナー感情の力を借りつつ生き延びてきているとの実感があるのだ。

 そんな思いの私は、浅はかにも一時この「悔しい」感情“さえをも”我が子に“教育”するべく躍起になったものである。
 しかし、内面から本能的に湧き出てくるものである「感情」を“教育”や“指導”により教授することは困難であることに気が付いたのは、娘に「悔しい」感情が芽生えるのをキャッチして以降である。
 我が娘の場合、中学受験がその引き金となったように思う。 
 中学受験というまだ年端も行かない子どもにとってのビックイベントにおいて、第二志望校ではあったものの自分の力で合格をゲットした!と確かに感じ取った娘は、この時点で初めて幼心にも確固たる「成功感」を得た模様である。
 これがきっかけとなり、未熟な我が娘本人なりの「成功感」が心の中に基盤として出来上がり、その表裏の感情として、その後徐々に「悔しい」思いが我が子に自然と熟成されてきたように私の目には映っている。


 子どもの「感情」までをも“教育指導”しようとすることは、元々不条理な事態なのであろう。 子ども本人が本来持って生まれた個性である“感情気質”を尊重しつつ大事に育成していくことで、むしろ「悔しい」をはじめとする“マイナー感情”もバランスよく熟成されることを、我が子から実感させてもらっている今日この頃の私である。


 P.S.
 「原左都子エッセイ集」へのご訪問、誠にありがとうございます。
 現在、コメント欄は OPEN とさせていただいておりますが、本ブログの著者である原左都子が、頂戴しましたコメントの内容を吟味した上で公開の是非を判断させていただく旨、ご了承願えましたら幸いと存じます。
 今後共、皆様のご訪問をお待ち申し上げております! 
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