我が家は COOP(生協)の宅配便を利用しているのだが、 毎週月曜がその配達日である。
先程その宅配が届いたのであるが、我が家担当の“生協のおにいさん”(我が家ではこう呼ばせていただいています)の帰り際の表情やしぐさに、“そこはかとない名残惜しさ” のような空気が漂っている気配を私は感じた。
(何か伝え忘れただろうか? あるいは…) と考えて、私ははたと気付いたのである!
今日は“バレンタインデー”ではないか! と!
何年か前の「原左都子エッセイ集」において、バレンタインデー関連の記事を綴った事がある。 (今となってはいつ公開したのか、またその記事の題名すら忘却していて自分でもバックナンバーが探し出せないのだが…)
その記事においてもおそらく記述したと思うのだが、原左都子は中高生頃の未熟な時期を除いて、日本の商業主義に操られて世間が騒ぐ“バレンタインデー”の軽薄かつ歪んだ慣習を肯定的に捉えていない。
ただそんな私も、これにかこつけて日頃お世話になっている男性達に“ちょこ”っとチョコなど手渡してもいいのか、程度の範囲内でこの歪んだ慣習を利用しようと狙っているのだ。
そういう意味では、もう3年来毎週お世話になっている 真面目で実直な“生協のおにいさん”にチョコのひとつでも手渡すべきだったと反省しきりの今現在なのである。
昔組織に所属していた時期には、当然ながら周囲の女性達も水面下で誰にチョコを配るかと大騒ぎしていることであるし、私もそれに便乗して“義理チョコ”を配った事もある。
その最たるものが「原左都子エッセイ集」上記のバックナンバーで綴った、今尚忘れもしない職場の男性から“強制された”30個を超える義理チョコであったのだ! 職場の男性陣が30人以上であるのに対して女性はたったの2人…。 この義理チョコを購入するための費用がアルバイトの身分にして莫大だったのに辟易としつつも義理チョコを配ったら これがな・な・なんと 「海老で鯛を釣った!」 結果となったことをバックナンバーで披露している。 (1ヶ月後の3月14日のホワイトデーに届いた“お返し”たるや、“交際申し込み”も含めて絢爛豪華だったことに関しては「原左都子エッセイ集」のバレンタインデー関連のバックナンバーを探されてご参照下さいますように。)
原左都子が、日本においては単に商業主義論理で根付いている2月14日の“バレンタインデー”を肯定的には捉えていないとは言えども、年頃の娘を抱える母の身として毎年これに係わらざるを得ないのである。
我が娘も母である私の影響を受けつつ育っていることもあり、商業主義に流されてチョコを配ることに関して抵抗感があるようだ。 それ故に毎年私に相談に来るのである。 「学校の先生達に配るべきか?」どうかと……
娘の説明によると、娘が中学から通っている中高私立女子校ではバレンタインデーに生徒が教員にチョコを配ることを容認しているとのことである。 それ故に大抵の女子生徒は担任はもちろんのこと、校長、教頭も含めた男性教員にチョコを配る風景が毎年職員室内で華やかに展開されるとのことである。 特に校長のホワイトデーの生徒へのお返しが、なんと! ブランド品だと言うではないか!!?
この一私学の教育現場で繰り広げられているバレンタインデーの実態を一保護者として如何に捉えるべきかと、 う~~ん と首を傾げつつも、娘には「自分の好きにすればいい」との指導しか出来ない原左都子である。 (冗談で「校長にチョコを渡して、あなたもブランド品のお返しを貰ったら??」とアドバイスした私であるが、一瞬にして娘に蔑まれてしまった…)
結局、今年もどなたの先生にもチョコを配らない選択決断をした我が娘は、校長をはじめとする男性教員から邪険に扱われ学校で居心地が悪い思いを強いられるのであろうか?? と、余計な心配を余儀なくされる原左都子であるのが実情だ…
(だって、人間っていくら理想論を掲げたところで所詮単純な生き物であることが否めないでしょ!?!)
このバレンタインデーという日本特有の“歪んだ”習慣に、毎年胃を痛めている男性陣も日本国内に多いことであろう。
たかが取るに足りない慣習とは思ってみても、学校で、職場で、あるいは家庭で一個のチョコも届かない男性の“寂しさ”や“疎外感”を察して余りある原左都子なのである。
日本におけるバレンタインデーは、戦後の高度経済成長期に日本のお菓子業界が売り上げ増を目指して始めたことには間違いないのであろうが、これは今となっては 「いじめ」 のニュアンスも感じられる程に男性達にとって過酷な試練と私は受け止めるのだ。 “ホワイトデー”という男性からのお返し慣習も後にお菓子業界は根付かせたようだが、これは女性陣が先行して男性にチョコを配るバレンタインデーとはその質をまったく異にする“お返し儀礼”でしかない。
バレンタインデーと同様の慣習がたとえ商業主義とはいえ女性対象として根付かないのは、これはある意味では“男尊女卑思想”に基づいているのではないかと考察する私である。 女だって特定日に男から届く贈り物の数によって、その“人気度合い”を測られてもいいはずである。
結局、商業主義とは言えどもその種の記念日を女性対象に設けようとしない日本商業界の趣旨とは、まだ女性が“競争”という過酷な世界に慣れていないことへの配慮であると、好意的に解釈しておくことにしよう。
それにしても、男性の皆さん、どうでしょう?
もしかして、一つもチョコが届かなかった男性は世間から見放された感覚ですか?
あるいは本日女性からチョコをもらった男性にとって、そのチョコは本当に美味しいのでしょうか?
如何なる方面から考察しても日本の商業主義に基づく“バレンタインデー”とは、(貰う側においては他人事と言える)女性である原左都子にとっても、至って後味が悪いだけの悪習の感覚しかないのだが……
先程その宅配が届いたのであるが、我が家担当の“生協のおにいさん”(我が家ではこう呼ばせていただいています)の帰り際の表情やしぐさに、“そこはかとない名残惜しさ” のような空気が漂っている気配を私は感じた。
(何か伝え忘れただろうか? あるいは…) と考えて、私ははたと気付いたのである!
今日は“バレンタインデー”ではないか! と!
何年か前の「原左都子エッセイ集」において、バレンタインデー関連の記事を綴った事がある。 (今となってはいつ公開したのか、またその記事の題名すら忘却していて自分でもバックナンバーが探し出せないのだが…)
その記事においてもおそらく記述したと思うのだが、原左都子は中高生頃の未熟な時期を除いて、日本の商業主義に操られて世間が騒ぐ“バレンタインデー”の軽薄かつ歪んだ慣習を肯定的に捉えていない。
ただそんな私も、これにかこつけて日頃お世話になっている男性達に“ちょこ”っとチョコなど手渡してもいいのか、程度の範囲内でこの歪んだ慣習を利用しようと狙っているのだ。
そういう意味では、もう3年来毎週お世話になっている 真面目で実直な“生協のおにいさん”にチョコのひとつでも手渡すべきだったと反省しきりの今現在なのである。
昔組織に所属していた時期には、当然ながら周囲の女性達も水面下で誰にチョコを配るかと大騒ぎしていることであるし、私もそれに便乗して“義理チョコ”を配った事もある。
その最たるものが「原左都子エッセイ集」上記のバックナンバーで綴った、今尚忘れもしない職場の男性から“強制された”30個を超える義理チョコであったのだ! 職場の男性陣が30人以上であるのに対して女性はたったの2人…。 この義理チョコを購入するための費用がアルバイトの身分にして莫大だったのに辟易としつつも義理チョコを配ったら これがな・な・なんと 「海老で鯛を釣った!」 結果となったことをバックナンバーで披露している。 (1ヶ月後の3月14日のホワイトデーに届いた“お返し”たるや、“交際申し込み”も含めて絢爛豪華だったことに関しては「原左都子エッセイ集」のバレンタインデー関連のバックナンバーを探されてご参照下さいますように。)
原左都子が、日本においては単に商業主義論理で根付いている2月14日の“バレンタインデー”を肯定的には捉えていないとは言えども、年頃の娘を抱える母の身として毎年これに係わらざるを得ないのである。
我が娘も母である私の影響を受けつつ育っていることもあり、商業主義に流されてチョコを配ることに関して抵抗感があるようだ。 それ故に毎年私に相談に来るのである。 「学校の先生達に配るべきか?」どうかと……
娘の説明によると、娘が中学から通っている中高私立女子校ではバレンタインデーに生徒が教員にチョコを配ることを容認しているとのことである。 それ故に大抵の女子生徒は担任はもちろんのこと、校長、教頭も含めた男性教員にチョコを配る風景が毎年職員室内で華やかに展開されるとのことである。 特に校長のホワイトデーの生徒へのお返しが、なんと! ブランド品だと言うではないか!!?
この一私学の教育現場で繰り広げられているバレンタインデーの実態を一保護者として如何に捉えるべきかと、 う~~ん と首を傾げつつも、娘には「自分の好きにすればいい」との指導しか出来ない原左都子である。 (冗談で「校長にチョコを渡して、あなたもブランド品のお返しを貰ったら??」とアドバイスした私であるが、一瞬にして娘に蔑まれてしまった…)
結局、今年もどなたの先生にもチョコを配らない選択決断をした我が娘は、校長をはじめとする男性教員から邪険に扱われ学校で居心地が悪い思いを強いられるのであろうか?? と、余計な心配を余儀なくされる原左都子であるのが実情だ…
(だって、人間っていくら理想論を掲げたところで所詮単純な生き物であることが否めないでしょ!?!)
このバレンタインデーという日本特有の“歪んだ”習慣に、毎年胃を痛めている男性陣も日本国内に多いことであろう。
たかが取るに足りない慣習とは思ってみても、学校で、職場で、あるいは家庭で一個のチョコも届かない男性の“寂しさ”や“疎外感”を察して余りある原左都子なのである。
日本におけるバレンタインデーは、戦後の高度経済成長期に日本のお菓子業界が売り上げ増を目指して始めたことには間違いないのであろうが、これは今となっては 「いじめ」 のニュアンスも感じられる程に男性達にとって過酷な試練と私は受け止めるのだ。 “ホワイトデー”という男性からのお返し慣習も後にお菓子業界は根付かせたようだが、これは女性陣が先行して男性にチョコを配るバレンタインデーとはその質をまったく異にする“お返し儀礼”でしかない。
バレンタインデーと同様の慣習がたとえ商業主義とはいえ女性対象として根付かないのは、これはある意味では“男尊女卑思想”に基づいているのではないかと考察する私である。 女だって特定日に男から届く贈り物の数によって、その“人気度合い”を測られてもいいはずである。
結局、商業主義とは言えどもその種の記念日を女性対象に設けようとしない日本商業界の趣旨とは、まだ女性が“競争”という過酷な世界に慣れていないことへの配慮であると、好意的に解釈しておくことにしよう。
それにしても、男性の皆さん、どうでしょう?
もしかして、一つもチョコが届かなかった男性は世間から見放された感覚ですか?
あるいは本日女性からチョコをもらった男性にとって、そのチョコは本当に美味しいのでしょうか?
如何なる方面から考察しても日本の商業主義に基づく“バレンタインデー”とは、(貰う側においては他人事と言える)女性である原左都子にとっても、至って後味が悪いだけの悪習の感覚しかないのだが……