原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

アナウンサーは「声」こそ命!!

2011年09月07日 | 仕事・就職
 今回の記事は個人バッシングのような形になってしまう点をあらかじめお詫びしておくが、決して話題の対象人物の人格そのものを否定する内容ではなく、あくまでも 「声」 に関する指摘であるため、何卒ご了承願いたい。


 NHKのアナウンサーに 小郷知子氏 との若手女性職員がおられる。
 この方を私が一番最初にテレビで見たのは、数ヶ月前のNHK夜7時のニュースに於いてである。
 いつもは武田氏というベテラン男性アナウンサーがメインに担当しているニュースであるが、その日は小郷氏がメインでニュースを伝えることになったようだ。
 これがどうしたことか声が聞き取れない。 最初は私自身の老化現象で早くも耳が遠くなり始めたのかとも考えた。 娘に確認したところ、私程ではないがやはり聞き取りにくいとのことだ。
 小郷氏の声が小さいという訳ではない。 どう表現すればよいのか、実声部分が少なく息ばかりが漏れているような発声なのだ。 加えて高音であることも聞き取り辛い要素の一つであろう。
 テレビの音量を上げてもやはり聞こえにくい。 当時はまだ東日本大震災関連のニュースが主であった頃で特に福島原発事故に関する報道の詳細を網羅したい私にとっては、このアナウンサーの声の聞こえにくさに実に難儀させられのだ。 結局、小郷アナウンサーが声を発する度にテレビの間近まで行って耳を傾けねばならず、たかがテレビのニュースを見聞するのに何で視聴者側がこんな苦労を負わされるのかと、NHKを恨みそうにさえなったものだ。
 やっと武田アナウンサーが7時のニュースに戻って来て以降は、夕飯を食しながらも自然と聞こえてくる報道音声に安堵したものである。
 その後、昼間のニュースにも登場している小郷氏である。 多少低音声を発する努力をしているのか?との印象もなきにしもあらずなのだが、やはり息が漏れ出るその音声は聞き取りにくい。


 そうしたところ、ネット上で小郷アナウンサーの「声」に関する原左都子と同趣旨の見解を発見したのである!  これに勇気をもらった私は、今回やっとこの記事において日頃のストレスを公開することにしたといういきさつだ。

 早速、JCAST てれび見朱蘭(みしゅらん) がネット上で公開しているNHKアナウンサー小郷知子氏に関する文面の一部を以下に要約して紹介しよう。

 「ニュースウォッチ9(当時)」で青山佑子アナの休暇代役をやったり、選挙特番に出たり数々の経験を積んではきたが、NHKの顏ともいうべき看板番組「7時のニュース」のメインキャスターになるにはまだちょっと物足りない小郷知子。 何が気に入らないと言って、ニュースアナとして最も大切な声が悪いということである。嗄れ声というのも当たらない、ハスキーボイスとも違う、形容のしにくい金属製の声で、聴いているこっちが「エヘン」と痰を切りたくなるような聞き苦しい声の響きなのである。
( 中略 ) 女のメインは12年ぶりとか、ならば、声の質を最優先の条件にするべきではなかったか。 ニュースアナの条件はルックスやスタイルではなく、何よりもまず抵抗なく聞き取れる発声が1番。 上目づかいに見つめて真面目そうだがアナとしてはペケ。

 手厳しいご意見のようだが、私論も上記JCASTの見解に概ね同感である。 (多少異なる点は、テレビのアナウンサーとはやはり男女共にルックスが良いに越した事はないと原左都子が思っているところか?!?)

 いやはや、特に報道番組であるニュース、しかもおそらくNHKにとってはメインのニュース報道であろう「夜7時のニュース」に“聞き取れない声のアナウンサー”を起用するとは一体どうしたことか?? (NHKの相変わらずの“受信料徴収収益依存ボケ”か???)
 小郷氏自身に関しての印象は上記のネット情報にも書かれている通り、私も真面目で控え目な印象を持っている。 若手故の経験不足で多少のミスはあろうが、その誠実そうな風貌はニュース向きと言えるであろう。
 ところが肝心要の「声」がこれ程聞き取りにくいことではアナウンサーとしてどうしようもない。 この辺の視聴者の不満をNHKには是非共再考して欲しい思いだ。

 私は音声スペシャリストではないためその分野の知識がないのだが、「声」とは努力により改造可能なのであろうか? もしそうであるならば、是非共小郷氏には声の改造訓練を積んで万人が聞き取り易い声を発せられるようになった後に、NHKニュース報道アナウンサーとして復帰してもらいたいものだ。


 ついでの話題となるが、以前NHK7時のニュースの天気予報のコーナーを長年に渡って半井小絵氏なる天気予報士が受け持っていた。
 この半井氏が何故か男性に人気とのことで、実に長い期間7時のニュースの天気予報を担当していたのだが、この方の声も聞き取りにくかった。 高音で早口、言っている事は7時前の天気予報とまったく同じで何ら独自性もなかった。 
 (加えてちょっと“意地悪”視点で申し訳ないが、あの方は若くして下半身デブだったことを私は決して見逃していない。 画面では腰までしか映らないため、小顔故に男性陣は気付かなかったであろうが、半井氏のウエストが75cm位あるのではないかと私は毎日画面で測定しつつハラハラしていた。 と言う訳で、この人が出てくるとそのメタボウエストばかりに集中してしまい天気情報に集中できずにいたのだ…)
 やっとそんな半井氏が去ったと思いきや、今度の天気予報士氏も似たり寄ったりの若手女性が採用され高音早口で音声が聞き取りにくい…。 (NHKのスタッフはこの手の女性がお好きなのかしらねえ~~。)  ただ今度の女性はウエストが標準サイズのようで、そこばかりに集中させられる事がないのがせめてもの救いだ。

 NHKの天気予報に関しては、午後7時前の天気予報を担当している平井氏との男性天気予報士が一番能力があるのではないかと、私は以前より評価申し上げている。 
 天気予報もニュース同様、報道において重要な役割を果たしていると私は捉えている。 例えば台風情報等大被害をもたらす予報は是非共正確であって欲しいものだ。 先だっての台風12号など死者・行方不明者を含めて本日現在100人を超える犠牲者を出している。
 若手女性予報士氏が正確な情報を伝えられていないと言う訳では決してないが、天気予報とは人の生命に直結した情報源であることを、報道機関には自覚して欲しいものである。 人気があるから視聴率が取れるとの理由で天気予報士を採用してもいいが、特に報道番組においては実質的能力の程を検証したキャスティングに期待したいということだ。


 さて、小郷知子さん、発声練習等の訓練により声質を改造した後に7時のニュースに再登場されることをお待ちしていますよ! 
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東京都下の街 狛江市青年教室に実った「いなほ」

2011年09月05日 | 自己実現
 (写真は、東京都狛江市青年教室が毎年夏に発刊している会員冊子「いなほ」。 左が本年度ご郵送いただいた「いなほ」の写真ページ。 右が昨年度の「いなほ」の表紙。)


 東京都狛江市青年教室(通称「狛プー」)の活動の一端に関しては、昨年の秋にも本エッセイ集において紹介させていただいている。
 私が「狛プー」とご縁を持つきっかけとなった発端とは、「原左都子エッセイ集」2007年10月バックナンバー「70年代ディスコサウンドで踊ろう!」を昨年秋にネット上で検索された方がコメントをお寄せ下さったことに遡る。

 そのコメンテイター氏がコメント欄で書かれた内容によると「70年代ディスコ大会を開催したい」とのご意向だ。 元よりダンス好きな私であるし、70年代に東京新宿、六本木界隈のディスコを好き放題網羅した私は大いに賛同申し上げた。
 このコメンテイター氏が「狛プー」の講師であられた関係で、昨年秋に狛江市民祭の催し物の一つとして実際にディスコ大会が開催されるに至ったのである。 それに私も参加させていただいた様子をバックナンバーに綴っている。

 ここで少しその時の様子を、本エッセイ集2010年11月バックナンバー「コミュニケーションが息づく街狛江」を要約することにより振り返ることにしよう。

 東京新宿駅から発着している小田急線の狛江駅(新宿駅から約20分程度の所要時間であろうか?)に降り立った私は、何やら街が活気付いている雰囲気を既に察知していた。それもそのはずである、今日は周辺で「狛江市民祭」が開催されているのだ。
 駅から程近い狛江市役所に到着すると、そこはお祭りの屋台や各種バザールの出展と共に市民が溢れ、身動きが出来ない状態である。 中央公民館の「ディスコ会場」へ急ぎたい私は人波をかき分けつつ、ちょうど特設ステージから発せられる来賓(もしかしたら狛江市長さんだったかも??)と思しき人物の祝辞のような挨拶を見聞した。
 「狛江市とは首都東京に位置し都心から近いにもかかわらず、自然にも恵まれ市民活動が活気付いている市です。こんな自治体は大都会東京において貴重な存在です。我が市が大き過ぎない規模であり恵まれた立地条件であるからこそ毎年毎年市民祭を開催でき、大勢の市民が集まってくれます。こんなこと、今や大都市の自治体では実施不可能でしょう。」 
 まったくその通りであろう。
 私自身、都心に転居して以降はこのような自治体祭は経験していない。 現在居住している区においても区民祭は実施されているようではあるが、子どもが大きくなっている今となっては参加するきっかけも機会もないのが現状だ。
 今回「狛江市民祭ディスコ大会」に参加させていただいたことにより、私は(コメンテイターの)講師氏はじめ、狛江市青年教室主宰者の社会教育主事であられるI氏やそのメンバーである狛江市の青年の皆さんより大いに刺激を頂いたのだ。 在籍している青年層を主体とした「狛プー」のメンバーの皆さんも、私にとってはまるでひと昔前の若者に遭遇したごとく活き活きと青年教室の諸活動に取り組んでおられるのである。 
 大都会暮らしが長く、加えて人間関係が希薄化した今の殺伐とした世の中の現状に染まり過ぎて、ある意味ではそのマイナスの免疫力を得そうになっていた原左都子にとって、都心に程近い場所に確かな生命力を宿している「狛江青年教室」という一コミュニティが息づいている現状に今回触れることが出来た思いは、まさに新鮮そのものである。


 上記の「狛江市民祭ディスコ大会」に参加させていただいた後、「狛プー」とは疎遠となっている私である。
 それでもネットを通じてその活動の一部を垣間見せていただきつつ、オピニオン発信をライフワークとしている私は、時折地域コミュニティ活動のあり方に関するコメントメール等々を送信させていただいていた。
 その後、現在「狛プー」の中心的人物兼講師として活動していらっしゃるE氏より、今年の「いなほ」をご郵送いただけるとのメールを頂戴した私は喜んでご好意に応じる事にしたのだ。
 そしてご郵送いただいたのが上記の写真の「いなほ」である。


 地方自治体の「青年教室」に於ける活動の実態とは、その内容が何であろうと“テキトー”に何かをやっていれば凌げる程度のレベルで、とにかく人が集まる事に意義があるものと捉えていた。
 ところが本年度の「いなほ」を拝見した私は、自分の考えが甘過ぎた事に反省させられたのだ。
 本年度「狛プー」に於いて、その活動の一環として“狛江市制施行40周年いかだレース”に参加した様子の写真集を拝見した。 それによると、いかだ「狛プー号」制作準備の周到さ(専門家を講師に招いての船の浮力の計算等専門性の高さ等も含めて)から始まり、制作した「狛プー」号を車の上部に搭載して会場の多摩川まで現地入りする様子、いよいよ本番間際の緊張感、そしていざ進水後の多摩川の流れが予想以上に速い中でのレースの様子、見事完走して32位と大健闘した結果、はたまた極めつけはその後河原で親睦会のバーベキューを楽しむ様子が、現地で観戦していない私にもリアルに伝わってきた。

 なるほど、なるほど、現在の青年教室とはその講座のレベルの幅が広い事を認識させられる思いだ。 単に誰でもが時間を過ごせるような旧態依然とした通り一遍の催し物を提供したところで、人が集まりにくいのであろうことを実感させてもらえたこの「いかだレース」である。 
 多様化している人の個性に対応するべく様々な講座を提供することにより、青年教室等の地域コミュニティはより多くの市民の参加が望め活性化が可能となる事であろう。
 上記写真の左には「講師のいない料理教室」なる活動内容の写真があるのだが、これなどは市民の老若男女が“カレーライス”を作って皆で一緒に楽しく食している講座の風景である。 この種の誰でも参加できそうな講座も共存させつつ日々活動している「狛プー」の様子を堪能させてもらえた今回の「いなほ」である。 (その他の行事として、キャンプやゴスペル、専門家を招いた講習会等々「狛プー」の活動は多岐に渡っているようだ。)


 現在の「狛プー」に於ける中心的人物であり講師でもあられる25歳の青年E氏が、今後の「狛プー」にかける思いをエッセイとして綴った文章が「いなほ」に掲載されていた。
 最後に、その一部を原左都子の勝手な解釈でアレンジして紹介しよう。

 今の時代、人がコミュニケーションを取る事自体が困難であろう。若者はネットに走る時代であり、実際に生身の人が集う場である青年教室に若者が集まりにくい時代背景である。 それでも僕(E氏)は自治体の青年教室である「狛プー」に真剣に取り組み市民に広げていきたいのだ。
 「狛プー」とは1992年より長年続く青年のための居場所であるが、今までは年配の学者の方や教育主事の方々等のご厚意によるバックアップにより成り立ってきたのが実情である。 その経緯に大いに感謝申し上げたいのは当然の事である。 だが、人の居場所とは先生から何かを教えてもらう場ではなく、別に建設的でなくても何となく居心地がいいから行きたい場であろうと思う。
 「狛プー」がやりたい事って何なの?と聞かれるが、その答とは「皆で楽しくやる!」という事だと思う。 ただし、何もないところから「じゃあ仲良くなりましょう」と言うのはシュール過ぎる。 共通の体験をしたり、話題のきっかけを提供したり、思い出を共存できるような何気ない風景の下でお互いがその空間にいるところから出会いが始まり、いろんな人間関係が生まれていく、そんな人間交差点こそ「狛プー」でありたい。

 25歳のEさんの、青年教室というコミュニティの本来あるべき姿を十分に分析された上での熱い思いに、原左都子も大いに賛同申し上げる。

 今後益々の「狛プー」のご発展を心よりお祈り申し上げます。 
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決断力とは嫌われる勇気だ!

2011年09月03日 | 時事論評
 8月の終わり頃よりダラダラ台風12号が居座り、長期間鬱陶しい天候を余儀なくされている日本列島である。
 子どもの始業式頃にちょうど上陸するのかとやきもきしていたが、速度の遅い大型台風12号はやっと本日(9月3日)紀伊、四国地方に上陸し、各地に豪雨洪水波浪被害をもたらしている。


 ところで、子どもの1学期の終業式頃にも台風が近づいていた。
 7月20日が終業式の予定だったのだが、前日の午前中に学校より緊急連絡FAXが届き「明日東京都内に大雨・洪水・強風いずれかの警報が出されたら終業式は中止する」との内容だった。 ガッテンしていたところ、午後になって再度FAXで「高3のみは重要な連絡事項があるため、午前11時に登校するように」との変更のようだ。 やっぱり登校するようだよ、などと子どもと語り合っていたら、今度は夜になってまたもやFAXで「明日の終業式に関してはやはり明日午前5時段階で警報が出ているかどうかで判断するから、明日朝5時の連絡を待つように」とのことだ。
 ちょっと、学校も何やってるのよ! 緊急連絡とは一発でバシッと決めなきゃ混乱を招くだけだよ、とイラつきつつ、終業式当日の朝5時過ぎにFAXの着信音で叩き起こされ、結局は「多摩地方に大雨警報が出ているから終業式は中止で全校生徒は一切登校しないように」との最終連絡だった。

 何故に子どもの学校が今回これ程緊急連絡にもたつき何度も連絡内容を変更するに至ったかに関して、一保護者として思い当たる事があった。

 本年度より、学校長が変わったのだ。
 前年度までの校長は教育理念も明瞭ならば強気で質実剛健、まさに決断力の塊のような人物であった。(元報道関係者の方で以前世に名を売られていたため、皆さんもご存知かもしれないが。) たとえ保護者や生徒の一部より嫌われようがご自身の信念を直言するタイプの学校長であられた。 この原左都子も陰ながら尊敬申し上げていた。
 本年度の校長は前年度までの教頭が後を引き継ぐ形となった。 この方も好感が持てる人物であられるのだが、前年度までの校長とは180度タイプが異なり温和で心優しい人物かと私は見ていた。 その側面は大いに評価できるものの、反面もしかしたら前年度までの校長程の意思決定力はないであろうと推測していたところ、案の定上記の緊急連絡網における失態が表面化したということである。
 それでも7月の終業式時に大なる混乱をもたらしたことを学校の最高責任者として反省したのか、今回の大型台風20号に関しては、今朝メールにて受信した緊急連絡一本で学校の対応が決定したようだ。 本日朝届いた学校からの緊急メール内容とは「東京に警報が発令されているが各自の判断で危険を回避しつつ登校するように。もしも危険を回避するため欠席する場合も欠席扱いとはしない。」
 台風・地震等の自然災害や放射能汚染時に如何なる手段で我が子を守るかの判断とは各家庭の自治に委ねられるべきであり、学校からの緊急連絡文言とはこれぞ正解と原左都子など昔から考えている。

 
 ここで話題をガラリと変え、私自身が企業の上司として職場の一組織を統率していた頃の話に移ろう。
 私自身、子どもの頃の学校に於ける学級の話し合いや、職場の部下としてミーティングが長引く事を好まない人種だった。  そんな私が民間企業において係長に任命され、多い時には十数名の部下を統率する立場になった。 やはりミーティングにおいて意思決定するべく事項の話し合いが長引く事を避けたい私は、一種独裁者的手法ではあろう事は承知の上で、職場長としての私案を熟考して提示する方策を採った。 多くの部下は私同様にミーティングが長引く事を好まない様子で、上司である私が提示した私案が多数決等により採用される事がほとんどであった。

 ところがある時、部下の一女性より「あなたの独裁者的やり方が嫌いです!」と面と向かって攻撃された私である。 まだまだ20代後半の私は一瞬たじろいだものの、「そういう意見もあることは承知の上だ。 ただ民間企業組織とは第一に収益を上げる使命を担っており、学校などとの非営利組織とは異なりミーティングに多大な時間を費やす訳にはいかないとの事情もある。 上司の立場としては苦肉の策であるが、あなたのような反論があることは承知の上での私の行動だ。」云々、当時の私としては民間企業の職場長としての使命感をそのまま述べたように記憶している。
 いや~~。それにしても私は上司として嫌われていたのであろうなあ。 私に面と向かって直言した女性のみならず、若くして退職した部下の中には上司の私を嫌った故の退職だったのかもしれないと、当時より薄々承知している罪作りな原左都子である……  
 ただ、それ位の覚悟や自分が置かれている立場の客観視が不能ならば、若くして民間企業の役職になど元々任命されなかったのではなかろうか??  な~~んてね!


 話を強引に民主党新野田代表に持っていくが、この人物とは国政のトップの地位に君臨することの責任感をどの程度認識できているのであろう??

 その責任感の程が感じられないのがこの野田氏の特徴であると、私は以前より捉えている。 だからこそ2本前の本エッセイ集の記事で「野田氏が民主党新代表でこの国は大丈夫なのか?」との記事を綴ったのだ。
 原左都子が野田氏を一貫して“小粒”と捉える第一の理由は、この人には「嫌われる勇気」が一切感じ取れない事である。  それ故に、自ずと決断力も伴っていないと私は判断している。
 野田氏はご自身を“どじょう”とメディアを通して表現しているようだ。 その表明の背景には東日本大震災を意識して“土着感”を売り物にしたいとの本人の意向があるのだろうが、私にはこの人物に一切の“土着感”を感じ取ることは出来ない。

 そして野田氏は、自分が“どじょう”であるにもかかわらず“シティボーイ”として捉えられる傾向にある???(私に言わせるとどこが??)とも分析しているようだが、あのメタボ体型で決してそうは見えないであろう事を自身が自覚しているのは幸いだ。
 結局、一般国民にとってあらゆる方面から観察してみても、何ら捉え処がないというのが野田氏の特徴なのであろう。
 これに関しては、朝日新聞9月2日夕刊において面白おかしい論評がある。
 詩人相田みつを氏美術館に 「どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ」 との作品が展示されているらしいのだが、この相田みつを氏美術館への入場者が激増しているとのことである。


 野田さん、あなたはまさか民主党新代表に選出されて“金魚”にでもなった気分に浮かれている訳ではなかろうが、国民の感覚とはかけ離れた永田町のコップの中で展開されている大混乱に浮かれている暇など少しもないことを、真に認識できているのだろうか?

 官僚依存派で国民の間では存在感がないあなたが財務大臣として短期間君臨してきた一番の手柄とは“復興増税”の喚起だったらしいが、これが今後も国民の間で賛否の議論を巻き起こす対象となる事を肝に命じて欲しいものだ。
 本気で“泥臭いどじょう”として国民に嫌われることを恐れず、決断力を発揮して欲しいものであるぞ。 (それがあなたにできるとは到底思えず、失望のみの原左都子なのだが…)
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