原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

原左都子だって心置きなく温泉に浸かりたい!

2011年10月19日 | 時事論評
 (写真は、朝日新聞10月17日の「人工おっぱい全国湯めぐり」と題する記事の写真より転載)


 いつものように朝日新聞をめくっていて意表を突くような上記の写真に「こりゃ、何だ?」と興味を持ったものの、写真と記事の題名を見たのみでは一体何を訴えようとする記事なのか訳が分からなかった。
 記事本文冒頭の一文を読んで、大いにガッテン!の原左都子だ。

 それでは早速、この記事を要約して以下に紹介しよう。
 乳癌摘出手術で人工乳房をつける人に安心して温泉を楽しんでもらうための「おっぱいリレー」が17日全国各地で一斉に始まった。 (上記の写真のごとく)人工乳房を温泉などに浸して色や形が変わらないか調べる初めての試みで、メーカーと温泉施設の共同企画にて、北海道から鹿児島まで計95施設をこの人工乳房は巡ることになる。 福岡県の某銭湯では検証結果が良好だったことを受けて「人工乳房をつけている方に安心してうちの湯に来て欲しい」と、支配人は安堵している。 今後も引き続き各施設にて(人工乳房の耐温泉具合)を検証の上、その結果をリストにして医療機関などに配る。 今月は「乳癌月間」であるが、乳癌は日本人女性の16人に1人が発症されるとされ、年間約4万人が全摘出か部分摘出手術を受ける。
 (以上、朝日新聞10月17日記事より要約引用)


 さてさて、原左都子も過去において癌に罹患した経験がある事に関しては本エッセイ集の何本かのバックナンバーに於いて公開している。(例えば、2007年10月 「癌は突然やって来る」、2008年4月 「癌をいつまでも売り物にするな!」、2010年11月 「頭がハゲてて何が悪い!!?」等々……)

 前回の記事 「誕生日雑感」 に於いてもその片鱗を述べている。
 上記記事の中で記したばかりだが、私は過去に癌を患った事自体に関しては屁とも思っていない。 それは何故ならば、幸いな事に癌罹患より十数年が経過した今尚再発・転移を経験せず現在に至っているからに他ならない。 加えて元医学関係者であるため、自分の身体状況に関してある程度冷静に分析できる故である。

 そんな原左都子にしても、過去において癌に罹患した故の生活上の“不都合”を一生抱えねばならない重荷を背負っている事に関しては、2010年11月に綴った「頭がハゲてて何が悪い!!?」に於いて暴露している。 
 その現状を今一度少し紹介させていただくことにしよう。 

 私の癌の場合、頭部に発生した皮膚癌であった。 そもそも癌を手術により摘出する場合、癌の発生部位の如何にかかわらず既に癌が周囲に転移していることを想定して、癌発生部を中心に周辺組織も含めて切除する事となる。(現在の医療は進化してそうではないかもしれないが)  私の場合癌発生部位が頭部であったばかりに、仮に抗癌剤治療をせずとて(実際には抗癌剤治療もして一時期頭髪全体が薄くなる被害も被っているのだが)、頭に直径6cmのハゲを一生抱えることが手術前から決定していた。  
 外見的要因にこだわり一生を通じて自分なりの理想体型を保ちたいと心得ている私が、頭にハゲを抱えることを簡単に了承できるはずもない。 それでも人間とは生き延びてこそであるため、この手術を了承する事と相成った。

 私にとっての癌の“置き土産”の“頭部のハゲ”を今どうやってカバーしているのかと言えば、それは“ウィッグ”である。
 現在は時代が大きく進化していて、大手ウィッグ企業が競って良質のウィッグを提供している。 芸能人などこれ無くては成り立たない時代であろうし、また男性のハゲ頭のみならず女性の薄毛にも対応しつつウィッグ業界は現在熾烈な競争を展開している模様だ。
 私が本エッセイ集バックナンバーにおいて“個室美容室”に定期的に通っている話題を何度か記しているが、ウィッグを使用する顧客に対しては当然ながら「個室」を提供せずして成り立たない顧客側の“頭部”の深刻な事情が背景に存在するのである。
 そして完全オーダーで作るウィッグが超高額であることも、上記バックナンバーで公開している。  原左都子の場合、今後一生頭に直径6cmのハゲを抱えねばならない実態をそのウィッグ代金で換算した場合、数百万円に上る計算となることも公開済みである。
 まったくもって、多少の経済力なくしては癌にも罹れない実情を暴露した記事だったものだ…


 国民の16人に1人が罹患するという乳癌の場合、どうなのだろう?
 上記の朝日新聞で取り上げられている「人工乳房」とは医療保険対象なのだろうか? そうではなく自己負担でそれを装着するとするならば、我が頭部のハゲ対価よりもずっと高額の代償を支払わねばならないのかもしれない。 
 以前、疾患による顔面の喪失に関しては、その修復目的で支払われる代価に関しては医療保険適用対象となったとの報道を見聞した気もする。(正確な情報を入手せずしてこの情報を公開していることをお詫びします。)

 それにしても「人工乳房」を装着している元乳癌患者に配慮して、全国の温泉・銭湯業界が人工乳房を装着してでも温泉を堪能して欲しいとの意図で動き始めたニュースは喜ばしい事であろう。

 片や頭部に癌を患いその置き土産対策として、今や“ハゲ頭親父”や“薄毛婆さん”等万人が愛好せんとする時代となったウィッグで対応している原左都子など、勝手にしろ!と放り投げられても致し方ないのが現状なのだろう。 (ウィッグとはお洒落目的で使用される機会も多く、私も色やデザイン等いろいろと注文をつけてバリエーションをもたせたりしているし…)

 
 それでも私は頭の“ウィッグ”を外して、心底温泉を楽しみたいと時々思うのだ。
 子供が小さい頃には子供が温泉旅館の大浴場で開放されて楽しむのに、頭にウィッグを載せた私も頭部顔面汗だらけになりながら付き合ったものだ。
 それは実に辛い現実であった。 母親の私だって、ウィッグを外して心底温泉を堪能したかったのが正直な思いである。大浴場のシャワーで思い切りシャンプーもしたいとも思ったものだ……  それでも自分のプライドがある限り、癌罹患故に我が頭に刻まれている直径6cmのハゲを公衆の面前で晒すことなど到底できないのが現状である。
 我が子が少し大きくなって以降は、我が家の温泉旅行とは割高の個室風呂を求めて予約を繰り返したものだ。 


 日本における乳癌患者の場合、その人口が多いとのことで今回のごとく医療現場と温泉銭湯施設との間に「人工乳房」の検証がなされる事になったとのことである。 その現状を同じ癌を患った原左都子も大いに喜びたいものだ。

 ただ、どうなのだろう。
 温泉・銭湯業界が自らの利潤目的のため「人工乳房」の女性達を我が身息災の観点から入湯を歓迎したとて、「人工乳房」を装着せざるを得ない女性達が入湯を喜ばない事態も大いに推測できる。 あるいは、私のウィッグ同様に「人工乳房」を“外して”温泉で寛ぎたいのが本音ではないだろうか?

 ここは政府や医療行政が、癌を患った患者とは体の何処かに癌の“置き土産”を抱えていて当然であると全国民にアピールするべく行動に出ることこそが、より良き方策と私は捉えるのだが…。
 元々人間の多様性を認めようとしない我が国の文化・教育の歴史である。 
 もっと国民皆が大人になるべきだ。 様々な人が身体や心に如何なる瑕疵を併存させていようが、奇異な目を向けることなく共存できる社会を早期に実現し充実させるべきである。

 何せ日本に於いては癌罹患による死者がダントツの現状である。
 それにもめげずに生き延びている人々が、例えば「人工乳房」を外して、病に打ち勝つために命がけで切り刻んだその身体のまま温泉に浸かれるがごとくの日々が訪れることを、もっと応援するべく政府は行動するべきではないのだろうか。
                   
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誕生日雑感

2011年10月17日 | 自己実現
 私は、昔から年齢を重ねていく事を好意的に捉えている。
 そしてよもや生命の危機が訪れるような場面に直面しても“命乞い”をしてまで生き延びようとの発想もない。

 子どもの頃とにかく学校嫌いだった私は日々自分を押し殺して義務感で生真面目に学校へ通いつつも、さっさと学校を卒業して自由になりたい思いから、子供心にも早く年を取りたいと考えることがよくあった。
 残念ながら子どもの頃の私が年を取ることを肯定的にとらえていた理由とは、上記のごとく“後ろ向き”思想に基づいていたことを今となって実感させられる。
 年端もいかない子どもが“早く年を取りたい”などと欲する現状を、周囲の誰かが気付いて助ける社会の受け皿など昔も今も存在し得ないのであろう。
 (私の場合自殺願望がさほどなく、自分の将来は必ずや花開くべく未来像が描けそうな“妙な図太さ”が我が根底にあったのが幸いとも言えるのだが…

 “適齢期”(当時の表現であり今や死語と化しているのだろうが)を過ぎて30代に突入する時など、既に27歳頃からとっとと30代になりたい思いが強かった。 その後の我が人生において結婚などせず独り身で自立して生きる場合、30代に突入した方が世間の様々なしがらみから解放されてさらに自由に羽ばたけそうに思えたものだ。 (事実そうだったと振り返る。

 そして我が人生の中で最高に輝かしき“華の時代”だった30代を煌くばかりに通り過ぎ、40歳を過ぎた頃、私は癌を患った。
 この時、私は初めて「死」というものを直接的に意識するはめと相成った。 だが、産んだ子どもが未だ2歳であるが故の母親としての今後の責任を除き、我が人生に悔いも未練もなかった。 もし万一近いうちに命を落とすことになろうとも、私は心より「いい人生だった!」と思えるような40年間を主体的に歩んで来たと自負できたからである。

 ところが癌など屁とも思わない私は命を落とすどころかその後も図太く生き残り、50歳になろうとした時にも早く50になりたかったものだ。
 その時の心理状態については未だ分析していないのだが、今分析するに今後も心身共に自分なりの“若さ”を保ちつつ主体的に生きていける自信があったからに他ならないように思う。

 50歳になるに際して、一つだけ私には懸念点があった。 その懸念点に関しては本エッセイ集のバックナンバーに綴っている。
 「原左都子エッセイ集」に於いて2008年8月に公開した 「長生きは一生の得(火傷の編)」 と題するエッセイには、公開後3年が経過した現在尚ネット上の検索数をある程度頂いているようだ。 
 上記バックナンバーは自分で読み返してもよくまとまったエッセイであると自画自賛するため、皆さんにもお読み頂ければうれしいのだが、ここで上記エッセイにおいて綴った内容を少しだけ紹介しよう。
 私(原左都子)が幼稚園児だった5歳の時に、腕にかなり大きな火傷を負っている。
 火傷の直後こげ茶色だったその跡形を不憫に思った祖母が、ある時私に告げたのだ。 (私が産まれた地方ではこの種のこげ茶色の跡形を“こと焼け”と呼ぶのだが)、祖母曰く「体に“こと焼け”がある人間は長生きできないとの迷信がある」 私が応えて曰く「長生きできないと言うけど、いつ頃まで生きられるの?」 祖母曰く「50歳ぐらいだと思うよ」  私が思って曰く「な~んだ、50歳までも生きられたらそれで十分だよ」
 未だ5歳の私にとって、50歳とは想像を絶する程遥か遠い未来に映ったものだ。

 ところが、祖母から伝えられた“迷信”が後々まで私の脳裏にこびりついていたのだ。 50歳を目前にした時の私は、50歳とはこれ程早く到来するものと実感させられるはめとなる。
 我が幼少の頃より父母共にフルタイムの仕事故に不在の家庭において祖母に育ててもらったも同然の私にとって、一番身近にいた祖母の“お告げ”は私の心の奥底にしっかりと息づいていた。
 50歳が直前になるにつれその“迷信”が現実のものと迫ってくる。 そしていよいよ50を過ぎその“お告げ”のハードルを越えたことを確信した時には、元科学者の端くれの私とてどれ程安堵したことか…


 朝日新聞10月15日「be」において「100歳まで生きたいと思う?」と題する記事があった。
 冒頭に戻るが、この質問に関する原左都子の応えは「何歳まで生きてもよいが、生命の危機に直面するがごとく事態が訪れた時にみっともなくも“命乞い”などせぬよう、常に自分が欲する生き方を貫きたい!」 これに尽きる思いだ。

 本日(10月17日)は私の誕生日である。 
 子どもの頃には仕事故に“放ったらかして育てられた”印象を我が郷里の母に対して抱き続けている私だが、その母は私が上京後必ずや誕生日に電話を寄こしてくる。
 本日も母が私の誕生日を祝って曰く、あくまでも自分勝手な懐古趣味の観点から「あなたを産んだ日の自分の苦しみを今でも鮮明に覚えている」との事だ。
 
 それは分かる気がする。 私も我が娘を超難産で産んだ日を一生忘れる事はないであろうからだ。

 誕生日とは、特に親からは子供がこの世に産まれ出た奇跡こそを第一義に祝福して欲しいものであると思いつつ、既に年老いた我が母が“身勝手な”誕生祝いを寄こす事を、我が還暦に近づく今となっては受け入れねばならないのであろう。

 自分の子を産んだ事をそんな気持ちで祝福したい年老いた親が存在する事を、今受け止めてやるのが現在の私の親孝行というものなのだろう。
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人は“プライド”を守るためにクレームを発するのか??

2011年10月15日 | 自己実現
 無宗教の原左都子としては、宗教色が強い見解に対して異議反論を述べることを控えるべきと常々考えている。
 そう心得てはいるのだが、先だって朝日新聞記事の中に宗教家による“どうしても捨て置けない”論評を発見してしまったため、今回は例外的にその論評に対する異議反論を述べさせていただくことにする。


 早速上記記事を紹介しよう。
 朝日新聞10月13日夕刊のコラム“小池龍之介の心を保つお稽古”とのコーナーにおいて 「プライドは価値を示したい煩悩」 と題するエッセイが掲載されていた。
 参考のため、著者である小池氏の肩書は“月読寺・正現寺住職”と記されている。
 
 このエッセイの題目に興味を持った私は、人間のプライドについて分析した前半部分に関してはほぼ同意しつつ読み進めていた。

 それではまず、小池氏によるエッセイの前半部分を以下に要約して紹介しよう。
 今回は、プライドという煩悩から心を守るお稽古をしてみよう。 人間のプライドが傷つくきっかけとはほんのささいなものである。 例えば、恋愛・夫婦関係で何かをするとき誘うのはいつも自分となると、愛されているのか不安になる。その背後ではプライドが傷ついている。 この例においては相手から誘ってもらえると自分の価値(魅力)が強いのだと実感できるからこそ、そうでない現実に心が乱れる。 自分の力を示したい、というプライドの煩悩が強すぎるほど、私たちはちょっとしたことで傷つき怒るハメになる。

 一旦私論に入ろう。 
 私の場合、海千山千人生を歩む中で、人に誘ってもらえたからうれしいだのどうだのとの感受性を既に失いつつある。 そのためか、上記のごとくの恋愛関連事例を持ち出して人間の“プライド”を分析する事自体にピンと来ない、と言うのが正直なところではある。 ただ、この私にも過去において小池氏がおっしゃるような恋愛時代があったことは確かなため、“プライド”とはその種のちょっとした事で傷つけられ怒るハメになるとの氏のご見解には同意する。

 さて、問題は後半部分だ。
 何故か小池氏の後半部分の論調が、前半部分に比して急に感情的で荒々しく変調しているのを私は直感した。
 もしかしたら新書も発刊されているらしい小池氏は読者等よりクレーム意見を寄せられる等の実質的被害を受け、それに傷ついておられるのかと察したりもする…。
 (何故ならば、この私も一般庶民の立場で綴って公開しているこの「原左都子エッセイ集」にバッシングコメントを頂戴する機会が少なくないからである。) 

 それでは、その後半部分を以下に要約して紹介しよう。
 実は、今の世に溢れるモンスターペアレンツもクレーマーも、ネット上にたくさんある匿名での悪口も、相手をボコボコに叩いて屈服させることによって「自分は価値がある」と錯覚したい“プライド”が原因と思われる。 学校や企業や有名人とは“失うものが多い”ため、ほんのちょっとした過ちでも「すみません、不手際でした」と屈服せざるを得ないのだ。 そんな卑怯な戦いを挑みたくなるほど心が惨めになる前に、自分の価値をつり上げたくてしょうがない愚かさにハッと気付きましょう。
 (以上、小池氏の論評後半部分を要約)


 再び、原左都子の私論に入ろう。
 おっと。 宗教家小池氏の結論とは庶民をバッシングしようとの意図に移り変わってしまいましたね。

 「モンスターペアレンツ」に関しては私も本エッセイ集のバックナンバーで既に取り上げ論評している。 一方、小池氏が言われる「クレーマー」と「ネット上に沢山ある匿名での悪口」の具体像が私には捉え切れず不明瞭である。(もしかしたら、この「原左都子エッセイ集」もその範疇なのか??

 ここで、原左都子も過去に本エッセイ集にて分析した「モンスターペアレンツ」から取り上げることにしよう。
 小池氏が「モンスターペアレンツ」を如何なる像と把握した上で今回のエッセイにおいてバッシングされたのかを私は存じないが、現実を鑑みた場合その実態は多様であろう。
 そして教員経験もある私から言わせてもらうと、学校側が「すみません、不手際でした」と言って保護者に屈服しているとお考えの小池氏は、申し訳ないが“実に甘い”と申し上げるしかない。 それどころか、学校現場とは基本的に“無視を決め込む図太さ”で成り立ち生き延びている組織なのである。
 私自身の保護者としての過去の経験によれば、保護者側こそがそれにも屈服せずに意見書を提出し続けるとやっとこさ議論を初めてもらえるのが現状なのだ。 むしろそれ程に学校とは“失うものなど何も無い”事を信じ切る無神経さにより存続している組織と言えよう。

 次に、小池氏が書かれている「クレーマー」とは何を指すのか不明であり、「ネット上にたくさんある匿名での悪口」に関しては、私はネット上の交流サイトを一切利用していないため論評不能である。 
 私の場合この「原左都子エッセイ集」を通じてのみその一端を経験しているため、その経験に基づき小池氏の見解に対して反論を述べさせていただくことにしよう。
 「原左都子エッセイ集」にも予期せぬアクセスが昨今を問わず寄せられる。(今現在尚、ネット上で原左都子を誹謗中傷するべくサイトが公開されていることも承知している。)  それら世間からのマイナー反応に対し、この私とて時には不快感に苛まれ時には傷付けられるのが正直なところである。 
 ただ私は、それらマイナー反応が小池氏がおっしゃるがごとく「自分の価値をつり上げたくてしょうがない愚かさ」でやっているとは到底思えない。 原左都子が分析するところによれば、彼ら(彼女ら?)とは結局「寂しい」のではなかろうかとの結論に達するのだ。 “プライド”どうのこうのよりも、人間関係が希薄な世に生かされている身にとってはただ寂しくてネット上を彷徨い、プラスマイナス何でもいいから反応を欲して自らのメッセージを発信し救いを求めているように捉えられる気がする。

 そのように考察した場合、私は彼らが発した「原左都子エッセイ集」に対するバッシングがいつまでもネット上で彷徨っていたとしても特段の不都合はないのである。 むしろ、彼らがネット上でたまたま発見した見知らぬ気に食わない相手を一時の感情でバッシングした事を後に反省しているにもかかわらず、それがいつまでもネット上で消去されない現状を悔やんでいるのではなかろうかとすら気遣うのだ。


 小池氏は仏教の伝達師として今後益々ご活躍の事と拝察する。

 冒頭でも記した通り私は無宗教の立場でこの世を生き延びている関係上、仏教の教えを全く心得ないままこの記事を綴った事をとりあえずお詫び申し上げたい。
 仏教の教えによれば人間が“プライド”を持つこととは煩悩と解釈しているのかもしれないが、私は無宗教ながら人間が“プライド”を持つ事を肯定的に捉えている事をここで申し上げておこう。

 そして表題に掲げた通り、庶民が世の上位(?)に当たる対象にクレームを発する動機とは、必ずしも「自分の価値を吊り上げたくてしょうがない愚かさ」に基づいている訳ではない事も伝授申し上げよう。
 庶民よりのクレームとはある時は真に世を改革したい意向に基づいた行動であろう。 またある時は“プライド”どうのこうの以前の問題として単に自分が今ここに存在する事実を認めて欲しいだけのメッセージであり、むしろ“プライド”を喪失している状態、と捉えている私のような人間が下界に存在することもお伝えしておこう。
                  

 (加えて、小池氏とは仏教家として修行を重ねこの世から超越した存在になられているにもかかわらず、傷つき易い人物であられるのか?などとの要らぬお節介をする私をお許し願いたいものである。
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“お一人さま”が似合う人、似合わない人

2011年10月13日 | 人間関係
 (写真は、一昨日レンタルダンススタジオの個室にて鏡に映った原左都子を自ら撮影したもの。 ご覧の通り、相も変わらずミニスカスタイルで一人ダンスを堪能していま~す♪


 こんな写真を公開すると、皆さんより「レンタルスタジオの個室で“一人で”ダンスを踊って楽しいの??」なるご心配を頂戴しそうである。
 これに関しては「原左都子エッセイ集」2011年7月バックナンバー「喧嘩売らずに身を引くべきか…?」にて既述した通り、私も当初はスポーツジムの“団体プログラム”にてダンスを楽しみたいと欲していた。
 20代前半の頃、都内某ジャズバレエスタジオである程度本格的なダンス団体レッスンを経験している私だが、その時の厳しいレッスンの下ではメンバー皆が上を目指すべく切磋琢磨していた。 音感や体型には恵まれているものの体の柔軟性に欠ける私としては、すべての素質が天性のものとして備わっている人には到底叶わない劣等感を抱く等々、“団体”レッスンであることに刺激を受けつつ自分なりの上達を志す事が出来た。
 片や、単にフィットネス目的であるスポーツジムのダンスプログラムにおいては皆が自分勝手に踊っているだけで、団体であるにもかかわらず“切磋琢磨”するということがなく何らの刺激も得られない。
 それに虚しさを感じた私は“一人レッスン”と相成ったのだ。


 さて、今回の記事のテーマはダンスではなく “お一人さま” なのであるが、“お一人さま”と一言で言ってもそのシチュエーションは多様である。
 例えば、私は現在自主ダンスレッスンを2箇所で実施している。 その1箇所は上記写真のレンタルスタジオ個室であり、もう1箇所は総合体育館の大規模スタジオである。 何故2箇所を併用しているかと言えば、どちらも“一人で”踊る事には違いはないのだが、両者共にそれぞれのメリット、デメリットがあるからだ。
 例えば総合体育館スタジオの場合、不特定多数の人が出入りしている関係上人の目がある。 身長165cmの私がこの恰好(写真参照)で一人踊る姿は目立つようだ。 特に年配女性はフレンドリーに「素敵ですね!」「カッコイイですね!」等々とよく声をかけて下さるのだが、これは励みになる一方で少々の鬱陶しさもある。 あるいは若手のプロなども自主レッスンをしているが、こちらは決してフレンドリーではなく「素人が下手なダンスをやってるなあ」と言わんばかりの冷たい視線を投げかけてくる。(単なる被害妄想か?!?)  いずれにせよ一人で踊っているとは言え、人の目がある以上多少の鬱陶しさは避けられない。
 そこで時にはレンタルスタジオ個室を併用して、人の目を気にせずダンスに集中する時間も設けているという訳だ。
 
 ここで冒頭の「スタジオ個室で一人で踊って楽しいのか」との問いに答えるならば、確かにいつもいつもこの個室のみで踊り続けるとしたら、集団嫌いのこの私ですらいずれ閉塞感に苛まれるであろう予感はある。 人の目というのは鬱陶しくもあるが、人間にとって励みにもなる場合もあるからだ。
 結果として、現在は2箇所のスタジオを併用して大正解といったところだ。


 今回この記事を綴ろうと思ったきっかけは、朝日新聞10月8日「be」の記事“between”のテーマ「一人で外食、抵抗ある?」を見たことに始まる。
 「一人で外食、抵抗ある?」との質問に対し、読者の回答は“はい”が37%、“いいえ”が63%とのことである。
 早速、原左都子がこの質問に応えるならば、当然ながら“いいえ”と即答したいものだ。 他者の目がある中で下手なダンスを踊れる図々しさがある私が、人前で食事が出来ないはずもない。

 本エッセイ集2009年7月バックナンバー「昼飯くらい一人で食べさせてくれ!」に於いても綴った通り、私は20代後半頃より民間企業の社内食堂における昼食を一人で食べるべく行動に出ている。 何故ならば当時さほど結婚願望がなく自身の自己実現意欲が強かった私にとっては、職場の昼休みとて自己鍛錬の貴重な時間帯であったからだ。 同僚のご亭主や子どもの話を聞いて昼の貴重な時間を潰す事が忍びなかった私は、昼食後は新聞を熟読する時間に当てた。 
 それでも鬱陶しいのは、まだ若き私が一人で昼食を取るのを「可愛そう、わびしそう」と捉えた(?)“お節介人種”が昼食中の私の隣にやってくることであった。(当時はまだまだその種の人間関係が濃厚な時代であった。)
 「一緒に食べていいかな?」

 当然、相手にもよる。 会話が充実しそうな相手とは、その後昼休みが終わるまで会話が続いたものだ。
 ところが、そうではない相手には難儀させられた記憶がある。 その“難儀相手”とはまさに単なる“お節介”の意図だったのであろうが、会話に何の接点も持てないのだ…。一応の配慮心がある私としては食事が終わった後早々に「失礼します」と言って席を立つ訳にもいかず、無駄な時間を共有させられたものだ。 

 そのような我が過去の苦い経験に比して、今の時代は“お一人さま”が健全に生き延びられるべく社会が進化を遂げている事を実生活において実感している。
 朝日新聞の質問である「外食」に関しても、“お一人さま”外食を日々実行する人々の多さに元々集団嫌いの私など感嘆する思いだ。

 上記朝日新聞記事「一人で外食」のメリット第1位として “自分のペースで食べられる” ことが上げられているが、これなど私が20代後半に一人昼食を志した理由と同一である。 加えて第4位 “会話するのが億劫” との回答も我が過去の一人飯に遡る思いだ。
 ただし私の場合は、昨今を問わずあくまでも会話において共通項や同質性が見出せない相手と食事時間を共有する事は避けたいとの意図である。 もしかしたら今の時代に生きる若い世代が“会話をするのが億劫”と語る背景とは、単に人間関係の希薄化故の深刻な事情を内在しているだけの話なのかもしれない点は私も懸念する。 


 一方、この朝日新聞の「一人で外食、抵抗ある?」との質問に「はい」と回答した人種の心理は原左都子には容易に分析できそうだ。 
 その第一の理由は「さびしい、わびしい」とのことだ。
 そうだろうね。 私も上記のごとく昔その種の人種からの“お節介”には辟易とさせられたものよ。

 基本的にこの質問に“はい”と応えるか“いいえ”と応えるかにより、それぞれの人種が生きる目的や意味合いが元々根本的に異なるものと私は分析する。
 今の時代において“たかが”一人で外食をする事を「さびしい、わびしい」と捉える人種とは、この国の学校教育がもたらした「集団主義」理念に束縛され、他者に依存しつつこの世を生き延びていく事こそが“最高の幸運”とのポリシーの下に生を営んでいる事なのであろう。
 その素直さは、ある時は素晴らしいと評価できよう。(前回の我がエッセイ「同調意識は身を滅ぼす」において綴った通りである。)
 ただ、我が地球上に築き上げられてきた太古から現代に及ぶ歴史に於いて大いに歪みが生じた今となっては、その価値観が大きく変遷するべきである事は自明の理であろう。

 さて、“お一人さま”が似合う人、似合わない人達が、今後この国で如何に共存していけばよいのでしょうかね???
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「同調意識」は身を滅ぼす

2011年10月10日 | 時事論評
 3月11日に勃発した東日本大震災の煽りを受けて、当日から翌日にかけて首都圏では交通網の不通大混乱により1400万人にも上る 「帰宅困難者」(「帰宅難民」とも言われる)が発生した。

 東日本大震災の被害とは、巨大津波と福島第一原発事故による放射能汚染が甚大かつ深刻な状況であるため、報道がそれに偏りがちであるのは当然の成り行きであろう。

 そんな中、大震災発生より7ヶ月が経過しようとしている昨日(10月9日)夜9時からの「NHKスペシャル」に於いて、“帰宅困難1400万人”と題して当日の首都圏の大混乱の様子や今後の改善策がレポートされた。
 あの日首都圏の交通網大混乱がもたらした実態とは、一つ間違えれば二次的大災害が発生しかねない危機一髪の状況だった様子が実写影像を通して伝わると共に、我が大震災当日の経験を生々しくフラッシュバックさせられる思いだった。

 
 大震災当日の首都圏におけるまとまった危機場面の影像をじっくりと見れる機会が持てたのは、私にとっては昨夜の「NHKスペシャル」が初めてだったと思う。
 「原左都子エッセイ集」2011年3月バックナンバー 「悪夢の大震災、その時私は…」 と題する記事に於いて、震災発生直後に震度5強の揺れにより室内の置物が部屋中に散乱した写真を掲載し、大震災発生直後の様子をレポートしている。

 昨夜の「NHKスペシャル」の中で放映された首都圏のオフィス内で物が散乱する影像は、まさに一人我が家で大揺れに耐えていた時の影像とダブり、当時一時“死”をも覚悟した危機感が蘇る思いだった。
 大震災の後、各種報道機関の分析によりビルの上階部では揺れ幅が大きかった事を再認識した。 どうも一戸建て住居や集合住宅の低層階に住む知人の話と集合住宅の上階にある我が家の揺れ方がまるで一致しない事は当時より感じていたのだが、やはり同じ震度でも自分の居場所により揺れ方が大幅に異なる事は既に承知している。
 昨夜の映像のオフィス内で、物が部屋中に散乱する揺れ方はまさに我が家と同じだった。
 
 「NHKスペシャル」によると、震度5強の大揺れの直後オフィスビルから外に飛び出た大勢の人々で首都圏の道路は溢れ、ごった返したようだ。  ここにまず人々の「同調意識」の程が見て取れる。
 そう言えば、我が集合住宅に於いても第一波の大揺れ直後に家屋の外に飛び出した人々が会話をしている様子を私も自宅内で聞いている。「凄い揺れでしたね!」「沢山物が落ちましたね!」…   等々言っている暇もなく大規模余震が次々と繰り返すのだが、あの人達はその「同調行動」により安心感を抱いてその後自分の部屋へ戻ったのだろうか?
 私自身も大震災発生直後に家中の置物が落下するのを目撃した時には「死」を覚悟する程動揺したのは事実だが、その後誰に頼るでもなく生き延びようと自分を奮い立たせたものだ。 まずは“火”と自分の“逃げ場”の点検をした。 そしてベランダに出て外の状況を観察した。(崩壊している建物や火事の発生状況を確認するためだ。) それが一切ない事に安堵した私は、少し冷静さを取り戻したものである。


 原左都子にとっての次なる課題は、まさに「帰宅困難者」候補の未成年の我が娘である。 (身内に関しては対等な大人であるためお互い自己責任でこの危機的状況を打破出来るはずと信じ、当日私は1本の連絡もしなかったし、向こうからも無事帰宅するまで何の連絡も無かった。)

 昨日の「NHKスペシャル」を見て愕然とさせられたのは、オフィス内に於いて“いい大人”達が「同調意識」に煽られ続け主体性なく行動していることである。
 例えばある民間企業の事例に於いては既に大混乱状態の首都圏交通網を鑑み、組織長が「帰宅せず社内に留まる」事を全社員に指示している。 ところが一人の社員が「子どもが心配だから」と帰宅を希望したところ、「そうだよね」と応じてその上司も帰宅しようとし、結局ほとんどの社員が連鎖的に帰宅を志して大混乱状態の首都圏へ放り出されてしまったのだ。
 その結果、首都圏の翌日までに渡る1400万人「帰宅難民」を生み出す事となった。

 我が家の話に戻ると、原左都子は既に東京12チャンネルTVとNHKラジオ放送を通じて当日16時頃から首都圏の大混乱状態は把握していた。
 こういう状況下においても、大抵の場合学校組織とは「保護者が学校まで迎えに来た家庭から子どもを帰します」と言い始める事くらいは我が子幼稚園児の頃より承知している。(この“通り一遍”の学校の指導で、悲しい事に巨大津波地方では多くの児童や保護者の犠牲者が出ている事は皆さんもご存知であろう。) 
 ところが首都圏は既に道路も大渋滞だ。 そもそもこれ程巨大な地震が発生した以上、今個々人が居る場の安全が確保できるのならば、そこに留まる事が最善の安全策であると既に確信していた。
 そんな私にとって幸いだったのは、学校の「緊急連絡網」が通信網の大混乱により届かなかったことである。 我が娘とは16時半頃より私からのパソコンメールにより、娘の携帯に連絡が途切れ途切れではあるが通じるようになった。 もしも娘が私にどうしても学校まで迎えに来て欲しいと言うならば何が何でも行ってやるつもりでいた矢先、娘から「どうやら学校で泊まれるらしい」との連絡が入った。 こういう場合、自分は理想的な親だと自覚し、他者からもそう評価して欲しい親ほど学校へすぐさま迎えに行くのであろうか? 実は原左都子も迷った。 ただ私が出した結論とは、ここはドンと構えて娘も私も生き延びよう!ということだった。
 そして私は娘に対し「学校が今夜泊まっていいと言ってくれるならば、それが一番安全だからそうしなさい。」と指示し、娘は学校の体育館で“銀紙”のようなブランケット一枚で一夜を明かし、翌日昼頃復旧した交通網で無事に自宅まで帰ってきた。
 娘の話によると、当日学校の体育館で一夜を明かした生徒は全体の1割強だった模様だ。 多くの親達はたとえ深夜や朝方になろうと大渋滞を耐えて学校まで迎えに来たとのことだ。
 

 3月11日の大震災当日に娘を学校まで迎えに行かなかった私は“冷血失格親”なのだろうか?? 私が知らない処で、もしかしたらそういうレッテルを貼られて後ろ指を指されているのであろうか???

 それでも私は周囲に同調はしない!  あくまでも自分自身の状況判断力と決断力の下、今後も我が子を育ててつつ親子共々この世に健全に生き延びて行きたいと欲している。

 昨夜放映された「NHKスペシャル」においても、同様の結論が導かれていた。 
 人の「同調意識」とは、時に危機的状況をもたらすものである。
 例えば3月の大震災時に於いても、混乱を余儀なくされた道路を負傷者を運ぶ救急車が大渋滞にはまってしまった。  今回首都圏においては震災に伴う大規模火災が発生しなかったのは幸運だった。 だが今後大震災によりこのような交通網の混乱が再び引き起こされた場合、必ずや消防車が道路の大渋滞に巻き込まれ、街全体が焼き尽くされるごとくの大火災が発生することはNHKが分析せずして目に見えている。

 「同調意識」とは“平和な日常”が繰り返す空間においては、その平和を維持増強するエネルギーを発揮する源である事を私も否定はしない。
 だが一旦自然災害等の予期せぬ事態が発生した場合、人間は安易に「同調意識」になど頼って行動している場合ではない事は歴然である。

 どうもこの国は、時代が移り変わり人々を取り巻く事情が大きく変遷しているにもかかわらず、学校教育が集団主義から脱却できず旧態依然としたまま軟弱である事を私は以前より憂慮している。  
 ここは昨日の「NHKスペシャル」の結論として導かれた通り、少しは国民一人ひとりに“有事の際”に自ら考え行動できるごとくの「主体性」を身に付けさせるべく、教育を展開する時期ではなかろうか。
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