原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

殿方の皆さん、定年後どう身を持たせましょうか?

2011年10月24日 | 自己実現
 先週の朝日新聞において、定年後の男性の “肩身が狭い” 思いを切実に綴った記事を2本発見した。


 その1本は、10月17日コラム「男のひといき」に投稿されていた62歳の男性による “お休みかと聞かないで” と題する記事である。
 早速、その一部を以下に要約して紹介しよう。
 ある日の午後、2人の見知らぬ女性が自宅に訪ねてきた。 女性の1人が聖書の一節を読み上げ「お聞きになってどう思われましたか?」と聞くので「今聞いたばかりで即答する程の感想はない」旨述べると、2人は「お暇な時に」と言ってパンフレットを置いて帰った。 そう言えば最初に「今日はお休みですか?」と聞かれ一瞬答えに詰まったが、定年後の自分にとっては今日も明日も休みだから「はい」と答えた。 嘘ではないのに面はゆい気持ちになった。 男が玄関から顔を出しても「今日はお休みですか?」と問わないで下さいね。気にする者もおりますので。

 早速原左都子の私論に入ろう。

 何と心優しい男性であろうか。 (おそらくマイナーかついかがわしいと思しき)宗教勧誘の(“押売り”に等しい)自宅訪問などに付き合って女性が読む聖書の一節を聞いてあげる等、真摯に対応するとは…
 主婦歴十数年になる私など、集合住宅1階玄関に訪ねて来た人物像が映し出される室内のモニターを一見するだけで、これは“訪問販売”、あるいはこれは上記のごとく“いかがわしい宗教の勧誘活動”と一瞬にして判断出来るというものだ。 後は「申し訳ありませんが一切興味がございません。」と一言のみ述べて、ガチャ!っとモニターの受話器を切るのみである。
 ただこの男性は62歳との事、おそらく定年退職後未だ2年の月日しか経過していないことであろう。 その種の“押売り”に等しい自宅訪問販売に慣れていないが故の今回の対応だったと推測する。

 それにしても気になるのは、「今日はお休みですか?」 との見知らぬ相手からの何気ない問いかけが、この男性にとって新聞に投稿せねばならない程に“心の痛み”となっている事である。
 例えば今現在の私など、自宅に商売目的で訪問してくる人物は私が「主婦」である事を暗黙の内に了承しているから故に「今日はお休みですか?」とは問わないのであろう。
 上記62歳男性にそう言われてみるに、元々“主婦”なる肩書きを好まない私としては逆バージョンとして 「今日はお休みですか?」 と聞いてくれない事の方こそが癪に障るとも言える。 (参考のため不動産所得がある私としては、「家にはいるけど自分自身の不労所得はあるよ!」 などとせせこましくも答えたくなるというものなのかもしれない…)

 上記のごとく逆バージョンとしてこの投稿者男性の思いが分からなくはないが、それにしても、自宅に“押売り”目的で突然訪ねてきた人物に「今日はお休みですか?」と問われた事実のみで、それ程までに気が滅入る事もないであろうに…


 もう1件の記事は、朝日新聞10月22日「be」“悩みのるつぼ”に寄せられた59歳の男性による 「定年後やることがありません」 である。

 上記相談内容を要約する前に、少し私事を語らせてもらおう。
 “ちょっとちょっと、59歳と言えば私とさほど変わらない年齢じゃないの。 私なんか自由に羽ばたかせてもらえるならば、胸の内にはやりたい事が盛り沢山だよ。  それでも自分が高齢出産で産んだ子供の責任を取って立派に育て上げる事を現在第一義と捉えている私としては、残念ながら今はまだ自分勝手には動けない身であることが現実なのよ……”

 それでは、ここで上記“悩みのるつぼ”への投稿を以下に要約して紹介しよう。
 38年間働いてきた職場を来年の3月に定年退職する。 子供たちは皆家を出て、今は妻と2人で暮らしている。 私の悩みというのは、定年後の人生において「何もすることがない」ということである。 会社の先輩には趣味に勤しんでいる人もいるが、私にはそういう趣味もないし、たとえ趣味を作っても3日経てば飽きそうだ。 書店で定年後の生き方を処方した本を買い求めても参考にならず、このまま定年を迎えても無為徒食の日々のまま死んでいきそうだ。 定年後の生活は預貯金や年金等で何とかやっていけそうなため「贅沢な悩み」と言われそうだが、よきアドバイスをお願いしたい。 

 再び原左都子の私論に入ろう。

 いやはや、日本に於ける大手等安定企業が過去において導入してきた経営方針である“年功序列による従業員が定年まで安泰”制度のマイナス面でのとばっちりを受けたと思しき相談内容であろう。 
 そしてこの相談男性ご夫婦は、おそらく適齢期に結婚してその後順当に産まれてきた子供さん達を立派に自立させて世に送り出しておられる事とも推測する。 原左都子が現在置かれている“遅ればせながらの子育て中”の立場より考察した場合、実に羨ましい限りの家庭を築いて来られたことなのであろう。
 現在定年を迎えようとする男性達と同年代である私は、同じ時代に自分の専門力によって安定企業に就職した。 それにもかかわらず、30歳にしてその企業を去り自分の意思で長い独身を貫く事を選択した私の視線から見ると、今定年を迎えようとしている男性達(女性含めて)とは今後まさに“輝かしき自己実現”の未来がそびえ立っているかに映るのである!

 
 そうでないとするならば、それは過去において“年功序列で定年まで安泰制”を貫いてきた日本の産業労働社会の負の所産と言えるであろう。
 
 今現在現役世代が生き延びている社会とは、産業労働界において凄まじいまでに過酷な現実を突き詰められている現実だ。    これ程までに貧しく厳しい労働経済国家に今後生きざるを得ない若者達の未来を、原左都子は憂慮している。
 現在の過酷な世界で今の若者が少しでも長く生き延びられたとしても、年老いた時には年金も減額かつ繰り下げ支給で“やることがない”などと虚しく嘆く暇などなく、まだまだ仕事を求めて彷徨い老体にムチ打ちつつ暮らすことを強いられるのであろう…

 「定年後やることがない」と嘆くなど、そんな若い現役世代に失礼な話だ。
 今定年を迎えようとしている諸先輩達は、自分の定年後の生き様くらい自己責任においてもっと主体的に捉えようではないか。                                       
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