原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

夢とロマンの 「カーネーション」

2011年10月08日 | その他オピニオン
 今週から始まったNHKの連続テレビ小説 「カーネーション」 が面白い。

 テレビ(特にドラマ)をほとんど見ない原左都子が、NHKテレビ昼の天気予報とニュースをチェックした流れでこのドラマシリーズだけはずっと見ている事をバックナンバーで何度か綴っている。

 過去においてしばらく視聴率低迷状態を続けていたこの連続テレビ小説は、3シリーズ前の「ゲゲゲの女房」で息を吹き返した。
 そして前回の「おひさま」も高視聴率をゲットできた模様である。

 確かに上記両ドラマ共に全体を通して内容が充実していた。(本エッセイ集の2010年9月バックナンバー「ゲゲゲの女房が高視聴率を続ける訳」、2011年8月「退職を決断する時」に於いて両ドラマの論評を展開しておりますので、よろしければご参照下さい。)
 
 ところがこのNHK連続テレビ小説に於ける全体を通しての欠点とは、「走り出し」が貧弱な事にあるのではないかと原左都子は以前より分析している。
 高視聴率を上げた「ゲゲゲ…」にしても「おひさま」にしてもそうだった。 今となっては「ゲゲゲ…」の物語が一体どうやって始まったのかの記憶すらない。 「おひさま」に至っては、若い女学生がはしゃぐ“白紙同盟”を登場させるその陳腐なストーリー展開の手法に “またかよ…” の思いでゲンナリさせられたものだ。
 という訳で連続テレビ小説長年愛好家の私にとっては、その滑り出しとはいつも“我慢のしどころ”と言ったところである。


 今回の「カーネーション」に関しては、個人的な理由で放映前より楽しみにしていた。

 我が娘が通う私立中高が、「カーネーション」ヒロインのモデル女性の長女にあたるファッションデザイナー・コシノジュンコ氏が手がけた制服を採用しているのだが、その制服のデザインや作りの良さ故の機能性が素晴らしいのだ!  中高6年間(一部は3年間)ドライクリーニングを繰り返しつつ日々酷使しているにもかかわらず、そろそろ卒業を迎えようとしている今尚“まっさら状態”なのである。 姉妹が3、4人いても皆が着まわして卒業できそうで、一人っ子の我が家などこのままお蔵入りがもったいないくらい新品同様である。 
 (私がウン十年前に3年間着用した公立高校の制服などデザインもダサければ、時代背景的要因も大きいのだろうが卒業時にはテカテカボロボロ状態で捨てるしかなかったものだ…

 ところがドラマ放送に先立つ予告編を見て、またもや失望させられた私である。
 どうもやはり“ドタバタ劇”の様相だ。 この国の一般国民は“ドタバタ劇”を好むのか?? ドタバタはしゃぐ事イコール“明るい未来”でもあるまいし、何でドラマ制作者の発想がこれ程通り一遍で貧弱なのだ??


 そして「カーネーション」は今週から始まった。

 やはり予想通り子役の女の子が暴れてはしゃぐ“ドタバタ劇”が展開される中で、この一週間に関して言えば私は毎回感動し涙を流させてもらっている。
 原左都子が日々何に感涙しているのかと言うと、たった15分間のドラマの中に毎回毎回きちんと “クライマックス” が演出されているそのストーリー展開の素晴らしさにおいてである。 その演出力に私が単純に釣られ乗せられているに他ならないのだが、そもそも作り話の範疇に過ぎないドラマとはこうあるべきではなかろうか。

 例えば初回放送時には「岸和田だんじり」が取り上げられていた。 だんじりの最上部の屋根に乗って総指揮を執る“大工頭?”の役割の重みと緊張感が十分に演出されていた。
 この「岸和田だんじり」場面の撮影にはスタッフ・キャスト共に並々ならぬ事前訓練と日数を費やしたことであろう。 そんな現場の危機感溢れるエネルギッシュな思いが伝わるからこそ、ヒロイン子役糸子の演技力も視聴者に届くというものである。

 そして私にとって肝心なのは、今回のヒロイン糸子は後々世界的デザイナーとして活躍する娘を3人も育て上げているという事実である。 そんな糸子が大正時代において如何なる動機で“洋裁”に目覚めたかに関して、一視聴者の私は興味深々だった。
 ドラマが開始されてわずか2日目の事だったと記憶しているが、糸子は富豪である母方の実家に正月の挨拶に行く。 そこで偶然目にしたのが西洋人が色彩豊かなドレスをまとって踊る“舞踏会”だったのだ。 この場面が史実に基づいて描かれたのか否かについては私は承知しないが、この舞踏会の一場面は私にとってまさに劇的だった。 これぞヒロイン糸子の夢とロマンであり、この物語はこの場面なくして今後成り立たない程の“クライマックス”観を感じ、その日私は15分のドラマが終った後もしばらく感涙に震えたものだ。

 ついでに本日(10月8日)放送された「カーネーション」では、少女糸子はついに洋裁を実践する事と相成る。
 その描き方も素晴らしかった。 近所のおばさんから“あっぱっぱ”を貸してもらった糸子はそれをすぐさま自宅に持ち帰り、呉服屋である自宅の“はぎれ”を利用して自ら洋裁に着手する事と相成る。 その下手な洋服が仕上がっ場面にも“クライマックス”観が感じ取れた私は感涙しつつ拍手を贈った。


 本日の放送の最後から大人役の糸子にバトンタッチしたようだ。
 どうも大人の糸子も当初より“ドタバタ”と登場したのが原左都子としてはほとほと疲れる思いだ…

 これを見る東日本大震災被災者にとって“ドタバタ劇”はどう映るのだろう?
 NHKドラマ制作者は、とにかく元気にはしゃぐヒロイン像こそが好まれるとの分析の上でこのようなヒロインを登場させているのだろうか?
 もちろん人それぞれの好みは多様であろうが、幼少の頃より静寂を好む私など“ドタバタ劇”は鬱陶しい限りで、それを見せられるとイライラするというのが正直な感想である。 

 ただスタートより一週間の「カーネーション」のドラマ展開を考察する限りにおいては、今後に期待出来そうだ。
 半年間(撮影は9ヶ月間行われると見聞しているが)はドラマ制作者にとっては長丁場であろうが、こんな一視聴者の思いを裏切らないドラマ展開を半年後まで続行して欲しいものである。
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小沢さん、一人の人間として実直に生きませんか?

2011年10月06日 | 時事論評
 本日(10月6日)午前中、民主党元代表・小沢一郎氏の初公判が東京地裁で行われた。

 今回の初公判は、小沢氏の資金管理団体「陸山階」の土地取引を巡る事件を受けて、11人の市民によって構成する検察審査会に於ける2度に及ぶ議決の起訴決定により実施されたものである。
 参考のため、この事件においては小沢氏の元秘書である衆議院議員石川氏ら3人も検察により起訴され、9月26日に有罪判決が言い渡された事は皆さんもご存知であろう。
 本日の公判においては、収支報告書の記載は虚偽と言えるか、小沢被告と石川被告らとの間に虚偽記入の共謀があったか、が主な争点になるはずであった。

 ところが本日昼のNHKニュースによると、小沢氏は事件については一切言及せず全面無実を主張した上で、その言及は検察批判に始終したようだ。

 「直ちに裁判を打ち切るべきだ。私が罪に問われるいわれはない」
 「捜査は検察が小沢一郎を標的に行い、政治的、社会的に抹殺しようとしたのは明白だ」
 「収賄などの実質的犯罪を伴わない収支報告書の間違いは、自主申告による修正が大原則だ」「なぜ私の資金管理団体だけが強制捜査を受けたのか」
 「検察の不当、不法な捜査で得られた供述調書を唯一の証拠にした、検察審査会の誤った判断に基づく起訴だ。裁判は打ち切られるべきだ」
 「一捜査機関が国家権力を乱用し、議会制民主主義を踏みにじった」「政権交代が実現しそうだった時期に野党第一党の党首だった私を狙って強制捜査した」「日本憲政史上の一大汚点」「延々と捜査を続けたのは常軌を逸している」……
 そして小沢氏の陳述は過去の歴史にまで及び、「戦前、官憲が政党政治を破壊した。その結果が戦争。同じ過ちを犯そうとしている。東日本大震災や福島原発の事故。政治の混乱が続けば国民の不満が爆発し、悲劇が訪れる」
 等々と、この公判において小沢氏は検察批判を好き放題展開した模様である。


 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。
 
 残念ながら自民党政権時代には政治にさほどの興味がなかった私の“小沢氏観”といえば、2年前に民主党が政権奪取するべく動く原動力となった姿しかない。
 当時人当たりだけはよさそうに見えたセレブ鳩山氏を前面に立てて、小沢氏自身はそれを後ろで虎視眈々と操りつつ“カネのバラ撒き政策”を筆頭に選挙民である庶民の誰にも分かり易いマニフェストを「えさ」に選挙運動を展開した。 一方、政治ド素人連中のガールズを集め“数の論理”で選挙に打って出た。
 (この悪党は何と言う姑息な手段で政権交代を果そうとしているんだ。 とんでもないぞ!)と、小沢氏のやり方に反発心を前面に出していたのは私だけだったのか…
 結果は民主党が大勝。 2年前のあの夏、原左都子は国民の単純馬鹿さ加減にどれ程落胆させられたことか……
 その後の民主党政権の“成れの果て”は皆さんもご存知の通りである。
 (何が政治主導だよ。せせら笑えるよね~~。 結局は3代目の野田政権も官僚に頼らずして成り立たない民主党政権の現状ではないか!)

 それにしても私が不可解なのは、何故小沢氏は2年前の政権奪取時当初に首相の座を死守しなかったのかということだ。 それは恐らく小沢氏自身に既に自宅土地の購入代金を巡る現金4億円に関して、検察より取調べを受けているという事情があったからに他ならないのではなかろうか。 検察からの疑惑がある自分が党首に立つよりも、一見人当たりのよい鳩山氏を党首として闘った方が政権奪取に繋がると狙い、来る後に自分こそ首相として長年君臨しようと狙っていたのではないかと分析する。


 ここで今後の小沢氏起訴・公判後のスケジュールを、本日昼のNHKニュースより得た情報から紹介しよう。
 この後証人尋問が行われた後、来年1月に小沢氏本人の被告人質問が実施される予定とのことだ。 この被告人質問に於いては、小沢氏は本日の公判のように自分一人言いたい放題という訳にはいかないようだ。 小沢氏は検察側の質問に応じるノルマが課せられ、それに答えねばならないこととなる。 そして2月に小沢氏に対する求刑が言い渡され、4月下旬に判決が下されるとのことである。


 最後に再び、私論で締めくくろう。

 先だって小沢氏の元秘書達に有罪判決を下したのは、検察審査会ではなく検察だった。 小沢氏の、秘書等周囲の“丸め込み力”は相当な脅威であることを私も想像できる。 あの有罪秘書達もそろそろ罪を認めて小沢氏から解放されたいだろうに、未だに親分に一言とて反抗できない立場を与儀なくされているようだ。
 鳩山氏が総理を辞任する時に「私は議員を辞める」と宣言したにもかかわらず、未だ小沢グループの影武者長老として君臨させられている。 鳩山氏が置かれているこの現状を鑑みた場合、尚更、小沢氏の元秘書の立場とすれば氏に迎合し続けねばこの先その命すら危ぶまれる状態なのか?? 

 それからあのヤワラちゃん(柔道の田村亮子選手のことであるが)が、昨年の参院選当選後政治家として活躍する場面を一度たりとて見ない。 今だ若きヤワラちゃんは小沢氏独裁の下今頃になって柔道活動を禁止された現状を悲しみつつ、つまらない政治家になどなった事を嘆いているのではあるまいか? 
 同時に“ド素人軍団”の小沢ガールズ達は一体今何をしているのだろう? 
 この人達も日々“小沢先生様様”と礼拝しつつ、今後も自らの国会議員としての地位を死守するため小沢氏の無罪判決をひたすら祈っているのであろう。

 という訳で、今現在小沢氏の周辺にはその独裁力で牛耳られた“取り巻き”が多数存在して、その輩が我が身の今後の生きる糧を守ろうと小沢氏を応援している現状であろう。
 庶民に過ぎない原左都子にも小沢氏のその状況の心地よさは分かるよ。 人間とはとりあえず誰でもいいから自分の取り巻きに認められていると錯覚できると、自分の存在感が証明されるような気分になるものだよね。

 ただ今回の公判を見聞した場合、小沢氏は自分の存在意義を正当化したいだけのように私は感じる。
 「一捜査機関が国家権力を乱用し議会制民主主義を踏みにじった」だの、「政権交代が実現しそうだった時期に野党第一党の党首だった私を狙って強制捜査した」だの、「日本憲政史上の一大汚点」「延々と捜査を続けたのは常軌を逸している」だのと、自分自身の存在がこの日本に於いて崇高な立場であると勘違いしている小沢氏の自己分析力の程は、今に至ってはどうなのだろう??

 現実に戻るが、私のみならず国民の皆はただただ小沢氏に「事実」を語って欲しいのだ。
 国民は皆、小沢氏が4億円という資金の出所を正直に話す日を待っているだけなのだ。
 
 姑息な手段であれこの混沌とした時代に政権を奪取する能力のある小沢氏には、今は是非共冷静になって欲しい。 
 4億円の金の出所さえ語ってくれた後には、小沢氏持ち前の“類稀な”悪知恵を活かしつつ、大震災復興や福島原発事故の放射能漏れと闘う民主党を補佐できる輝かしき未来が待ち構えているのではなかろうか??
             
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なぜ、国政の意思決定が二転三転する??

2011年10月03日 | 時事論評
 今回の記事は、本エッセイ集前回の時事論評カテゴリー記事 「公務員宿舎建設再開に断固反対する!!」 の続編の形として綴ろう。

 この9月に再開されたばかりの埼玉県朝霞市に於ける公務員宿舎建設に関して、昨日になって民主党輿石幹事長から再開解除について言及があった旨報道された。
 そして本日(10月3日)午前中に野田総理が朝霞市の建設現地を視察し、どうやら建設再開は解除され再び「凍結」の判断が下されたようだ。

 公務員宿舎建設に対し断固反対の意思表明をしている原左都子としては、この事態をひとまず喜んでいる。


 それにしても解せないのは、何故一国の政権の意思決定結果が短期間のうちに二転三転するのかと言うことである。

 これに対して、野田総理は本日昼のNHKニュースにおいて以下のように述べている。
 「私が財務大臣時代に公務員宿舎建設再開の決断を下したのは、地元の振興目的だった。 その後大震災が勃発し状況が一変した。今はやはり復興財源にこそその資金を回すべきだ。」(私の記憶に頼っているため正確でない点があればお詫びする。)


 ここで私論に入るが、ちょっと待ってよ野田さん、と言いたくもなる。
 この野田氏の発言には、数々の矛盾点が内在している故だ。

 まず、あなたが菅政権の下で財務大臣として公務員宿舎建設再開を決断した時には、確かに大震災は勃発していなかった。 ただ国の経済雇用情勢が超低迷を続けて久しい現状であったことは否めないであろう。

 で、地元の振興に役立ちたかった?? あの朝霞市の振興をあなたが本気で考えていたとでも言いたいの???
 申し訳ないが過去において一時あの自治体に住んでいた私に言わせてもらうと、公務員宿舎をあの地に建設してもあの市が振興するとの分析は私には不能である。 恐らく建設された公務員宿舎に住む世代は若年層であろうと想像するが、皆さん自家用車を活用して日々の生活を営むであろうことが目に見えている。 鉄道交通網を利用する場合においても駅前に大規模店舗がない「朝霞駅」よりも、東京メトロ始発駅である「和光市駅」を利用するのが便利ではなかろうか?(私も多くの場合そうしていた。) そうした場合、和光市にこそ振興益が投入されようと、朝霞市には大した収入は転がり込まないのではなかろうかと私は考察するのだが…。
 結局公務員宿舎を誘致したいのは、単に朝霞市政の歪んだ「見栄」の範疇であると結論付ける私だ。 
 独立行政法人理化学研究所が存在し、民間大手の㈱本田技術研究所も存在する東京メトロの終点である和光市と比較して、その直ぐ隣に位置しているにもかかわらずマイナーな在来私鉄1本しか通っていない朝霞市が、文化的学術的に低迷を続けざるを得ない運命にあるのは確かに悲運だ……  
 それに焦った朝霞市政が、我が地に「国家公務員宿舎」を建設したら文化学術レベルが上がるかも?と狙ったとしか私には捉えられない。
 ただ朝霞市さん、国家公務員宿舎を建設したとて文化学術レベルを押し上げるのは無理だよ。 不動産価額においても残念ながら朝霞市より北はぐっと価値が下がる現状であるし、上にも記した通りその地に住もうと思う公務員とは一部の若い人種に限られるであろうからである。

 現在総理の立場にある野田さんは、財務大臣時代から単に官僚に丸め込まれているだけだ。 それをカムフラージュするべく、地元のその種の細部の事情に関しては分析把握せずして地元振興を安易に発言しただけの話であろう。
 国家の長たる者、自治体市長や市政担当者との短時間の会合のみで「地元の振興のため」などとは決して軽々しく口にしてはならなかったはずだ。


 野田氏の過ちは、もう一点ある。

 朝霞市における公務員宿舎の建設再開はこの9月に実行された。 その時点では既に大震災の復興財源に関して国を挙げての集中論議が交わされていたはずだ。 当時財務大臣であった野田氏は、自ら提案した公務員宿舎建設再開を覆し阻止出来る立場にあった。
 にもかかわらず、何故それを阻止せず建設再開を推進したのだ?
 それは野田氏自身が民主党党首選に出馬するのに精一杯だったからではあるまいか? これは一国民視線から見たらみっともない限りである。 一国の総理となる程の人物とは国民の税金で公設秘書、そして私設秘書も多く抱えている事と思うが、それらを有効に活用して墓穴を掘らないように行動できたはずだ。 にもかかわらず建設再開を決行したのは、やはり官僚に丸め込まれていたからに他ならない。

 結局、今回の埼玉県朝霞市に於ける公務員宿舎の建設に関する凍結再開の右往左往は、現在民主党政権の長である野田総理の責任と結論付けられそうだ。


 それにしても、建設に着手した後、凍結、そして再開、そしてまたまた凍結…???
まったく何のポリシーもない政権を、国民は一体どうやって信頼すればよいのだろう?
国政が右往左往している間に大いなる無駄が発生している。 現場で働いている労働者も大変なことだろう。やっと仕事にありつけたと思ったら首を切られ、また雇ってやるよと言われ数日作業をした後、はたまた首切り…
 この調子だと政権はほとぼりが冷めた後に、水面下で公務員宿舎建設を再開しようとの魂胆かと勘ぐりたくもなる。(夜のニュースでは5年間凍結とのことのようだが)

 「政治主導」は政権運営の理想であろうが、原左都子は民主党が政権を取った当初より力無き民主党には「政治主導」は無理と判断していた。 自分には力もないくせに頭から官僚を排除しようとして対立していたのでは、政権運営は不可能だ。 そこで少々頭が回った“たぬき親父”の野田さんは、官僚との関係を修復しようとしている訳であろう。
 それにしても、少なくとも政治家と官僚との関係は対等であるべきだ。 一旦決定した事項を官僚に丸め込まれて水面下でコソコソと覆しているようでは、国民に馬鹿にされて当然である。


 国家公務員宿舎に関しては、実際問題今後まったく必要ない。
 血税を食い物にして甘い汁を吸っているくせにその現状を省みる事もできず、「官舎」に住んでいることに特権意識を煽られている公務員家庭が存在するその馬鹿さ加減に、私は昔から辟易としている。
 今回の建設地の場合埼玉県朝霞市とのド田舎の話だが、都心のど真ん中にある公務員宿舎も多い現状だ。 国民の血税で一等地に住んで特権意識もへったくれもあったものではない。
 
 国家公務員の皆さん、この混沌とした時代においては少しは国税で生かせてもらえている事に感謝しつつ、自分が住む家くらいは自分の経済力で買ったり借りたりしようと思うプライドの下、この国で生き抜いて欲しいものだ。
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